2026新春放談 其の弐 ─田中優子学長が語る松岡正剛の再編集

2026/01/03(土)08:30 img
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遊刊エディストの新春放談2026、今日は2日目、其の弐 をお届けします。新春早々、田中優子学長が編集部の面々と語り合いました。師範代初登板を果たした田中学長の2025年、そして、2026年に賭ける思いはいかに?!

 

◎遊刊エディスト編集部◎
吉村堅樹 林頭, 金宗代 代将, 後藤由加里 師範, 上杉公志 師範代, 松原朋子 師範代


吉村 優子学長は、2024年9月から学長になられて、なんといっても2025年には、初めて師範代をつとめられました。

田中 忘れられない年になりましたね。その前の年に松岡さんが亡くなって、[花伝所]に入って、年が明けてから師範代をつとめました。

吉村 2025年4月開講の55[守]でしたね。

田中 そうですね。師範代とはどういうことなのかは、[花伝所]で訓練はしているのですが、実際にやってみると時間に追われるし、何時までにこうしないと、ということもはっきりと意識しながら、でもやっぱり[花伝所]で訓練した時のように仮想の人ではなく、生身の学衆さんと向き合いながらですから。それぞれ回答が違うし、振り返りがものすごく長い人もいるし(笑)、みんな面白いんですよね。そういうことをはじめて経験したことは、私にとって大きかったです。まず、一人ひとり違う人間だというのは当たり前のことですが、実感します。

 

吉村 イシス編集学校での指南は、大学で教鞭をとることとは全く異なる経験ということでしたね。


田中 教育界にいたのになかなか実感できなかったのは、一方的に講義することが多かったし、ゼミでも課題を出したら、水準を求めますから、だいたい同じ回答を求めてしまうんです。師範代としての指南の経験は、だめだしする、ということとは全く違った経験だったんですね。2025年は初めての経験ができた大事な年でした。

後藤 教室は、酒上夕魚斎教室(さけのうえのゆうぎょさい)という名前で、10人の学衆さんとともに走り抜けられましたね。師範代を経験した後で、新たに気付かれた松岡校長の方法はおありでしたか。

 

 


田中 ありましたね。それは、一方的に教えるのではない方法を最初から構想していらしたということですね。それから、方法という言葉、インタースコアという言葉を使っていらっしゃるけれども、それは概念ではなく、実際のやりとりを言っているわけで、インタースコアといったときに一つの基準で相手を判断しない、ということです。複数の基準で学衆さんを判断するときに、ここはすごいねといいながら、ここはもうちょっとね、と両方言ってみたり、問いを発したりする。つまり複数のことを同時にやっているわけです。人間関係の中で複数の側面で関わっていくということが、方法化されているんです。これは、従来の教育の方法にはないものです。教育は、一方的に教えて育てるので、学習要領はあるけれども、そこに方法はないんです。方法は、人間と人間の間をつなげる、もっと言えば、自然界と人間の関係の方法、宇宙と人間をつなげる関係の方法でもあるんですね。方法というのはただのノウハウのことではないですね。こうした方法の持っている言葉の広さをとらえながら関わりを持っていくことが、こんなに重要なことだということを実感しました。

吉村 [花伝所]では、村井宏志錬成師範からの指導もあって、師範代の指南は添削ではないのだということを気づいたとおっしゃられていた。では、実際に教室で生身の学衆に向かい合ってみたことは、優子学長にとってどんな体験になりましたか?

田中 私は教えるという言葉が好きじゃないんですが、学ぶ、学びあう、理解できる、心から何かを思える、相手のことを思える……。こうしたことは、人間関係の中でしか起こらない、ということなんですね。そのことが、今は忘れ去られるようになってしまっています。つまり、数で評価しちゃうでしょう? いくら集めました、何人集めました、と。教育の世界でも同じことで、受験生は何人です、っていう競争をやるわけですよね。しかし実際には数ではカウントできない人間関係が大事です。それを大事にしようと思っている組織って、私が関わっている様々な女性の組織の中にも現実にあるんですね。大きい組織ではないけれども、確実にある。今の世の中ではそういう組織を大事にしていくことは必要なことなんですね。

 

上杉 江戸に、なにか類似する現象がありますか?

 

田中 かつて江戸時代では、それは村のコミュニティの中にありました。村のコミュニティというのは、一人ひとりの関係、それぞれの関係の中でしか成り立たないんですよ。それをおろそかにすると、どこかから崩壊しますから。だから本来は人間関係の中で新しいものを作るとか、次の社会に行くことを積み重ねてきたんですね。多分人間は、まあ人類はと言いましょうか、それを積み重ねてきたんだと思います。ですから人類が巨大なマーケットを相手にするなんてことはあまりなかったわけなんです。むしろ人間関係の中でのコミュニケーションで積み重ねてきたことが、人の脳を発達させてきたのだろうし。その中で言葉が大事にされてきたんだろうし、育ってきたんだろうしと思うんですね。ですから、それがもし数のカウントと量的な金額的な競争、それらにだけ依拠する時代があまりにも長くなると、人間は相当退化するんじゃないかなという感じがあります。人間関係を大事にするときに一番脳が働いているということを、師範代を通じて実感できた気がしています。

吉村 コミュニケーションは、アソシエーションと言い換えることもできますよね。アソシエーションはお付き合いですから。そして、アソシエーションは関連づけや連想でもある。つまり、同一化できない他者との対話によって、私たちは磨かれていく。洗練された社会というのは、本来そのようなものであるはずです。教室で師範代として学衆にお題を出して、指南をするというコミュニケーションの中で、アナロジーや類推が動いていることを感じられてきたんじゃないですか?

田中 そうですね、相手に何か大事なことを伝えないといけない時に、まさにアナロジーを使いました。講演をするときもそうですが、はっきり言えないことがあれば、そこにどういうアナロジーをつけるか。なかなか理解できないことがあった時、理解していただけない時に、そこにどういう言葉を挟むか。そういうことで私たちはかなりの脳を使うんですよ。人間関係って難しいでしょう? 難しいから脳を使うので、簡単に済まそうと思ったら退化しますでしょう?

吉村 現代は誰でもわかるような説明責任を求められる社会になっています。しかしそうすると微妙なニュアンスがそぎ落とされてしまう。複雑なものを複雑なまま伝える力が退化してしまうようにも思います。

田中 グローバリズムは大事なことだと思いますよ。『グローバリゼーションの中の江戸』の中でも書いていますが、江戸時代だって世界に広がっていくとか他の世界から情報が入ってくるのは大事なことでした。それは大事なんですが、今は世界全体で同じ言葉を使いましょうとなっているけれども、それが変なんです。コンプライアンスもそうですが、色々な言葉がビジネス界で統一されてきていますよね。そのようなことはできれば避けなければいけないんですね。お互いに理解はするけれども、これは私たちの文化ではこの言葉で伝えますというように翻訳しないといけないんですよ。今は、ヨコ文字の翻訳を怠っているんじゃないかと思うんです。戦前のように英語はだめですという話ではなくて、何か言葉が入ってきた時に日本語ではこうしようということがあってもいいし、それによって理解や感情的なやりとりが進んだり、人間関係のなかにそういうものが入ってくるということもあるはずなんです。それを、あまりにもアメリカ的なやり方に依拠する、それが正しいと思っているのではないでしょうか。でも、それは正しいわけではないんです。

というのは、「世界たち」という言葉を松岡さんがおっしゃったことを、ものすごく痛感しているんですね。様々な日本があって、様々な世界があるので、その多様性を受け取って私たちは生きていかなければ。それは他の人たちのありようをちゃんと認めたり、容認したりそこに入っていくと同時に、自分たちはどうするのかを決めないといけない。決めないと、あっちのやり方をそのまま使おうかとか、その言葉をそのまま使おうかとやっている間に、なにがなんだかわからなくなります。そこを、日本語ではこうしようという考え方、日本ではこうしようという考え方。これは国家主義ではないんです。国家主義はナショナリズムですが、これは日本語主義というのかな、むしろね。日本語で表現すると、もっとすごいよ、ということかな。それをやりたいですね。

吉村 もともと江戸の学びでは、ビフォア・アフターでどう変われるんでしょうか、どんな資格をもらえるんでしょうか、ということではなく、聖人になるために学んでいた、と優子学長は言われていました。聖人というのは、どんな人かはわからないけれども、とりあえず人間として、より立派な人間になることを目指しながら学んでいたと。

田中 それはお金だけ稼げれば一人前、ではないですよね。生活できないと困るけど、それよりも大事なものがあるでしょうという共通認識がありました。それは大人という言葉でもないんですよ。大人と子供の区分けもはっきりしていないんですから、今の中学生ぐらいから丁稚に入って働いているけれども、大人ではない。そういう風に成長はしていくけれども、じゃあどういう人間がいい人間なのかといえば、別段大人になれば立派になるわけではないことをみんな知っているわけなんですね。とんでもない人たちもいるから(笑)
じゃあ、何が大事かというと学問の中で提示されている人間像なのだということがみんななんとなくわかっている。それは学問をしないとわからないこともわかっている。ですので、学問をすることで、まだ自分が知らない立派な人間像が分かるかもしれないから、とにかく学問をしたい、となるわけです。だから学問のある人、偉い人は、人間として立派な人だということがあります。

 

松原 それが今は薄れてしまっているのですね。

 

田中 ただ、それは江戸時代だけじゃないんですね。本当は日本の地方ではずっと続いています。石牟礼道子さんの本の中でも出てくるんです。水俣の患者さんたちが言っている“えらか人”は、江戸時代の人がイメージしていたものとほとんど一緒なんです。だから、えらい人というのは、人間として立派なお人。だから私たちの苦しみもわかってくれるだろうということで、色々な人に会いに行くわけなんです。例えば、チッソの社長さんはえらい人。当時の政務次官、政治家、首相はえらい人。えらい人にあえば、苦境をわかってくれるはずだと行くと誰もわかってくれないというんですね。それで、この日本は変だと思うわけですね。これを読んで、私は、えらい人とはどいう人なのかをわかっている人が生きていたのだということがわかりました。

吉村 いろいろなところで分断というか、対話ができないぐらいに乖離していることが生まれ始めていると感じています。価値観に差異はあったとしても、まずは対話の地をつくる訓練は必要ではないでしょうか。

田中 それから、コミュニティについていえば、コミュニティが崩壊してきて、もう崩壊の最終局面じゃないかと思うんです。それは何を意味するかというと、食べるものがなくなるということでもあるんです。
私自身は団地がコミュニティだとは思っていません。それは、江戸時代的なコミュニティではなく、そこに暮らしているだけですね。本来のコミュニティというのは、生産共同体です。生産共同体というものが、どんどん崩壊して高齢化して子供たちがそれを保たないとすると、私たちが食べ物を失うことと同義になります。今の日本の自給率はカロリーベースで38%。それは単にカロリーベースなので、食べ物の種類を加味すると低くなるんですが、さらに低くなる可能性があります。それは、私たちが飢餓になることを意味します。ちょっとした戦争状態でも、海上封鎖が起こったら輸入品も止まりますし。何人かの評論家の人たちは、今年の正月はおいしいものをたべておいてくださいね、来年どうなるかわからないですから、と言い始めています。それはコミュニティが崩壊していなければ、そうはならないんです。ある種の戦争状態になっても、江戸時代なら自給率100%なので、飢えない。今なら飢えるんです。コミュニティの崩壊が、単なる理念的な問題ではなく、私たちの生命にかかわる問題になっているんですね。そういう風にコミュニティの崩壊をとらえなければならないわけですね。相当深刻な話だと思っています。

松原 危機感を持って考えないといけないですね。

田中 日本語のコミュニティということでいうと、イシスのようなコミュニティがあって、言葉を介してやり取りをしながらそれを高めているということになるので、言葉を高めるのは、理念を高めていく、イメージを高めていく、比喩力を高めていくことと同義なので、単に言葉が増えるのではないですね。考え方が変わっていく、編集能力が高まっていくということなんですよ。
こういうコミュニティはすごく重要。例えば、学校教育は学校ってコミュニティかというと、そこはあやしいものがあって、一時的に卒業の後を考えながら学校に行っています。イシスの場合は、そういうことではないので、学びのコミュニティとして継続することができます。継続することによって、ある種の日本語編集能力、それを通じて編集能力を開くことを、継続する必要があります。

金 確かに、イシス編集学校はポリロールを重視しているので、いろんな役割の中で学びを継続することができますね。

 

田中 高齢化社会が進めば進むほどそれが大事なことで、高齢者の認知の問題はどこでどうなるかはお医者さんに聞かないとわかりませんが、少なくとも、新しい日本語と出会って、新しい表現と出会って、新しいことを考えることが持っている大きな役割があると思います。年齢に関係なく、イシスのコミュニティにいることが大事なことだと思っていて、多くの方がそのコミュニティに属している必要があると思っています。
大学や高校だと卒業してさよならですが、イシス編集学校については、そういうところではない。むしろずっといることができますね。ずっといることによって、[守・破・離]も終わったけどまだいます、今度はこのクラブに入ります、あそこにいます、ということができますよね。学びのコミュニティですから、むしろそのほうが大事だと思っているんです。それは次に何をやれば、自分がひらかれていくのかが、予想がつくとか、人間関係がそこで作られるとか、ここだけではなく、イシスのコミュニティが取り囲んでいる芸能の世界の師匠についていく人たちもいますよね。周辺の広がりもある。そういうコミュニティを創っていくことが、日本語を守って、日本語を発展させていく上でも、能力を継続させていく上でも、重要なことなんじゃないかと思います。

吉村 2024年末にスタートした[多読アレゴリア]では、多種多様なクラブが動いていて、現在16クラブあります。優子学長には江戸から日本の方法を学ぶEDO風狂連を監修していただきました。後藤さんは写真を深める倶楽部撮家をやっていたり、森山智子さんの着物コンパ倶楽部などもあります。そこから生産共同体というか、食物や農業や漁業とも関係できるようなクラブもイシスから考えていけるんじゃないでしょうか。

 

田中 なるほどね、食糧生産のクラブ!イシスのみなさんには特別価格でお届けします、とか!(笑)

吉村 スゴイ世界観ですね(笑)。もちろん、日本のいたるところで食糧問題に対する問題意識が高まってもらいたいですが、イシス編集学校から、活動を支援したり、広報を手伝うことも、書物を通し、編集という考え方を通しながらできるのではないかと思います。

田中 イシス編集学校が書物の共同体、言葉の共同体であるだけでなく、実生活の共同体につながっていく、というのはおもしろいですね。コモンズという考え方が広がっていて、資本主義の次は共産主義でしょうということではないことを、みんな分かっています。では、今のような社会ではない社会はどういうものかというと、もっと小さな社会がたくさんある、江戸時代のような社会なんですよ。そうすると、何かに管理されるわけではなく、土地も水も、私たちが必要なものを共有していくという考え方がコモンズですが、イシスのコミュニティに似たような感じがするんですね。

私は『不確かな時代の「編集稽古」入門』のなかで、松岡校長が示された「問感応答返」のモデルを何度か引用しました。なかでも「返」というのは、相手に対する返だけではなく、世界に対して返すことでもある。では世界に対して返すって何か? ということをいつも持っていないといけないんですよね。私はあなたに対して返事をする、それは世界に対しての返事なのだ、という意識をもちつづけるということだと考えます。

 

後藤 イシス編集学校の中でも、「問感応答返」のモデルを多角的に検討して、言語化して、学びのコミュニティの面白さをつくっていけるといいですね。

 

田中 いいですね。2025年には、もう一つ、とても大きなことがありました。師範代を経験したことと同時に、学長として、イシスをこれからも継続させていくことを考えていました。そこで今申し上げたように、『不確かな時代の「編集稽古」入門』という題名で最終的にまとまりましたが、どうしても本を出さないといけない、と考えていました。これを師範代と同時並行でやっていたんですね。

 

『不確かな時代の「編集稽古」入門』(11月13日発売)、田中優子著

 

田中 編集者とのやりとりもすごく複雑でした。しかも、その本の中に掲載する私の言葉だけではなくて、今までいろんなことを経験してきた師範代や師範や学衆や、エディストに編集されていた言葉も、いろいろな方々の言葉を取り入れましたので、その方たちと向き合いながら編集した感じがあります。これは、今までと違う本の作り方でした。つまり私は、自分の本を作る時には、自分の考えと自分が読んだ本をもとに、自分の文章で本を仕上げればよかったわけなんです。しかし、今回の『不確かな時代の「編集稽古」入門』は、いろんな方がそこに加わってくださった本として出したんですね。それは最初からそれが必要だと思っていました。私の経験だけでは足りないと思っていたからです。

私も[守・破・離]と全コースで学びましたが、[守・破・離]ではこうでしたと書いただけでは、やっぱり一人の経験でしかないんですよね。ですから、そうではなくて、それを経験した方々が実社会でどう活かしたのか、ということを伺うことが大事でした。特にエディストで連載されている、チーム渦の皆様が綴るISIS waveシリーズに触発され、言葉や考え方をお借りしました。これからも、イシス編集学校や編集工学研究所の他の様々な分野についての本を書いていきたいなと思っています。でもとにかく、最初の一冊ができた忘れられない一年でございました。

 

吉村 非常に大きな変化ですね。

 

後藤 編集学校で学ぶ方々の中に、松岡校長を知らない人が増えています。これからどう伝えて行ったらいいのか、また優子先生と考えていきたいと思いました。

田中 今までは松岡校長が発信していたので、他の人は発信しなくてもよかったのかもしれません。これからそうはいかないので、イシス編集学校として発信していく必要があります。松岡校長の映像も言葉もあります。それを、外に出すこともできます。ここは私自身とても難しかったんですが、優しく伝えようとするけれども、簡単にしようとすると中身が変わっちゃうから。それを時代の変化とともに言葉を加えて、もともと持っている言葉を変えないで、こっち側から見るとこういう意味で、あっちから見るとこういう意味で、というように、いくつかの方法から言うことで、言葉の本質を変えないで済むかなと。こんなふうに松岡さんを伝える方法を私たちは開発しないといけないんじゃないかと思いながら本を書いていました。そうじゃないと、途切れてしまうから。

 

吉村 私自身も、あらためて松岡正剛の再編集に力を入れることが必要だと考えています。陳腐化させるのではなく、松岡正剛の編集工学、編集思想を伝える方法を開発していき、発信していきたいです。2026年、優子学長が考えられていることやイシス編集学校への期待はありますか?

田中 ひとつは、今ある社会の次の社会をイシスが構想できるかどうか。
12月には鈴木健さんと対談しました。鈴木健さんとその周辺のオードリー・タンさんなどが考えているのは政治の世界の多様化なんです。もっと多様な方法がありうるでしょうということ。でも提案したって、今の政治の世界ではなかなかそれが採用されないことがありますが、提案していくということは大事なことなんですね。コモンズやコミュニティにしても、提案し続ける。イシス的なコミュニティを提案し続けることですね。

鈴木健×田中優子緊急対談「不確かな時代の方法としての政治~PLURALITYと相互編集~」

 

田中 もう一つは、実社会の仕組みを変える突破口になると思っているのは、物語です。オペラ・プロジェクトの再開といいますか。物語を使うことで、概念や論理だと近づきにくい人が、物語になら近づくことができます。物語はひとつではだめなんです。すごい数の物語が必要で、それが多様化につながります。こういう物語もある、ああいう物語もあるよというように、物語をどんどん発信していくことで、世界に多様性を創っていく、日本の多様性を創っていくことですね。当初は受け入れられないとしても、提案しておくことがまさに大事です。


吉村 面白いですね、提案力と物語力が、どちらも多様化していくために必要であるということですね。

田中 ええ。松岡さんがそれをおっしゃっていました。広げないとダメだ、狭めちゃいけない、と。

松原 2026年は、ご予定されている活動はありますか?

田中 世間的な依頼に応じなくてもいいと思っていて、好きなようにやるのが26年の抱負です(笑)

 

松原 編集的自由の境地でしょうか(笑)

 

田中 ひとつは、2026年、ISIS co-missionの皆様には[守]を受けてほしいということがあるんですよ。ISIS co-missionには、[守・破・離]まで受けていただかないとね(笑)。

 

吉村 それを優子先生が師範代をやる!という構想で、よろしいですか?

 

田中 ええ、そうしないと、ISIS co-missionのメンバーは挑戦しないかと思って。


松原 いったいどなたから[守]の門をたたいてくださるか、期待してお待ちしましょう。たっぷりとお話をお伺いしました。2026年、提案力・物語力を伸ばしていくイシス編集学校にしていきましょう。優子学長のLIVE番組、酒之上夕書斎も、引き続き楽しみです。

 

 

今日はここまで。其の参 へ続く!

続いては、昨年の[多読アレゴリア]で一層の輝きを放ったMさんをお呼びしての放談です。

お楽しみに~🏇

 

 

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🎍2026年 新春放談🎍

其の壱 – イシスのネオバロック化 なめらかな境界に向かって(1月2日公開)

其の弐 ─田中優子学長が語る松岡正剛の再編集(1月3日公開)(現在の記事)

 

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。