食べる×歩く。2つの動詞が交わるとき、おいしい化学変化が起きる。あの店、あの味、あの匂い。世界が変わる。
開講間近の51期[守]師範が、型で数寄を語るエッセイシリーズ第5弾。“カレーなる師範”佐藤健太郎が「食べ歩き」を編集思考素します。
外まで匂う店が好きだ。
立ち食いそばであれば鰹節。ラーメンだったら豚骨。ちょっとやそっとじゃ消えないカレー臭。餃子も捨てがたいが店の外にまでは香ってこない。
「食べ歩く」ことは世界をどう切り取るかにつながる。何をどう食べ歩くか。一緒に卓を囲む人も忘れちゃいけない。要を満たすだけの食もあれば、魯山人のように極めることもあるだろう。体調に左右されることだってある。
世界を切り取り、定着させる編集の「型」が二軸四方だ。それぞれ異なる対による二軸を重ねることで世界を平面で表す。どんな対比を持ってくるかによって世界観にも厚みが変わるのがおもしろい。
例えば、【非日常⇔日常】に【近場⇔遠征】をクロスさせる。近場ではなく、遠征して常食を味わうなんてと思うかもしれないが、わざわざ食べに行く立ち食いそばも悪くない。ワンコインで味わう豊穣。店主の矜持とほのかなノスタルジー。
対比を言い換えると見え方も変わる。【非日常⇔日常】を【ハレ⇔ケ】にしたらどうだろう。日常のカツカレーがハレに変わるのではないか。いや、むしろ、その方がいい。カロリー過多はここぞという時に限るにしかず。
【近場】をよく行く店と置き換え、【常連】としてみると、途端に家から遠いが縁のある店が視界に飛び込んでくる。「近い」から「頻度」へ、そして、「親しみ」へ。逆に近くにあっても一見感が消えない店だってある。軸の言葉に隠し味を加えることで世界が立体的に見えてくる。
二軸四方は平面だが、立体的に動く。誰を主語にするかでぐるりと反転することさえある。町中華ならぬガチ中華は日本在住の中国人が故郷の味を求めて足繁く通う店だが、日本人にとってはワクワクドキドキ、未知の味。中国料理の「らしさ」すら更新される。
もう一つ忘れてはいけないものがある。余白だ。【匂う】の対に何を置くか。五感のつながりで【見る】はどうだろう。手食文化を考えて【触る】もいい。同じ触覚でも口の中もある
ぞ。正反対でなくてもいい。新しい軸を作ってみる。そうすると世界が動きだす。
二軸四方は整理の「型」だけにしてはもったいない。4つの象限のうち、1つに空白があるなら、情報を呼び込む機であり、軸を動かすきっかけだと捉えたい。軸を動かすことで数寄の解像度が変わり、世界が再編集されていく。偏食を恐れず、ゲテモノも辞さない。世のグルマンに倣い、冒険は続く。
(アイキャッチ/阿久津健)
佐藤健太郎
編集的先達:エリック・ホッファー。キャリアコンサルタントかつ観光系専門学校の講師。文系だがザンビアで理科を教えた経歴の持ち主で、毎日カレーを食べたいという偏食家。堀田幸義師範とは名コンビと言われ、趣味のマラソンをテーマに編集ワークを開催した。通称は「サトケン」。
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