[週刊花目付#40] もしも好奇心のみが示された地図があるとしたら

2022/11/08(火)12:08
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週刊花目付#40

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■2022.10.31(月)

 

 内海太陽錬成師範が、花林頭カリントウの先鋒に立って花Q林の開宴を告げた。放たれた公案は「面影」を巡る問答だ。方法日本を地に置きながら、「3A」「ないものフィルター」「略図的原型」など方法知のプロフィールとイメージメントを炙り出そうとしている。

 

 ところで、内海が「開幕」ではなく「開宴」と呼び掛けたことに関心を示す者はいたが、「宴」のキーワードに反応して入伝式での師範講義を想起する者は見えなかった。

 

 

■2022.11.01(火)

 

 道場での式目演習は、基本的に指導がつかない。式目演習は編集的自己の自立」へ向かう修練だからだ。

 

 だが、このいわば壁打ちのような自学自習に孤独を感じる入伝生は少なくない。自身と向き合って試行錯誤を積み重ねる体験よりも、常に他者からの眼差しと評価に包まれる環境にむしろ居心地の良さを感じているのかも知れない。
 加えてパンデミックの影響だろうか、テキストのみでのコミュニケーションが求められる編集稽古のスタイルに今更ながら違和感を言挙げする者も見える。

 

 さて、これら講座カリキュラムの設営意図から零れ落ちる声は、いったい何を表しているのか?

 

 

■2022.11.03(木)

 

 「好奇心」と「怖れ」は、同じコインの裏表なのだと思う。

 

 たとえば未知の土地を旅するときに、地図は多くの情報を提供してくれるが、そこには越えるべき山の高さも記されている。地図は冒険を援けもするが、冒険を回避する口実にもなり得るだろう。
 そのときロジカルな冒険者ならば、地図が提供する情報を合理的に分析し、心を乱すことなく計画の可否を判断するかも知れない。だが、いずれの選択肢も他方の可能性を完全に否定することはできない筈だ。
 一方、アナロジカルな冒険者は、地図がもたらすアフォーダンスによって好奇心を触発されもするし、怖れを増幅させられたりもするだろう。そして、彼/彼女は好奇心と怖れの間でヤジロベエのように揺らぎ続ける

 

 もしも好奇心のみが示された地図があるとしたら、それは冒険者にどんな体験をもたらすだろう。怖れを含まない好奇心や、好奇心を含まない怖れなどあり得るだろうか?

 

 

■2022.11.04(金)

 

 花伝所の指導陣はときおり「花カフェ」と称してザックバランな編集談義を交わす場を設けている。36[花]から始まった習慣で、今期は金曜日ごとの定例開催なので「花金カフェ」と呼ばれている。参加は任意だが、「編集は対話から生まれる」を実践することで情報生成装置として機能することを目論んでいる。

 

 何かを生み出すと言っても、一朝一夕に果実が実ることはない。ここ数期の花伝所を見ていても、蒔いた種が根づくまでには少なくとも4期2年を要する印象だ。2年という時間が長いのか短いのかはさておき、その期間でメンバー構成が4回組み替えられることに注目しておきたい。言い換えれば、4世代をかけてようやく型の継承が行われるということである。これはあくまでも私の主観的な実感値だが、継承の遅延を見込む際には一定の目安になるように思う。

 

 

■2022.11.06(日)

 

 「M2:モード」の演習まとめ課題の提出締切日。学衆のエディティング・モデルを受容、その編集的価値を描出しながら、さらなる編集可能性の拡張を模索する指南を構成する演習だ。

 

 今期、M2で行う指南演習のための題材は、50[守]伝習座での用法解説を受けて「編集思考素」の事例が採用された。ちなみに、35[花]から37[花]までは「いじりみよ」が題材だった。

 同じ演習でも題材が変われば体験が異なることは言うまでもない。当然ながら、指導の見どころにも方針にも再編集がかけられている。入伝生にとっては期ごとの演習体験がどう異なるかは較べる由もないが、習得すべき「型」が異なることはない。「型」とは、そこに出入りするものに感応してフィードバックする回路なのである。

 

アイキャッチ:阿久津健

 

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