白土三平は、並み居るレジェンド作家の中でも、さらに最高ランクに位置する人です。
といっても皆さんは、なんとなく敬遠していませんか。実は私もそうでした。
だいたいよくないのは学校の図書室ですよね。昔から白土三平の『カムイ伝』(小学館)は学校図書室に常備されるマンガの定番でした。私自身、図書室の片隅に、いかめしく鎮座していた『カムイ伝』全巻揃いの黴臭いイメージが目の裏に焼きついています(なんで学校によく置いてあったのかわかりませんが、おそらく農民の階級闘争を描いたマンガということで日教組的なウケが良かったのでしょう)。
子どもの頃の私は、きっと説教くさいマンガなんだと思い、敬して遠ざける気持ちがありました。『サスケ』(秋田書店)や『真田剣流』(秋田書店)のような少年向けエンタメも読んでいたので、白土三平自体は面白い、という認識はありましたが、『カムイ伝』を読む気には、やはりなれなかったのです。
初めて読んだのは、社会人になって、だいぶたってからのことでした。だいたいマンガ好きに限って『カムイ伝』はつまらないという人が多いので、多少それも影響していたかもしれません。
読んでみると、つまらないことはないのですが、やはりこれはいささか重厚すぎますね。初めて読む白土三平としてはオススメしかねます。もともと白土三平は、無類のエンターテイナーでもあるので、入口はもうちょっと軽いところからの方がいいかもしれません。『サスケ』『ワタリ』(秋田書店)などの、少年誌に連載されていたバリバリの忍者マンガもあれば、「忍法秘話」などに収録されていた貸本末期の諸作も名品揃いです。もっとも入手しやすい本としては、昨年刊行された『白土三平自選短編集 忍者マンガの世界』(平凡社)があります。「忍者武芸帳」から「カムイ伝」のあいだの、白土三平が最も脂の乗り切っていた頃の作品を一冊にまとめたすぐれもの。白土ビギナーは、まずこの本を買ってみてはいかがでしょう。
(白土三平『白土三平自選短編集』平凡社)
しかし、やはりなんといっても白土作品の一番のオススメは『忍者武芸帳』(小学館クリエイティブ)ということになるでしょう<1>。
だいたい当連載は、レジェンドな作家ばかり扱うせいで、私もことあるごとに「天才だ」だとか「傑作だ」だとかいう言葉を濫発してしまい、読者の皆さんの信用も、そろそろなくなってきているかもしれません。しかし、これだけは信用していただきたい。白土三平の『忍者武芸帳』こそ、戦後日本マンガ史を画する屈指の傑作です!
今回は、そんな『忍者武芸帳』からの一ページを模写してみましょう。
白土三平「忍者武芸帳」模写
(出典:白土三平『忍者武芸帳』⑥小学館)
『忍者武芸帳』を読んだことのある人なら、きっと強く印象に残っているはずの、明美の最期を描いた壮絶な死闘シーンです。
重太郎の一子を身籠もった明美は、身重な体で、幾人もの敵を次々に斬り伏せていくのですが、多勢に無勢、ついにはバラバラに斬り刻まれて無残な最期を遂げてしまいます。
このシーン、延々20ページ余りにわたって続くのですが、構成がみごとの一言に尽きます。一ページしかお見せできないのが残念なのですが、このページでは、明美が石をつかんで、それを投げ、石が当たった忍者が落下するという一連の流れを細かく分節して表現しています。しかし次のコマでは、いきなり木の幹にあたった手裏剣と素早く隠れる明美のカットに変わり、さらに、ここでは描けませんでしたが、次ページの一コマ目で、いきなり数人の忍者があっという間に明美の刃に倒れることになります。この緩急の間合いのみごとさ。アングル操作やカットの切り返し、ときにジャンプカットを思わせるような大胆なつなぎ方を駆使して、20数ページにわたる、みごとなフーガを構成しています。
「目にもとまらぬ早業」などという言葉がありますが、それを止まっている絵で表現するのは難しいものです。
白土三平の斜線の使い方は、当時としては、かなり斬新なものでした。
この頃のマンガはまだ、動いていることを示す記号的な動線として斜線や集中線を使うことが多かったのですが、劇画系の作家たちがGペンで作画するようになると、荒々しいタッチで線を重ねることで勢いそのものを表現するようになっていきます。白土三平はそうした技法の急先鋒でした。
とにかく白土の絵は、止まっているのに、もの凄く【スピード】を感じさせます。一瞬のうちに勝負が決してしまう忍者の超人的な動きを体感レベルで読者に伝えることに成功しているのですね。
血しぶきの表現も斬新でした。この頃、劇画系の作家たちが油性マジックなどを使って血しぶきを表現し始めていましたが、白土は、よりリアルで生々しい表現に挑んでいくことになります。
白土マンガと言えば【残酷描写】の代名詞のように言われることもあります。忍者同士の戦闘などで、頻繁に手足がちぎれ飛んだり首が落ちたりしていました。子どもの頃に白土マンガで目にした晒し首のシーンがトラウマになっている人も多いのではないでしょうか。絵的な面だけとっても、白土三平は【リアリティ】のレベルを、いっきに何段階も引き上げてしまったのですね。
一方、作品の底を流れる作者の知性や教養のレベルも相当なものでした。白土忍法の一つに「犬万」というのがあるのですが、犬を自在に操る忍法に、なぜこんな奇妙な名前をつけているのか、その謎解きが呉智英『読書家の新技術』(朝日新聞社)に出てきます。白土の教養の深さが伺われるエピソードです<2>。
■空前絶後の革命的マンガ
しかし、『忍者武芸帳』の革新性は、単なる絵のリアルさや知識や教養の量などにとどまるものではありません。まさに作品全体が、空前絶後の革新性に満ちていたのです。
『忍者武芸帳』はもともと貸本マンガでした。これは当時の貸本市場でもバカ売れの大ヒットをした作品です。刊行当時、貸本業界は下り坂を迎え、多くの出版社が倒産し、終末へのカウントダウンを始めていた頃でした。そうした中、『忍者武芸帳』は空前の大ヒットを飛ばしたのです。刊行元の三洋社を経営していたのが、のちに青林堂を立ち上げ「ガロ」を出版する長井勝一です。
『忍者武芸帳』の出版は1959年から1962年にかけてと長期にわたり、巻数にして全17巻もありました。
今の感覚からすると、17巻というのは大した巻数ではないように見えるかもしれません。しかし、これは当時の常識からすると、途方もない大長編でした。それまで誰一人として、これほどの大河ドラマをマンガで描けるとは考えていなかったのです。当時の連載マンガの主流は、月刊誌で2ページとか4ページ、長くても8ページとかいう時代です。大長編マンガなど簡単に描けるようなものではありませんでした。
もちろん、破格だったのは、その長さだけではありません。壮大な叙事詩を通して、歴史にとって人間とは何か、人はどこから来てどこへ行くのか、といった深い哲学性をもった問いをまっこうから投げかけた作品など、かつてなかったのです。
ここで我々は、現代マンガという表現形式が、明確に一段高いステージに上がった瞬間を目にすることができます。それは終戦直後の手塚マンガの出現に次ぐぐらいのドラスティックなイノベーションでした。
(白土三平『忍者武芸帳影丸伝7復刻版』小学館クリエイティブ)
このような、時代の画期をなす大傑作が、中央のマンガ業界ではなく、貸本劇画というマージナルな場所から出現したところが興味深いところです(思えば手塚マンガの革命も、駄菓子屋や露店で売られる「赤本」と言われる辺境から始まっていたのでした)。
業界の片隅で、ひっそりとブームを呼んでいた『忍者武芸帳』は、やがて学生や知識人の注目するところとなります。
作品に含まれる階級闘争のテーマなどが、当時の時代風潮とぴったりとシンクロしたことも追い風となって『忍者武芸帳』は、やがて学生たちのバイブルのようになっていきました<3>。
「大学生がマンガを読んでいる!」
これは当時の感覚としては、かなり異様なことでした。マスコミでもその風景が、しばしば面白おかしく取り上げられたそうです。それまでマンガというのは、ある程度の年齢に達すると自然に「卒業」するものだったのです。まさに松岡校長も所属するこの世代こそが、マンガを卒業しない最初の世代となりました<4>。
■一大ライフワーク『カムイ伝』
こうして『忍者武芸帳』で一つの到達点を示した白土三平は、さらなる一歩として、より大きな構想の作品に着手し始めます。それが1964年から「ガロ」誌上で連載が始まる『カムイ伝』でした<5>。
まさに『カムイ伝』こそは白土三平、乾坤一擲の集大成といっていいでしょう。
『忍者武芸帳』においては、ほとんど無自覚なまま垂れ流されていた作者の情念は、しっかり手綱を握られ、大きなドラマツルギーのうねりの中に回収されるようになります。
白土マンガを形容するときに、盛んに言われていたのが「唯物史観マンガ」というものでした。今となっては、この言葉は、あまりに時代がかった狭すぎる形容詞ですが、社会的地位の低かったマンガを「大人が読むに足るもの」とアピールするのに、当時流行の思想でコーティングする必要があったのも、わからないでもありません。
しかし白土マンガの本質を一言で表すなら、唯物史観というより、広い意味での生態学(エコロジー)と言ってしまった方がいいでしょう。ただ、白土三平の、こうした側面が露わになるのは、もう少し先のことになります。
ただ、『カムイ伝』の頃の白土三平は、いささか肩に力が入り過ぎていたところがあって、マンガとしての面白さは、やや削がれてしまったようにも思います。物語の運びも、どことなく図式的になり、作中に差し挟まれる長い解説文も、ときに作品のテーマをそのまま縷々述べるような調子のものになっていきました。
むしろ、同時期に少年誌に連載していた『カムイ外伝』の方が、より白土らしい躍動感のあふれる好篇が散見されます。
(白土三平『カムイ外伝』①~③小学館)
ビックコミックス最初の三巻は「少年サンデー」掲載版
表紙は後年のリアルタッチだが、中身は60年代の美少年カムイ!
とはいえ、一部のマンガマニアが言うように『カムイ伝』を「教条主義」の一言で斬り捨ててしまうのは、あまりにも早計です。ここには『忍者武芸帳』には見られなかった別のパトスが働いているように見えるのです。それは世界の凡てを呑み尽くそうとする作者の異常なまでの情念であり、アルス・コンビナトリアの欲求です。
千夜千冊(1139夜)で「白土三平の思想と才能を褒めちぎるだけなら、おそらく『忍者武芸帳』のほうがいいだろう。(中略)しかし、白土三平はやっぱり『カムイ伝』なのだ」と校長が言うのもむべなるかな。たしかに校長ならこっちだよなと思います。手塚治虫の『火の鳥』は『カムイ伝』の雄大な構想に刺激されたものであることはよく知られています<6>。
■『カムイ伝』以後の白土三平
『カムイ伝』は71年に「第一部完」という形で、一応の終結を見ます。その後、白土は四年ものあいだ、新作を発表しませんでした。 これほどの大作をものしたあと、白土は一体、次に何を描くのか。ファンの間では様々な憶測が飛び交っていたといいます。
はたして75年に「ビッグコミック」に開始された新作は、多くの人たちの予想の、さらに上を行くものでした。
その名も「神話伝説シリーズ」。
アメリカ先住民の物語「ナータ」から始まるこのシリーズは、つづく「サバンナ」で、早くも読者の度肝を抜くチャレンジをしてみせます。先史時代のアフリカを舞台に採ったこの作品では、300ページ近くにわたってセリフが一切ないのです。余人にはなしえない力技には、ただただ圧倒されるばかりでした<7>
19世紀のアフリカ東部を舞台にした「バッコス」では、日本の読者にとっては、ほとんど未知の世界ということもあって、あらゆる制約から解放されたファンタジー世界の中で、『カムイ伝』では十全に展開しきれなかった文明の生態史観を、思うさま展開した感があります。真の意味での『カムイ伝・第二部』は、実はこちらではないか、という気さえするほどの意欲作です。
(白土三平『バッコス』①~⑤小学館)
シリーズ屈指の大作
こうして白土三平は、それまでの沈黙の期間を取り戻すような恐るべき勢いで、次々と問題作を連打していきました。
取り上げられる題材も多岐にわたっていて、「イオ」や「ペンテウス」のような文字通りの「神話」ものから、「バッコス」のような先史時代のアメリカやアフリカの話、現代劇もあれば、「ドラ」のようなフロイトものまであります。
「神話伝説シリーズ」時代の白土作品は、今となっては忘れられがちなのですが、もっと読まれてもいいのではないでしょうか。
■『カムイ伝』の復活
そんなシリーズの合間に白土三平は、突然「七ツ桶の岩」(1979)という時代劇作品を発表します。この作品の主人公は草加竜之進。そう、あのカムイ伝の主要キャラの一人でした。
これには当時の読者のテンションも上がったのではないでしょうか。内容も、ヘミングウェイの「老人と海」を思わせる、なかなかの名篇でした。
(白土三平『七ツ桶の岩』小学館)
「スガルの島」と並ぶ海洋ものの傑作
それから間もなくして1982年、いよいよ『カムイ外伝』が「ビッグコミック」誌上でスタートします。今度の外伝は「少年サンデー」時代とは似ても似つかぬ重厚な雰囲気のものでしたが、いずれ劣らぬ力作ぞろいでした。
さらに1988年、ほんとに出るのか長年の謎だった『カムイ伝・第二部』が、ついにスタートすることになります。
ただこの作品、作画が実弟の岡本鉄二名義なのですね。それ以前から作画チーフである岡本に、絵の部分は、かなり任せていたのかもしれませんが、ここで正式に作画から降りることを宣言してしまったわけです。これにはさすがに、ちょっと寂しいものがありました。
そしてその『カムイ伝・第二部』も2000年に中絶し、その後、第三部が始まる気配はありません。
とはいえ、白土先生は、今でも腕がなまらないようにスケッチ帳にペン画を描く日課を続けているそうです。その一部が、最近出た『白土三平自選短編集』の口絵に掲載されていたのですが、それがなんと60年代の「サスケ」風タッチなんですよね。
このタッチの白土三平なら、いくらでも読みたいっ!!
◆◇◆白土三平のhoriスコア◆◇◆
【スピード】91hori
とにかく、このスピード感こそが初期の白土のトレードマークのようにもなっています。『ガロ』の創刊号の表紙など、まさにそこを切りとっているのですね。
(「月刊漫画ガロ1964年創刊号」青林堂)
【残酷描写】74 hori
サンコミックス版『鉄腕アトム』の前書きマンガの中で、手塚治虫は、ほんのちょっと前までアトムの体がバラバラになるシーンが、新聞で糾弾されたりしていたのに、その数年後に登場した白土三平の残酷マンガが全然OKになっていたことをグチっています。
【リアリティ】86 hori
それまでの時代劇に登場する忍者といえば、蝦蟇の背中に乗った忍術使いが巻物咥えてデレンデレンという講談ものの延長に過ぎませんでした。一方、白土三平の描く忍法とは、決して仙術のようなものではなく、科学であり技法であり体術でした。それまでの「忍術」から「忍法」へ、「忍術使い」から「忍者」へとテイクオフさせたのが白土三平だったのです。
<1>『忍者武芸帳』は、これまで何度も版を変えて刊行されてきましたが、2009年、ついに決定版とも言うべき『忍者武芸帳影丸伝 復刻版』(小学館クリエイティブ)が刊行されました。これは、発表時の貸本原本から復刻した完全版です。さすがに私自身はあらためて買いそろえようとまでは思いませんが、いまから入手しようという人には、これがオススメです。
<2>かといって、考証でガチガチに固めたマンガというわけではありません。マンガならではの飛躍と想像力が働いていて、そこがまた白土マンガの魅力になっています。
『ワタリ』の中には「0(ゼロ)の忍者」という大胆なネーミングが出てきますが、白土三平は、外来語の使用にためらいがありません。リアル路線に舵を切っていた『カムイ伝』後半期にいたっても「フーッ、いいパンチじゃねえか」とか「われら非人には特別のルートがござりますれば」といったセリフが平気で出てきます。
<3>特に物語終盤、主人公影丸が処刑直前につぶやく最期のセリフ「われらは遠くから来た、そして遠くまで行くのだ……」は話題になり、当時の学生たちの流行語ともなりました。これは、画家を父に持ち、自身も絵画に造詣の深い白土が、ゴーギャンの絵のタイトル「われらいずこより来たり、いずこへ行くか」をアレンジしたものでした。
<4>この「マンガを読む大学生」こそがマンガ読者層の上限を形成しています。私の記憶によると、今から30年ほど前、サラリーマンがマンガを読む風景は、すでに当たり前のものになってはいましたが「マンガ読者層の上限は四十代半ば、それを超えると急に少なくなる」などと言われていました。今ではこれが70代半ばまで引き上げられ、かえって若い人がマンガを読まない、などと言われる時代になったのです。
<5>「カムイ伝」のモチーフが白土の中でふくらんでいくにつれ、いったいこれをどこに発表すればいいのかが問題になりました。三洋社なき後、適当な貸本誌もない。そもそも貸本業界自体が崩壊の危機に瀕していました。『忍者武芸帳』で注目され、大手出版社でも、ぼつぼつ仕事が来るようになっていた白土三平ですが、しばしば作品内容に干渉され、意に染まぬ注文に抵抗すると連載を打ち切られるなどの苦汁をなめることが多く、大手誌で連載を始めることには警戒がありました。
そこで思いついたのが、自ら雑誌を創刊し、そこへ『カムイ伝』を自由に描いてみようというアイディアだったのです。『忍者武芸帳』で気心の知れた長井勝一に声をかけ、白土が資金を全額負担する形ではじまったのが「ガロ」でした。創刊後しばらくの間、「ガロ」がほとんど白土三平マガジンという様相を呈していたのは当然のことだったのです。
<6>『カムイ伝』のような、自らの死生観、宇宙観の全てをぶち込んだ一大ライフワークを創ってみたいと考えた手塚は、1967年、自身の主催する「COM」誌上に『火の鳥 黎明編』の連載を開始します。かつて「漫画少年」誌に、ほんの少しだけ連載されて消えていった不人気マイナー作が、こうして戦後マンガを代表する作品として、文字通り不死鳥のごとく蘇ったのです。『カムイ伝』は思わぬ副産物を生み出したことになります。
<7>「サバンナ」は、形式もさることながら物語自体もかなり破天荒でした。とある女性が、爬虫類そっくりの赤ちゃんを産んでしまい、それがどんどん成長して巨大怪獣になっていき、やがてその巨大怪獣が人間をバクバク喰い始めるという、白土三平版「ゴジラ」+「進撃の巨人」みたいな話です。どうです、読んでみたくなりませんか。
アイキャッチ画像:白土三平『カムイ外伝』①虫プロ商事
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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