主語がなくなるまで歩け――54[守]師範数奇がたり

2024/11/20(水)12:04 img
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 数寄は人生のスパイスだ。その対象が何であれ、数寄は世界を彩り、その香りで人々を惹きつける――。54期[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。カレーをこよなく愛する佐藤健太郎師範が只管に歩き続けることの愉しみを語る。


 

 なぜ100㎞歩くのかと問われると一番困る。
 健康のためでは断じてない。むしろ、身体によくない。思い出にもあまりなりそうにない。100㎞がどれぐらいの距離感かを確かめたいわけでもない。自分の限界にもそこまで興味はない。もちろん、自慢話をしたいわけではない。というか、きっと話してもそれほど興味をひかない。東海道を歩く江戸時代の人々の気持ちになりたいわけでもない。ましてや箱根駅伝の気分になりたいとも思っていない。
 よく言われるゴールの達成感も今のところモチベーションになっていない。長きに渡る苦痛からの解放は嬉しいが、その喜びを感じるためにあえて苦しむという趣味もない。


 10月19日、20日、ウォーキングイベントに参加し、小田原から東京の有明まで100㎞を歩くその最中にアタマの中によぎってきた思いだ。歩く前には一切生じなかった思考の数々が道中で続々と湧きだしてくる。不思議なもので、単なる急坂だと思っていたら、一度は聞いたことのある遊行寺の坂だと分かると何だか得した気持ちになるのだ。改めて書き出してみると、辛い思いを進んでするからには合理化したかったのかとしみじみ感じる。

 今回は102.85㎞を休憩を入れて約25時間、歩いた時間だけだと22時間15分かけて歩いた。歩数は開催日の2日で160191歩、消費カロリーは6584キロカロリーにのぼる。基礎代謝を除いた約5000キロカロリーで計算すると、おにぎり25個くらい、太るからと遠慮しているカツカレー5杯分にあたる。

 

スマートウォッチによって計測した100㎞ウォークのスコアたち。時計の電池は20時間で底を尽き、休憩中に充電しながらなんとかゴールした。ちなみに小田原から東京までこだまなら35分ほど。一緒にスタートすると、向こうが東京に着くまでに、こちらは隣の二宮町にすら辿り着けない。

 

 そうまでしてなぜ歩くのか、そこに道があるからだとカッコよくいきたいものだが、そんなこと、一度も思ったことがない。そんなわたしがなぜ長距離を歩いたり、走ったりしてきたのか。それを考える手すりとなるのが、編集学校[守]のたくさんの「わたし」というお題だ。「わたし」を編集対象として捉えると同時に、「わたし」はどこまででも分節化し、組み合わせることができると実感できるお題でもある。
 歩くことに理由を求めるのは、主題を気にするいつもの「わたし」だ。そこには日頃のしがらみがまとわりついてくる。それに対して、歩く「わたし」は足を交互に黙黙と動かす、いわば述語的存在だ。一定のリズムを刻んでいくうちに足と世界の接地面に意識が向かい、いつもの自分がどんどん霞んでいく。だから、歩く前には思いもしなかった思考が紡がれ、世界を新鮮なものとして受けとめることができる。最初は気にしていた道路の距離標識にも目は向かない。足世界の時計と地図に従う「わたし」は歩くことだけが移動手段だった時代の感覚を取り戻す。

 

 なぜ歩くか、しかも、長距離を。その仮の答えがここにはある。100㎞という距離と対峙することで足、胃、腸など、いつもは従だった身体の各部分が目覚め、励起されていく。身体の枝葉末節から情報を取り入れることで、頭中心の自己が散り散りとなり、多様に組み直されていく。このプロセスが楽しいのだ。外部知を取り込んでいくという点では、「書く」にも「読む」にも、そして、編集学校にも通じる。
 次も歩くのか、そう問われるとこれも困る。高いところが苦手で、かつ、泳げないので、長い橋を歩いて渡るのはどうしても怖い。日本は川も水路も橋も多い。長距離を歩く上でなかなか避けられない。今回も酒匂川、相模川、多摩川と長い橋を渡り続けた。深夜の強風吹き荒れる六郷橋を前にしたときは本気で帰ろうかと思った。高所恐怖症の「わたし」からだけはなかなか自由になれないのだ。

 


アイキャッチデザイン/阿久津健(54[守]師範)

アイキャッチ写真・文/佐藤健太郎(54[守]師範)

  • 佐藤健太郎

    編集的先達:エリック・ホッファー。キャリアコンサルタントかつ観光系専門学校の講師。文系だがザンビアで理科を教えた経歴の持ち主で、毎日カレーを食べたいという偏食家。堀田幸義師範とは名コンビと言われ、趣味のマラソンをテーマに編集ワークを開催した。通称は「サトケン」。

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