結婚飛行のために巣内から出てきたヤマトシロアリの羽アリたち。
配信の中で触れられているのはハチ目アリ科の一種と思われるが、こちらはゴキブリ目。
昆虫の複数の分類群で、祭りのアーキタイプが平行進化している。

私は、いま、この文章を、琵琶湖を望むホテルの一室で書いている。おそらくは死を間近に見据えながら、松岡正剛氏は近江の人々との親交を深めていた。その軌跡の一部が、近江ARSいないいないばあBOOK『別日本で、いい。』(春秋社、二〇二四年四月)としてまとめられた。しかし、そこですべてが終わったわけではなかった。その書物の刊行を機として、さまざまな試みが、現在進行形で進められていた。その最中、松岡氏はこの世を去った。松岡氏を失ったメンバーは、しかし、松岡氏の意を汲んで一つの会、近江の自然の直中に本社をもつ和菓子屋、叶匠壽庵の「寿長生の郷」で「節会」を行なった。大盛況であった。
松岡氏を中心に組織された人々のネットワークが、松岡氏亡き後も見事に機能し、落語が好きであった松岡氏を笑顔で送る、松岡氏にふさわしい一つの追悼の会ともなった。思い返せば、松岡氏はつねにネットワークを創り続けてきたといえる。松岡氏が生涯をかけて探究した「編集」とは、まさにネットワークを創ることであったはずだ。ネットワークは時間と空間を超えて、人と人とを、人と「もの」とを出会わせ続けていく。その「出会い」からこそ、新しいものが生まれてくる。創造とは「出会い」からしか可能とはならない。だからこそ、「編集」であったはずだ。かつて編集者として「編集」に従事していた私もまた、そうした松岡氏が組織する「出会い」、いつも意表を突く「出会い」の場に何回か参加することができた。その度ごとに、私は自分のなかに未知なる「私」を発見することになった。
とはいえ、そうしたネットワークの中心、「出会い」の中心にいた松岡氏はつねに優しく穏やかであった。膨大な知識量で人を圧迫することなど一度としてなかった。個性を限りなくゼロに近づけた人であった。私は、そうした松岡氏を、さまざまなものをそのなかに容れる巨大な器のような人だと思った。その巨大な器とは、広大無辺な「空」である。無限をそのなかに孕み、無限をそのなかから生み出す「空」のような人。「空」であるからこそ、あらゆる人、あらゆる「もの」を、自ら作り上げた場、自らを体現するような場で、出会わせることができる。松岡氏が、仏教に関心を持ち続けたのも、教義の核に置かれた「空」を求めてであったがゆえであろう。松岡氏が組織した近江のネットワークの中心にも「仏教」が位置づけられていた。極東の列島に伝えられた「仏教」、大乗の「仏教」は、シルクロードという、ユーラシアのさまざまな地域を一つに結び合せるネットワークとしての道によって可能となった。
最澄を生み、天台を育んだ近江は、そうした大乗の「仏教」がこの列島に根付く一つの拠点となった場所である。列島の中心に穿たれた空虚な裂け目、琵琶湖という巨大な湖が、海上交通によって、列島のあらゆる地域を一つに結び合せるネットワークの結節点となる。いま、この場でこそ、松岡氏に追悼文を送りたい。私はそう思った。そしてまた、松岡氏が創り上げたネットワークが、過去と現在を一つに結び合せるだけでなく、未知なる未来にもひらかれていくことを、同じくいま、この場で断言しておきたい。
安藤礼二
安藤礼二
文芸評論家、多摩美術大学教授。出版社の編集者を経て、2002年、「神々の闘争──折口信夫論」で群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞。主な著作に、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社文芸文庫)、『折口信夫』『大拙』(講談社)『縄文論』『列島祝祭論』(ともに作品社)、『井筒俊彦 起源の哲学』(慶應義塾大学出版会)など。イシス編集学校関連では、AIDAでのゲスト講演、ISIS FESTA、「情報の歴史を読む」の登壇がある。
コメント
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2025-07-08
結婚飛行のために巣内から出てきたヤマトシロアリの羽アリたち。
配信の中で触れられているのはハチ目アリ科の一種と思われるが、こちらはゴキブリ目。
昆虫の複数の分類群で、祭りのアーキタイプが平行進化している。
2025-07-07
七夕の伝承は、古来中国に伝わる星の伝説に由来しているが、文字や学芸の向上を願う「乞巧奠」にあやかって、筆の見立ての谷中生姜に、物事を成し遂げる寺島ナス。いずれも東京の伝統野菜だが、「継承」の願いも込めて。
2025-07-03
私の28[花]キャンプは、吉阪隆正の建築思想【不連続統一体】の体験だった。場面ごとに異なる空間が次々と立ち現われてくる。よく分からないままに一周すると、ようやく建物を貫く原理のようなものが見えてくる。この「遅れて」やってくる全体性がたまらなかった。