空中戦で捉えた獲物(下)をメス(中)にプレゼントし、前脚二本だけで三匹分の重量を支えながら契りを交わすオドリバエのオス(上)。
豊かさをもたらす贈りものの母型は、私欲を満たすための釣り餌に少し似ている。

55[守]で初めて師範を務めた内村放と青井隼人。2人の編集道に[守]学匠の鈴木康代と番匠・阿曽祐子が迫る連載「師範 The談」の最終回はイシスの今後へと話題は広がった。[離]への挑戦や学びを止めない姿勢。さらに話題は松岡正剛校長へ。校長の残したOSをどう受け継ぎ、編集をどう未来へとつなげていくのか。師範の役割を超えて「継承と創造の学び」へと広がっていく。
■コップの隣に何を置くか
阿曽 これからやってみたいことってなんですか。
青井 次、[離]に行くことは決めています。[離]を乗り越えないと見えないものが絶対にあるんだろうなと。師範のみなさんも[離]を経験した方ばかりなので、私とは見えているものが違うんじゃないかと感じる場面が多かったです。そういう見方ができる自分になりたい。今ここで飛び込まないと、と思っています。
内村 その[離]に火元で戻ります。大切にしたいのは校長が創り上げたイシスという学びの場を継承し、各人が自分と世界をいかにして繋げていくか。そして校長が『知の編集工学』で「世界モデルが摩耗している」と語った危機感を他人事にせず、表象し続けるか。みんな[離]に行ってほしいですが、奥に進むごとに学びは深化します。[守]学衆であれば[破]に行けば、より社会変革を孕むお題が用意されている。いわばコップの隣に何を置くかです。最初はコップの横に水やペンしか置かなかったけど、次第にコップで世界を語り、コップの歴史的現在に浸る。世界との接続が複層的になっていく感覚です。
青井 間をあけずに次に進む方がいいということがすごくよくわかりました。[守]から[破]へ、[破]から[花]へ、そして師範代へ、とにかく間をあけずにやる。編集を止めない。イシスから離れると日常からお題を見つけなければならなくなる。常にお題が与えられる環境があると編集的な自己でいられるんです。師範がまさにそうで、そういう場に身を置けるのは幸せだと思います。ふだん大学や研究の場に身を置いていますが、これほど熱い学びの場はなかなかないっていうのを、学衆や師範代の時もたびたび思っていたので。
内村 他の師範の振る舞いに学ぶことが多かったです。守ボードには、自分のことよりも編集的な価値が生まれる方へ向かおうという雰囲気があって。それを真似てやらせてもらいました。
康代 編集学校から離れると日常や生活があります。その生活の空間は閉じられているし区切られているように感じます。編集学校と並行してやっていると、常に評価やスコアが出入りしてるから広がりを感じられる。
青井 イシスでの評価と、日常や仕事の評価は質が全然違います。質というか物差しが違っている。だから並行してやるのはすごく重要です。破を勧めても、「今は忙しいから難しい」と言われることがあるんですが、忙しい時だからこそ意味があります。自分が実際やってみて、よく分かります。違う物差しで見るということを忘れないためにも、イシスから離れないことは大事です。
康代 編集的なモノと行ったり来たりできるんですね。主題ではなく、方法で考えられるようになる。どんな忙しい状況でも、守の師範ってやれないことはないじゃないですか。同じように学衆や師範代もできるはず。大丈夫だと思っています。
阿曽 松岡校長が亡くなって1年が経ちました。8月には自伝とも言える新刊も出ました。
内村 松岡校長が亡くなって影響力が落ちるんじゃないかという懸念があると思うんですよね。でも、55[守]の学衆を見るとあまり影響を感じないという気がしました。『世界のほうがおもしろすぎた』が出た後も、「新しい本、楽しみに読もうと思います」という声を聞ききました。
康代 校長がよく「知識を編集するんじゃない、編集を知識にする」と話していました。社会がそれに近づいてきたのかなって思ったんですよ。
内村 チャットGPTで教科書的な知識は得られますからね。だからこそ、そのハンドリング技術みたいなものに関心が向くのはあるかもしれません。
康代 学衆は本当に生き生きとお題に向かっている。なぜだろうと考えると、守のお題は忘れてきたものを思い出させるんです。でも本質的にはものすごく深い。離とつながっている。校長も「このお題にはヴィトゲンシュタインが入ってる」などと言っていた。それをあえて見せないのが守。思想から入って考えるのではなく、公園から入らなくちゃダメなんだって校長は話していた。日常から入らないとダメだって。これが守のお題。
青井 ふだん知っていることをベースに、少し視点を変えればできるように守のお題は作られています。知識がないからできないとか、教わらないとできないということがない。もともとできていることを捉え直すというか、見方を変えて知識に変えていく。そういうプロセスで編集学校のお題って組み立てられているんですね。
内村 守のお題は自分の扱えるサイズの中で回答していくのだけど、突き詰めると実は世界知や生命ともつながっている。逆から入ると、概念的な話になって現実との接地が見えにくくなる。でも守から入ると、この世界知の具体例はコップや公園ですって言えるところがいいんですね。自分のサイズ感ということは、アフォーダンスといった身体性が高い。誰にとっても実感をもった編集が起こしやすいんですよね。
康代 社会の中では表れないものが、お題の中で表れて世界知とつながっている。それが開け伏せのように後からやってきたりする。本も読みたくなるし、鍵穴が広がっていくっていうか。読む本が変わりましたもんね。
青井 全然本棚が変わりました。哲学も、経済も、SFも、イシスに入るまでは読んだことがありませんでした。お題があることで、本と本とがどんどん繋がって、読みたい本がまた増えていく。
康代 本を読んでいると思考が動いていく。その元が松岡正剛というOS。そこに戻りながら読むという感じになるんでしょうね。今後も校長の著書の復刊は、かなりするんじゃないかな、文庫化とか。今はもう出てない本ももう1回出してほしいですよね。今回の感門之盟はまさに「遊撃ブックウェア」だし。
内村 『世界のほうがおもしろすぎた』を読むと、校長はちっちゃい頃、こういう注意のカーソルを持ってたんだなと感じ取れます。その視点で守のお題をみると、稽古によって校長のワクワクに満ちた好奇心ごと再生されていくようです。それは目の前のものに対して、なぜ、どのように、こうなっているの? みたいな、工学性・方法へのカーソルでもあります。
康代 本当、プルースト『失われた時を求めて』のマドレーヌじゃないんだけれども、校長の体験ごと抜き出せるようなお題になっている。校長の記憶を引き出せるというか。お題が抜き型みたいになってというのもあるのかもしれませんね。
■談後記■ 触媒、メディア、アンダーシナリオ、松岡校長のOS……。たくさんのキーワードが飛び交った「師範 The談」でした。最も印象に残ったのは「コップの横に何を置く」という話でした。[守]の最初の編集稽古で、すでに編集的世界観へとつながる鍵が手渡されていたのですね。
創守座の帰りに師範数人で食事をし、挫折も含めて語り合った――そんなエピソードも語られました。方法で通じ合う仲間同士のテーブルには、きっといくつもの“コップ”が並んでいたことでしょう。
いくつもの編集を並行する師範。一人では困難でも、仲間がいるからともに方法を持って歩んでいける。その光景こそ、松岡校長のOSが今も生きている証です。55[守]を卒門されたみなさんは今、コップの横に何を置くのでしょうか。(景山和浩)
青井隼人(55[守]師範) 内村放(55[守]師範)
阿曽祐子(55[守」番匠) 鈴木康代([守]学匠)
アイキャッチ:阿久津健(55[守]師範)
写真:北條玲子(55[守]師範)
構成:景山和浩(55[守]師範)
イシス編集学校 第56期[守]基本コース募集中
申込締切:2025年10月12日(日)
稽古機関:2025年10月27日(月)~2026年2月8日
詳細・申込はこちらから
https://es.isis.ne.jp/course/syu
イシス編集学校 [守]チーム
編集学校の原風景であり稽古の原郷となる[守]。初めてイシス編集学校と出会う学衆と歩みつづける学匠、番匠、師範、ときどき師範代のチーム。鯉は竜になるか。
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