エディットリアリティーの森【松岡正剛 revival 03】

2025/08/17(日)08:07 img img
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2024年8月12日、イシス編集学校校長の松岡正剛が逝去した。エディスト編集部では、直後に約1カ月にわたる追悼コラム連載を実施。編集学校内外から多数寄せられた松岡校長の面影は、1年経ってもなお鮮明だ。まるでその存在が読むたびに【REVIVAL/再生】するかのようだ。そこで今回、寄せられたコラムの数々をふたたびご紹介したい。お一人お一人からいただいたコラムには、編集部が千夜千冊から選んだフレーズを付け句している。読者の皆様にさらなる編集の契機としていただけるよう、36のコラム+蔵出し写真&映像をふくめ、8日にわたって公開する。

 

 

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03:エディットリアリティーの森

 

今回紹介する6本の追悼文では、松岡正剛との関係性の中から垣間見た人柄に触れ、プロフィールを柔らかく立ち上げる。「正体不明」であることを生涯貫いた松岡正剛の横顔を6名はどのように捉えたのか。

 

寄稿者:

安藤昭子(編集工学研究所 社長)

津田一郎(ISIS co-mission/数理科学者)

川野貴志(イシス編集学校 師範)

林愛(イシス編集学校 師範代)

今福龍太(ISIS co-mission/文化人類学者)

安藤礼二(文芸評論家)

 

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【追悼】「玄」松岡正剛の面影によせて

安藤昭子

松岡の仕事信条のひとつに、「宇宙には日曜日がない」という言葉があります。単に「休むのが嫌い」という意味ではおそらくなく、「宇宙」のスケールで自分の仕事のリズムを考えるというのは、人間があとからつくったルールや仕組みを取っ払ったところで世界をどう見るか、という松岡の編集思想の深いところを支える態度であったのだと思います。そういう意味において、自身の「療養中」という状況すら、「生涯一編集者」であることの前には小さなことだったのでしょう。 …

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 ぼくには自分が何かに到達したり、何か自信のある成果にさしかかったりしたときは、それを誇大に知らせるのは気がすすまず、むしろ半ばミステリアスにしたり暗示的なものにしたいと思う傾向があるのだが、それはこのガリレオとケプラーのアナグラム交信の影響があるのかもしれない。ぼくのばあいはアナグラムというより、俳諧数句を添えるという感じなのだけれど。


【追悼】デーモンから見たゴーストの“死”

ISIS co-mission/数理科学者 津田一郎

 ここ1年の様子を見ていると、カウントダウンを松岡さん自身が意識していたのだろう、”その後“に対して次々と手を打ってこられたと思う。私もその手の一つであると感じ、うれしく思ったものだ。 …

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

デミアンという神、デミアンという悪魔、デミアンというアプラクサス、デミアンという夢を生んだ母なるもの、それがシンクレールの最後に行き着いた原点であった。それはいっさいの「矛盾の分母」でもあった。そうだとするなら、デミアンとはもともと「母なるもの」が遣わしたメッセージという生きものだったのである。


【追悼・松岡正剛】大いなる抱擁

師範 川野貴志

ハグが好きな人だった。

オンラインが基本のイシス編集学校で、初めて松岡校長と対面したのは2010年5月15日、紀尾井町の剛堂会館。6離「表沙汰」でのことだった。苛烈な稽古でぼろぼろになっている離学衆を、校長は一人ひとり抱擁で出迎えてくださった。その分け隔てなさを意外に感じた。イメージよりも松岡正剛は小柄だった。そして骨っぽかった。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 出版なき編集はいくらでもあるが、編集なき出版はない。このことは本の歴史にとっては大前提なのである。エディターにとっても、これらの仕事をすることはことさらに自慢するほどのことではない。もっとも自慢もしなかったが、評価されてきたわけでもなかった。編集の歴史はほとんど丁重に無視されるか、ひそかに認められるか、あるいは半世紀ほどたってその陰の力がやっと理解されるにすぎなかった。


【追悼】校長・松岡正剛 石のざわめきを聞く

イシス編集学校師範代 林愛

 透き通っているのに底の見えない碧い湖みたいだ―30[守]の感門之盟ではじめて会った松岡正剛の瞳は、ユングの元型にいう「オールド・ワイズ・マン」そのものだった。幼いころに見た印象のままに「ポム爺さんみたい」と矢萩師範代と教室の仲間につたない感想を漏らしてしまった。ポム爺さんは宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』に登場する、石の声を聞きながら鉱山の坑道に暮らしているおじいさんだ。のちに見直してみると校長ほどの深さ静けさはなかったが。...

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 シュティフターは言う。たとえ磁針の示す数値がごく僅かなものであったとしても、それらを総合したとき、「地表全体がいわば一種の磁気の戦慄を感ずる」という事態になるはずなのではないか、それこそはわれわれ自身が「電気をとらえる感覚器官」をもっていないにもかかわらず、雷光や稲妻に感興をもつことに匹敵するのではないか、そう、言ったのである。
ここに、シュティフターの基本の哲学はすべてあらわれているといってよい。『石さまざま』もこの「地表が感じる磁気の戦慄」と「電気をとらえる感覚器官」を、少年少女のいわば心に慓く“銀の匙”に託したくて書いていた。


【追悼・松岡正剛】啐啄同機のリズムとともに

ISIS co-mission/文化人類学者 今福龍太

 

 稀なる佇まいと思-想(オモイ)をもった、得難い人だった。日常の場で会うときのふとした仕草や声のおちつきと優雅さ、それが私たちに与えてくれる涼風のような心地よさもさることながら、ともに旅した奄美大島の汀や森での些細な一挙手一投足のなかには、至高のグレースとしか表現できないマブライの「気」が満ちあふれていた。ヒトとモノとタマシイとに、同時に触れ、同時に語りかけ、それらの声を同時に聞きとることのできる稀有なる手と舌と耳とを持った人だった。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 きっと、この人は「耳の言葉」で文章が書ける人なのである。ついでにいえば武満音楽は、おそらく「耳の文字」でスコアリングされてきたのであろう。
ぼく自身は書物に耳を傾けるほうではない。どちらかといえば胸を傾ける。けれども本書は耳を澄ましながら読んだ。その初読の記憶はまだ去らない。いずれにしてもそれからである。ぼくは熱心な武満派になったのだ。


【追悼・松岡正剛】「空」のような人、「空」のような場所

文芸評論家/安藤礼二

 私は、いま、この文章を、琵琶湖を望むホテルの一室で書いている。おそらくは死を間近に見据えながら、松岡正剛氏は近江の人々との親交を深めていた。その軌跡の一部が、近江ARSいないいないばあBOOK『別日本で、いい。』(春秋社、二〇二四年四月)としてまとめられた。しかし、そこですべてが終わったわけではなかった。その書物の刊行を機として、さまざまな試みが、現在進行形で進められていた。その最中、松岡氏はこの世を去った。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 途方もない宇宙にあるのは星や銀河や銀河団だけではない。「ボイド」(void)という領域もあり、それが空っぽのくせに1億光年ほどの広がりをもつ。1981年には、うしかい座の方向5億光年のかなたに2億光年にわたるボイドが発見された。銀河集団がボイドをかこむようにして集まっているという仮説(泡宇宙仮説)も提出されている。それらを含めて、今日の天文学では「宇宙の大構造」という言い方をする。

 


松岡正剛revival

01 匠の方法・編集の鬼

02 面影からとどく声

03 エディットリアリティーの森

 

写真:後藤由加里

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。