「ピキッ」という微かな音とともに蛹に一筋の亀裂が入り、虫の命の完結編が開幕する。
美味しい葉っぱをもりもり食べていた自分を置き去りにして天空に舞い上がり、自由自在に飛び回る蝶の“初心”って、いったい…。

ChatGPTの最新モデル「GPT-5」が登場し、いよいよAIとの共生方法が問われるようになってきた。特に意識せずとも、AIを活用した技術にすでに囲まれて暮らしている私たち。こうした時代において、AIがもたらす情報群の中から適切に意味を取り出し、思考に生かしていくためには、どのような能力が必要とされるのだろうか? そして、そこに「編集力」はどう関係するのか? 2025年9月20日に開催されたイシス編集学校(運営・編集工学研究所)修了式での特別対談を、ダイジェストでお届けする。
編集工学研究所のブックサロンスペース「本楼」にて。壇上左から、奥本英宏、田中優子、安藤昭子。(以下、撮影:後藤由加里)
◉登壇者
田中優子(イシス編集学校学長/法政大学名誉教授・江戸文化研究者)
安藤昭子(編集工学研究所代表取締役社長)
◉ファシリテーター
奥本英宏(イシス編集学校師範/リクルートワークス研究所アドバイザー)
奥本:田中学長と安藤さんは、AIを自分の能力を生かす「道具」として使いこなすべきだという点で、お二人とも積極的なお考えをお持ちです。そのうえで、田中学長はご著書の中で「私たちはもっと自分のもつ編集力について自覚的になる必要がある」とコメントされています。
田中:私自身、今はまだ翻訳や調べものでAIを使う程度なのですが、これを本格的に使いこなすとなると、自分の頭の中、もっと言えば心がどう動いているかを知る必要があると思うんです。これまでのAIは「捨てられた選択肢がわからない」というのが最大の問題でしたが、結論に至るプロセスが公開され始めたことで、いよいよ人間側の判断力が問われるようになってきました。そうなると、論理的な思考に留まらず、感情面も含めた頭の動き、心の動きを自覚的に捉えるという意味で「編集力」を高めておかないと、AIに引きずり込まれると思うんです。
奥本:その点について安藤さんは、コラム「連編記」vol.13「鏡」のなかで、「AIとの鏡像関係を外側から捉える回路が必要だ」とコメントされています。
安藤:まず前提として、AIについては面白がりながら使い倒したほうがいいと思っています。ただ、AIと人間の関係は、鏡に映った姿をお互いに見合っているようなもので、無自覚に付き合うと自分自身の思考を大変狭いところに追い込んでいくリスクがあります。そこに陥らないためには、この関係を外側から捉える「メタレベルの回路」が必要になると思いますが、人間の思考の動きというのは、本来、捉え難いものです。
田中:そのことに、松岡校長は早くから気づいていましたね。
安藤:そうなんですよね。イシス編集学校の「守」(基本コース)のお題は、この外側の回路を自分の中に保持しておくうえで、大変有効な編集稽古になっているんです。自分の思考プロセスの中に入っていって、師範代の指南を受けながら思考を逆にたどり直す訓練をする。これが自分の思考に対する「リバースエンジニアリング」になっていて、そこでの気付きがメタレベルの回路をつくってくれるんですね。AIとの適度な距離感を保つために、こうした編集力は人間が自身の思考を守るための強力な命綱になります。
奥本:なるほど。AIに引っ張られないように「自分」を強く持とうとすれば、かえって自己を客観視しづらくなると思うのですが、そういう意味でもメタレベルの回路を自分の外側に持つというのは、大事になるのでしょうね。
田中:その具体的な方法論としては、安藤さんがお書きになった「連編記」が参考になります。大事なキーワードが2つあって、一つは「見立て」。もう一つが、自己を「述語」にするというもの。今日は私もこの話が聞きたかった。
安藤:ありがとうございます。「見立て」は、いわば対象物との撞着から外れる技術です。「A is B」ではなく「A as B」と見る。イシス編集学校の編集稽古では、軽い遊びのように「見立て」のお題に取り組みますが、そんな感じでAIが言ったことに対しても、「お、そうきたか。じゃあこっちはこう見立ててやろう」と、お互いをずらしながら「見立て合う」関係を築いていけたらいいと思います。AIに答えだけを委ねる構えは、絶対にやめたほうがいい。あっという間にエコーチェンバー現象に取り込まれて、ぐるぐる巻きになってしまいます。
田中:本当に簡単に起こりますよね。私もAIとのやりとり中に、「ところで先生は……」って突然呼びかけられて、びっくりしました。私が発している言葉の断片から「この人は先生だ」とAIが判断して、そうやって呼びかけられることで、自分が何者であるかが強化されてしまう。はっとして「優子さんでお願い」と言いましたが、これで自分が「先生」のつもりになっていってしまったら、これもエコーチェンバーの一つですね。
安藤:まさに、ぐるぐる巻きになりかけた体験ですね。こうした現象を上手にかわすために意識しておくといいのが、田中学長がもう一つのキーワードとして挙げてくださった、「自己を述語にする」という考え方です。AIは綻びがなくて強力ですから、それを「強い自分」で受け止めようとすると、関係がおかしくなってしまいます。だから、自己を確固たる「主語」としてではなく、どうとでもなれる「述語」に据えて、ものの見方・捉え方を変幻自在な状態で保っていられれば、AIに妙な染まり方をしなくて済みますし、柔らかな防御壁になると思います。
田中:最近アメリカで、AIが原因で自死につながったというニュースがありましたね。エコーチェンバーの作用でどんどん追い詰められることは、ありえると思います。
安藤:そうしたものから自分を安全に保っておくための「生体膜」のようなものとして、「見立て」や「述語的自己」を使って自在な自己でいられる編集フィルターを常に携えておくことが、これからますます大切になると思います。
奥本:変幻自在という話が出たところで、田中学長が出版予定の書籍で引用されている、2024年ノーベル文学賞のハン・ガンさんの受賞スピーチに触れたいと思います。「最も暗い夜においても、私たちが何者であるかを問う言葉があります。それはこの惑星に住む人々や生き物たちの一人称の視点の中に入り込むように想像するよう促す言葉であり、私たちを互いに結びつけるものです」というものです。
田中:このスピーチに私はとても衝撃を受けました。読むことで他者になりきる瞬間が訪れるというのは、単なる共感や想像力とは別のものです。これが文学の力だとあらためて感じました。
安藤: AIは模倣はできますが、「感じる」という機能がない以上、「他者の一人称になる」感覚までは持てないですよね。人間に備わっている、考えるよりも先に感じ取る情感や、別の存在になりきれる共鳴力のようなものこそ、編集力の根幹を支える力だと思います。
奥本:なるほど。AIでは到達できない、考える手前の感じるセンサー、「他者の一人称」に入る感覚を持つ。そうすると、人間の編集力には、先ほどの生体膜のような「守り」と、人間にしかできない「攻め」の両方が必要なのかもしれませんね。「攻め」という観点から、最後に一言ずつお願いします。
安藤:自分を保つための「守り」の編集力は、AIとの距離を見誤らないために必要です。ただ同時に、AIの出現によって人類は自分自身を根本的に捉え直す、またとないチャンスの前にいるとも言えます。AI技術の加速は、仕事を奪われるといったことに留まる話ではなくて、「人間は一体何をするのか? 人間とはいかなる存在か?」ということを組み立て直す契機になると思います。これを真っ先に担っていくのは、やはり編集力を携えた人たちなんだと思います。
田中:適度な距離感はもちろん必要ですが、AIへの好奇心は抑えなくてもいいと思います。私も好きで、どんどん使っていますから。ただしそこには、必ず「人間とは何か?」という問いが返ってきます。そして、もう一つ問題になるのは社会です。社会に対して私たちはどう向き合ったり、抗ったりするのか。右や左といった二項対立や分断に陥らずに、いろんな方法を試さなければいけない時代にどんどんなってきています。そのときにAIを使うにしても、「相手が言うことも正しいんだ」という前提に立って、対話をどう編んでいくのか。何かと何かの「あいだ」をどう捉えるのか。ここでも編集力が生きてくると思います。
奥本:AIと向き合うことは、結局、自分自身をどう編集するかという問いでもあるわけですね。田中学長、安藤さん、本日はありがとうございました。めくるめく時間でした。この対談が、これから編集力を身につけようと考える方々にとって、ヒントになればと思います。
執筆:渡辺敬子
編集:山本春奈
(※)対談の模様は、イシス編集学校のYouTubeチャンネル内、こちらの動画でもご覧いただけます。
2025年10月開講:イシス編集学校「守」コース
編集工学の「型」を学べるオンラインの学校、イシス編集学校「守」コース(第56期)は10月12日申し込み締切です。お申し込みはこちらから。
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イシス編集学校 第56期 「守」基本コース
応募締め切り:2025年10月12日(日)
稽古期間:2025年10月27日(月)- 2026年2月8日(日)
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山本春奈
編集的先達:レオ・レオーニ。舌足らずな清潔派にして、万能の編集ガール。定評ある卓抜な要約力と観察力、語学力だけではなく、好奇心溢れる眼で小動物のごとくフロアで機敏な動きも見せる。趣味は温泉採掘とパクチーベランダ菜園。愛称は「はるにゃん」。
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(市川春子『宝石の国』講談社)
2025-09-30
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