棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
イシス編集学校の奥の院・花伝所といえば世阿弥。花伝所は、世阿弥の方法で貫かれています。その世阿弥に近づかんとするのが本書『異界を旅する能 ワキという存在』(安田登/ちくま文庫)。師範が、本書を通して世阿弥の方法を語り直します。
第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載6回目。「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる師範の声の重なりをお楽しみください。
能を大成した世阿弥は、「家をもって継ぐとせず。継ぐをもって継ぐとす」と言っている。家という形で継ぐことが大切なのではない。どんなことがあっても「継ぐ」、それが大切なのである。(65ページ)
能の伝統とは形なきものを受け継ぐことであり、西洋のように体系化されたものを継ぐことではない。日本人は固定化されたスキルよりも形なきものを相伝することに卓越していたのだ。世阿弥の教えに「初心忘るべからず」という言葉があるが、これは積み上げたものをばっさり切り、新たな生を生き直すことで、次の芸境に行けるということを示していた。培った芸を続けるためにもリセットが必要なのだ。著者は異界に出会うことで、新たな生を生きることができるのだとも記していた。異界という見知らぬ地で不足を感じることで、自己に変化が起きるのだ。この変化ごと継承されるからこそ能には生命が宿り続ける。これは編集稽古にも通じる。(林朝恵)
恋とは、それが絶対に手に入らないからこそ「恋」だ。(108ページ)
複式夢幻能においてワキはシテという異界に出会う。異界は非日常であり、いきいきとした人生を送るために欠かせない。非日常に出会うには自身の欠落を見つめる必要がある。そのための方法が「旅」だ。旅の語源は「賜ぶ」。アーキタイプは乞う旅、物乞いの旅で、「乞う」とはすなわち「恋」のこと。
編集は人や場を生き生きとさせる。教室は非日常な、異界からやってくるお題と出合う場だ。自身の不足を噛み締め、勇気を出して回答する。その気持ちのベースには未知なるものをわかりたいという憧れと恋心がある。絶対に手に入らない、終着地のない旅。だからこそ私たちはいつまでも稽古を続け、編集道を歩むのだ。(福澤美穂子)
苦海の波濤を全身に浴びてしまったとき、私たちは「ワキ的世界」に入ることを、そして異界と出会うことを望む。(196ページ)
無給の武士「無足人」の家に生まれた松尾芭蕉は、若き20代の時分、士官先で立身を遂げる道を掴みかけた。しかし、寵愛を受けた主人の死により俳諧師として立つ生き方へ思い切ることとなった。それは拒否を受容に転換させていく「隠喩化」の過程の第一歩でもあった。隠喩とは、ある事象を類似性にもとづき別なものに見立て、意味を再構成すること。アナロジカル・シンキングの主成分であり、編集工学の根幹をなす思考でもある。芭蕉のように「思い切る」ことは難しくとも、わたしたちは編集を学ぶことで、何かを負ったときその意味を捉えなおすことができる。芭蕉が晩年にたどりついた「旅を栖にする生活」も編集稽古だったのだろう。(森川絢子)
ちくま文庫/2011年6月刊/858円(税込)
■目次
序章
第1章 異界と出会うことがなぜ重要か
第2章 ワキが出会う彼岸と此岸
第3章 己れを「無用のもの」と思いなしたもの
第4章 ワキ的世界を生きる人々
アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)
編集/新井陽大(55[破]評匠)、大濱朋子(44[花]花伝師範)、角山祥道(44[花]錬成師範)
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]
#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
#03『ことばと身体』(古谷奈々、大濱朋子、得原藍)
#04『ゲーテはすべてを言った』(阿久津健、一倉広美、相部礼子)
#05『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(奥本英宏、石井梨香、北原ひでお、山崎智章)
#06『異界を旅する能』(林朝恵、福澤美穂子、森川絢子)
ISIS core project
イシス編集学校[当期師範&学林]チーム
「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#05『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』
[守]では毎期、第一線で活躍するゲストによる特別講義「編集宣言」を開催。今期56[守]のゲストは、カオス理論研究の第一人者・津田一郎さんでした。その津田さんと松岡正剛校長が大いに語らったのが『初めて語られた科学と生命と言 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#04『ゲーテはすべてを言った』
今期56[守]のミメロギアのお題は「空海・ゲーテ」。ゲーテといえば昨年、21世紀生まれの鈴木結生による小説『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)が話題となりました。第172回芥川賞受賞作を師範はどう読んだ? 第90回 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#03『ことばと身体』
花伝所の入伝式では千夜千冊10夜をもとに、道場ごとに「5つの編集方針」を作り上げます。そのひとつにもなったのが、尼ヶ﨑彬の一夜。同氏による『ことばと身体』(花鳥社)は、花目付による入伝式の「式目の編集工学講義」でも引用さ […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#02『うたげと孤心』
イシス編集学校の応用コース[破]では、課題本の中から1冊選び、他の人に紹介文を書くという稽古があります。題して「セイゴオ知文術」。今期56[破]の課題本のひとつが、大岡信の『うたげと孤心』(岩波文庫)でした。松岡正剛校長 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#01『多読術』
人間的なるものの源泉はすべて本の中にある、といったのは松岡正剛校長ですが、だとしたら私たちイシス編集学校の稽古の歩みは、「本のパサージュ」の中を進んでいるようなものなのかもしれません。 稽古の傍らにあった本、途中で貪り読 […]
コメント
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2026-02-19
棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
2026-02-17
小川の水底での波乱万丈を生き抜き、無事に変態を遂げた後は人家の周りにもヒラヒラと飛んできてくれるハグロトンボ。「神様とんぼ」の異名にふさわしく、まるで合掌するかのように黒い翅をふんわり広げては閉じる。
2026-02-10
ハンノキの葉のうえで、総身を白い菌に侵されて命を終えていたキハダケンモンの幼虫。見なかったことにしてしまいたくなるこんな存在も、アングルを変えてレンズを向けてみると、メルヘン世界の住人に様変わりする。