【追悼・松岡正剛】啐啄同機のリズムとともに(今福龍太)

2024/09/11(水)08:00 img
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 稀なる佇まいと思-想(オモイ)をもった、得難い人だった。日常の場で会うときのふとした仕草や声のおちつきと優雅さ、それが私たちに与えてくれる涼風のような心地よさもさることながら、ともに旅した奄美大島の汀や森での些細な一挙手一投足のなかには、至高のグレースとしか表現できないマブライの「気」が満ちあふれていた。ヒトとモノとタマシイとに、同時に触れ、同時に語りかけ、それらの声を同時に聞きとることのできる稀有なる手と舌と耳とを持った人だった。

 

 万巻の書が彼の身体を透過していった。そのすべての軌跡が、南方曼荼羅を凌ぐほどの高次交錯線の混沌たる集積体として、彼の内部に美しくも苛烈な綾織り模様を刻んでいた。そこからくり出される知=イデアは、文法も定理も分別も乗り越える自由さを持っていた。けれどそうした知の内実以上に、その知の「象(かたどり)」、その実践的なスタイルにおいて唯一無二のエレガンスをそなえた存在だった。それがセイゴウさんの名づける「編集」であり、すべてを含みすべてを逃がす彼の究極の「空体」だった。ヴェイユなら「真空」vide と、パスなら「白」blanco と、T・S・エリオットなら「霊交」communion といったかもしれない。

 

 2017年、『クレオール主義』『群島-世界論』を含む私の著作集《パルティータ》全5巻を水声社から刊行する際、告知のために制作した西山孝司氏デザインの四つ折りの内奥見本パンフレットに、セイゴウさんは次のようなすばらしいオマージュ文を寄せてくれた。

 

「群島をまたぎ、血脈を超え、言葉と律動を同機させる知が、リュータ・イマフクにはいつも滾っている ──松岡正剛」

 

 境界づけられた既存のテリトリーからたえず身を引き離し、正統性を支える血筋というものの一貫性に対して不断の抵抗を試みてきた私自身の思索と著述のレゾン・デートルを、セイゴウさんはここでみごとな一行に開示して見せてくれた。自分自身が真にこだわりつづけていたものが何だったのか、それを私が啓示とともに再発見させられる一文でもあった。とりわけ、概念化され文字化される「言語」と、ことばに内在する律動としての「音楽」とを、私の仕事のなかに同時に見出し、その両者が「同機」の関係にあると喝破してくれたことは嬉しかった。「同機」とは耳慣れぬ言葉だが、けっして「同期」の綴り間違えではなく、それは同じ機会にはたらく繊細な相互性のことであり、この表現はおそらく禅語にある「啄同機」(そったくどうき)の核心的な意味をセイゴウさんが私にそっと耳打ちしているのだと思われた。「啄同機」とは、卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつく音に反応して親鳥が外側から同じように殻をつつき割る、そのリズムと運動が重なり合い響き合うときの、やわらかな互酬性に立った同時現象のことである。

 

 私のなかに、そしておそらくは先人としてのセイゴウさんのなかで呼応し、同機する「言語」と「音楽」、「書字」と「律動」、「持続」と「震え」。その豊かな干渉体の存在をその時私は確信し、ボルヘスのいう、片側しかない〈オーディンの円盤〉のゆらぐ二次元性が、私たちの思考の萃点(すいてん)において、不思議な三次元性、四次元性をすら指し示す神秘に、深く心打たれていた。この神秘、この秘術に依りながら語り、書き、生きていこうよ、永遠にね……。松岡正剛と私が、うつせみの時の間で最後に目配せしながら囁き合った、二人だけの合言葉である。

 

ISIS co-mission 今福龍太



  • 今福龍太

    1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。2001年より群島という地勢に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰する。著書に『クレオール主義』『群島-世界論』『書物変身譚』『ハーフ・ブリード』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(読売文学賞)など多数。イシス編集学校では『多読ジム・スペシャル 今福龍太を読む』を監修。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg