<多読ジム>Season09・冬の三冊筋のテーマは「青の三冊」。今季のCASTは小倉加奈子、中原洋子、佐藤裕子、高宮光江、大沼友紀、小路千広、猪貝克浩、若林信克、米川青馬、山口イズミ、松井路代。冊匠・大音美弥子と代将・金宗代の原稿が間に合えば、過去最高の13本のエッセイが連載される。ウクライナ、青鞜、村上春樹、ブレイディみかこ、ミッドナイト・ブルー、電波天文学、宮沢賢治、ヨットロック、ロラン・バルト、青水沫(あおみなわ)。青は物質と光の秘密、地球の運命、そして人間の心の奥底にまで沁みわたり、広がっていく。
“ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー”
11歳の息子がノートの片隅に書いた落書きをみつけた母は、ちょっとたじろいだ。何かこんなことを書きたくなるような経験をしたのだろうか。
ブレイディみかこ一家は、英国ブライトンに住んでいる。自宅は「荒れた地域」と呼ばれる元公営住宅地だ。住人の国籍も階級もまだら状態なその地域で、息子は「元底辺中学校」と呼ばれている公立中学に入学する。そこは殺伐とした現代の英国社会を反映して、苛めもレイシズムも喧嘩もある、白人労働者階級率9割以上の学校だ。両親の心配をよそに、息子はすぐに友人もでき、学校生活をエンジョイしている。子どもたちの世界は大人社会の縮図だ。貧困、差別、分断に象徴される現代の英国が抱える問題は、日本でも無縁ではない。あれこれ悩みながらも意外なたくましさを発揮している息子とともに、著者は社会的弱者の視点に立ち、英国を見つめていく。
◇「地べた」目線からの英国
リアルな貧しさが生み出す問題は計り知れない。子どもの貧困は深刻な問題だ。英国の公立校では、生活保護などを受けている低所得家庭に向けて、給食費が無料になるフリー・ミール制度がある。子どもたちは学食で好きな食べ物や飲み物を無料で受け取ることができるのだが、限度額があるため、育ち盛りの中学生は、すぐ使い切ってしまう。限度額に達してしまうと、彼らは学食で万引きを繰り返す。同級生たちが、万引きは犯罪行為だ、犯罪者は制裁されて然るべき、などと言ってなじり始め、フィジカルへとエスカレートする。正義の暴走だ。
中国人の生徒会長は、東洋系の息子のことを気にかけて、時として身を挺してかばってくれる。息子は彼のそういった行為に「差別されたら闘え」というメッセージを感じる。
息子は悩む。自分はそこまで自分を東洋人とは思えない。日本に行けば「ガイジン」と言われ、英国では「チンク」と言われるから、どちらにも属している気持ちになれない。どこかに属している人は、属してない人のことを苛めたりする反面、属している仲間のことを特別に守ったりするけど、自分はそういう気持ちもない。
人種差別に限らず、レッテルを貼ることは、貼られた人たちを特定のグループに所属している気分にさせる。怒りや「仲間感」で帰属意識を強め、社会を分裂させることにもつながっていくのだと思う。
◇脳は分かりたがる
世界規模のパンデミック、経済格差、差別と暴力が蔓延する社会を生きる我々に最も必要なのは「共感する力」だ。この共感が成熟していく過程で、常に寄り添うのが「ネガティブ・ケイパビリティ(容易に答えのでない事態に耐えうる能力)」である。
医療の臨床現場を通じて、帚木蓬生はネガティブ・ケイパビリティの重要さを痛切に感じている。
人間の脳は「知りたい、わかりたい」という性質を持っている。そのため、わけのわからないものに直面すると脳が苛立ち、とりあえず意味づけをして理解しようとするのだ。わかりやすさへの欲望、迅速な解決策の発見が求められる。学校の教育も、問題解決能力の開発に全力が傾けられてきた。しかし、問題設定が可能で、解答がすぐにでるような事柄は人生のほんの一部に過ぎない。世の中には、そう簡単には解決できない問題が満ち満ちている。
◇僕たちはグリーン
期末試験で「エンパシー(共感)とは何か」という問いが出題された。その問いに、息子は「To put yourself in someone’s shoes(自分で誰かの靴を履いてみること)」と書いた。英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみる、という意味である。自分とは違う理念や信念を持つ人や、同情に値するとは思えない立場の人が何を考えているのか想像することは、そんなにたやすいことではない。多様性は物事をややこしくし、うんざりするほど大変で面倒だ。しかし、他者に対して「知ろうとする行動」がなければ、無知なまま偏見や差別が生まれるのだ。無知で居続けることこそ「ブルー」なことなのではないか。
多様性は楽ではないが、無知を減らすことに繋がるからいいことなのだ、と語る母に「また無知の問題か」と息子はため息をつく。
時々、道端でレイシズム的な罵倒を受けることがある。そういうことをする人々は無知なのだ。無知は頭が悪いということとは違う。知らないことを知るときが来れば、その人は無知ではなくなるのだ。だから無知な人を責めてはいけないし、ましてや罰してもいけない。
「僕はイエローでホワイトで、ちょっとグリーン」。
グリーンには「未熟」という意味がある。ティーンはまだまだ人間としてグリーンであるといいたいらしい。息子は、ヘイトをぶつけ合う友人たちにお互いの靴を履かせようと奮闘を続ける。「無知な人には知らせなきゃいけないことがたくさんあるんだ」。
◇青い地球は石から生まれた
地球は「水の惑星」であり「石の惑星」でもある。
宇宙から降り注ぐ橄欖岩の隕石に含まれていた成分が「空」をつくった。空の誕生は「海」の誕生へと繋がる。「青い地球」の始まりである。
地球科学者の藤岡換太郎は、著書の『三つの石で地球がわかる』で、地球の歴史は橄欖岩、玄武岩、花崗岩の3つの石で大方のことは語れると説く。地球上のたくさんの石たちは、どこかで3つの石と繋がっている。原始地球から現在の地球へと進化する過程で、三つの石はそれぞれに極めて大きな役割を果たしているのだ。
◇想像しよう!
地球の誕生以来、空、海、陸という地球の構成要素はそれぞれが影響を及ぼしあう「共進化」を繰り返してきた。単独での進化はありえない。何かが変化や変容を起こせば、地球の構成要素全てに影響を及ぼすのだ。人類もまた地球の共進化のメンバーである。
人間同士も共進化しなくてはならない。臭い靴でもダサい靴でもとりあえず履いてみる、その状態を想像してみるのが人間の知性なのではないかと思う。格差や貧困、差別が存在するときこそ、想像力が必要だ。エンパシー(共感)は想像力から生まれる。答えのでない事態に耐える力、ネガティブ・ケイパビリティは、今こそ求められている。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ/新潮文庫
『ネガティブ・ケイパビリティ』帚木蓬生/朝日選書
『三つの石で地球がわかる』藤岡換太郎/講談社
⊕多読ジム Season09・冬⊕
∈選本テーマ:青の三冊
∈スタジオ茶々々(松井路代冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成
◉『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
├◉『三つの石で地球がわかる』
◉『ネガティブ・ケイパビリティ』
⊕著者プロフィール⊕
∈ブレイディみかこ
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。日本在住の頃か
らパンクミュージックに傾倒。高校卒業後、ロンドンやダブリンを
転々とし、無一文になって帰国。1996年、再び渡英。ブライトンに
住み、ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち、英国で保育士の
資格を取得。失業者や、低所得者が無料で子どもを預けられる託児
所で働く。もともと「Yahoo!ニュース個人」で政治時評や、社会時
評を書いており、託児所が英国の緊縮財政で潰れるのを経験し、反
緊縮の考えを強く持つようになった。社会的弱者に寄り添う「地べ
た」の視点を信条に、社会問題や政治・経済・文化まで幅広い分野
で執筆を続ける。イギリスの緊縮財政がもたらした経済格差と多様
性について、託児所に集う親子らの日常を通して描いた『子どもた
ちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みす
ず書房)で2017年、新潮ドキュメント賞を受賞。
2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮
社)で毎日出版文化賞特別賞、本屋大賞、ノンフィクション本大賞
などを受賞。
∈帚木蓬生
1947年、福岡県生まれ。東京大学文学部仏文科を卒業後、TBS入社。
2年後、退社し、九州大学医学部を78年に卒業。精神科医としてギ
ャンブル依存症などに取り組む。2008年、短編「終診」(『風花病
棟』に収録)を執筆後にたまたま受けた定期検査で急性骨髄性白血
病に罹っていることが判明。半年間の入院生活の後、復帰した。
作家としては95年に『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、2018年には『守
教』で吉川英治文学賞など受賞多数。
∈藤岡換太郎
1946年京都市生まれ。東京大学理学系大学院修士課程修了。理学
博士。専門は地球科学。東京大学海洋研究所助手、海洋科学技術セ
ンター深海研究部研究主幹、グローバルオーシャンディベロップメ
ント観測研究部部長、海洋研究開発機構特任上席研究員を歴任。現
在は神奈川大学などで非常勤講師。「しんかい6500」に51回乗船し、
太平洋、大西洋、インド洋の三大洋初潜航を達成。海底地形名小委
員会における長年の功績から2012年に海上保安庁長官表彰。
中原洋子
編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。
【多読アレゴリア:軽井沢別想フロンティア】軽井沢にべつそうを!
多読アレゴリアWEEK開催中!!!!! 12月2日のオープンに向けて、全12クラブが遊刊エディストを舞台に告知合戦を繰り広げます。どのクラブも定員に届き次第、募集終了です。すでに締切間近のクラブもいくつかあるので、希望の […]
地球を止めてくれ! なぜ、おりられないのか?【ニッチも冊師も☆中原洋子】
先日、楽譜を整理していたら、映画「カサブランカ」のテーマ曲“As time goes by”の譜面が出てきた。 映画とともに日本では爆発的にヒットした。リクエストがかかることも多く、私ももちろんレパートリーに入れて […]
SUMMARY 人が食べているものは気になる。同僚のお弁当、他人の家の冷蔵庫の中、お行儀悪いが、とってもとっても知りたいのだ。『食の地平線』で玉さんこと玉村豊男は、世界各地の食習慣に関する謎を解明すべく現地へと飛ぶ。食 […]
【MEditLab×多読ジム】遺伝子からのメッセージ(中原洋子)
多読ジム出版社コラボ企画第四弾は、小倉加奈子析匠が主催するMEditLab(順天堂大学STEAM教育研究会)! お題のテーマは「お医者さんに読ませたい三冊」。MEdit Labが編集工学研究所とともに開発したSTEAM教 […]
【ISIS BOOK REVIEW】芥川賞『この世の喜びよ』書評 ~ジャズシンガーの場合
評者: 中原洋子 ジャズシンガー、イシス編集学校 [多読ジム]冊師 ジャズシンガーの仕事場は、飲食が伴う場であることがほとんどだ。仕事を終えて、いつもの役割を脱いだ人たちが夜を楽しむためにやってくる。そんな […]