今年もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]の季節がやってきた。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、2022年10月Season3が開講を迎えた。今期のテーマは「日本語としるしのAIDA」。新シーズンの到来とともに、過去シーズンのボードメンバーからの声に耳を傾けてみたい。
※内容は取材時のもの
2020年12月13日(日)、角川武蔵野ミュージアムの「武蔵野ギャラリー」で行われたHyper-Editing Platform [AIDA]シーズン1「生命と文明のAIDA」の鼎談セッションの模様をお届けします。編集工学研究所所長でHyper-Editing Platform [AIDA]座長の松岡正剛、松岡の旧知の友人である荒俣宏さん、建築家の隈研吾さんが生命と建築、文明をテーマに濃密な議論を繰り広げました。
荒俣宏(あらまた ひろし):1947年7月12日生まれ。博物学学者、図像学研究家、小説家、収集家、神秘学者、妖怪評論家、翻訳家、タレントなど、その活動領域は多岐に渡る。日本SF作家クラブ会員、世界妖怪協会会員。ペンネームに団精二(ロード・ダンセイニに由来)、本野虫太郎がある。「魔道」「魔道士」「召喚」といった造語の生みの親。
隈研吾(くま けんご):1954年8月8日生まれ。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学特別教授。高知県立林業大学校 校長など。経済成長の鈍化と高齢化が進んでいる日本の現状を見据え、周囲に調和した「負ける建築」や、「コンクリートと鉄の時代」を「木の時代」に変えることを志向する。『負ける建築』『点・線・面』など著書多数。
松岡正剛(まつおか せいごう):1944年1月25日、京都生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化した「編集工学」を確立、様々なプロジェクトに応用する。2020年、角川武蔵野ミュージアム館長に就任、約7万冊を蔵する図書空間「エディットタウン」の構成、監修を手掛ける。著書に『遊学』『花鳥風月の科学』『千夜千冊エディション』(刊行中)ほか。
荒俣宏さん独特の生物論が開陳される。生物は1本の筒である。筒の入口と出口、最初にできたのはどちらだろうか? それは出口である。なぜなら……。荒俣さんの驚きの議論はその後、生命の原型を追求する方向へと発展していく。そして、それは建築への応用へと展開していくのである。キーワードは「膜」と「編む」だ。
荒俣 ところで、私は生物にとっていちばん重要なのは肛門だと思ってるんです。
松岡 え、ちょっと待って。肛門ってお尻のこと?
荒俣 そう、お尻です。ちょっと(稲垣)足穂的に言っていいですかね。肛門を相手を渡すことができなくなったことは大きいんじゃないかと。
松岡 そこ、もうちょっと、説明が欲しい。(肛門を)相手に渡すというのは、ちょっと危険な感じというか、やばい気がするんだけど、どういう風に肛門を渡すわけ?
荒俣 肛門ってある意味、顔なんですよ、本来は。なんでかと言ったら、私たちは「新口動物」(成体の口が原口に由来するのではなく、新たに外胚葉が陥入することによって形成される動物の総称:weblioより)っていう……。
松岡 まず、口と肛門はつながってますね。
荒俣 つながってますね。
松岡 消化器官は「外部」なんです。われわれは円柱なんですね。口から肛門まで、オーラルからアヌスまでつながっている筒です。
荒俣 問題はどっちが先にできたのか。口なのか、お尻なのか、つまり、肛門なのかと。
われわれ人間は口をとても重視しているグループの生物です。もし口がなかったらものが食べられないと思うんですけど、生命の歴史を見ると、基本的には最初は口らしいその空間が体の中に通る、つまり、管が通った時にできたのはお尻らしいんですね。お尻が同時に口の役割を果たした。単孔動物っていうのは穴が1個しかなくて、入口と出口の区別がない。
松岡 カモノハシみたいなやつ。
荒俣 ええ。カモノハシもそうなんですけど、入口と出口を併用していた可能性が高いとすると、最初はお尻、排泄腔だったと思うんです。なぜなら、さっきも言いましたように、古い生物は透明体で、単細胞であり、口もお尻もなかったはずなんですが、どうやってエネルギーを吸収したかといったら、先ほど言いました藍藻(シアノバクテリア)、これがすごいところは食べる必要がないことなんです。透明だから太陽の光が体内に入ればいい。これは建物でも同じですよね。中に入れば暖かいんですよ。そこで葉緑素のようなものができてくれば、エネルギーの自己生産ができる。ということは、食べる必要がないんですよ。
でも、光合成をやってみれば分かるとおり、エネルギーは生まれるんだけど、同時に水とか、あるいは酸素という余計な副産物が後になって出てくる。これを排泄するのにやっぱり出口が必要だったんじゃないかと思うんですね。だから、もし何も食べる必要がなかったヤツが生物の原型だとすると、出すところを最初に設計した可能性は高いんじゃないか。
松岡 なるほど。文明は肛門の方からだんだん切り出されて、結局、外部化しちゃったと。
荒俣 そうなんです。切り出された。
松岡 まず、下水道を作って、みたいなことね。なるほど。
荒俣 はい。だから、これがいちばん重要だったんだけど、本来は生物の「出すシステム」は非常に巧妙にできていて、生物学で言うと、総排泄腔なんですよ。穴をたくさん開けると、いろいろややこしいことになるので、できれば1本にしておきたい。この穴で全部代用できないか。体の中の1本通る空間、要は筒を1個に済ませられないか。人間もお母さんのおなかに入っている時、総排泄腔という形にした。1本の筒の中で出すこともできるし、入れることもできる。もっと重要なのは呼吸ができる。
それからもう1つ、さらに重要なのは、生物にとっては生殖器もそこのところに作ったんです。われわれの体はいまだにそのシステムをそのまま使っている。全てのものが1個の穴で呼吸から生殖まで出ているとすると、文明が解明しなければいけなかった問題は、この穴のシステムだったのではないかと思うんですけど、作る方ばっかりいっちゃったんですよね。
松岡 生殖器はどうして出口に近いところに作られたんだろう?
荒俣 これはおそらく最終的には排泄物と同じように、子孫を外に出すためではないかと思います。
松岡 あれほどの肛門派の稲垣足穂がある時、「松岡さん、分からんことがあるんや」って言うんだよね。口の快楽と肛門の快楽がなぜ分かれたのかが分からんと。
「いや、これは困ったな」と思ったんだけれども。
植物とか初期の動物、それこそシアノバクテリアまではいかないけれども、プラナリアや扁形動物くらいまではおそらく快感を必要とせずに生殖ができただろう。でも、猿やネズミまできたら、もう快楽がないとダメになる。つまり快感報酬ですよね。中央神経系に対して、報酬の化学物質が出ないと生殖しないからそれらを作ったのは分かる、と稲垣足穂は言うわけ。だけど、「なんで口(の快楽)と肛門(の快楽)が分かれたのかが分からん」って言う。それはどうかしら?
荒俣 難しい問題ですね、非常に。
松岡 やっぱり難しいよね。
荒俣 ええ。でも、1つのヒントになるのは、もともとは1本の空間の筒を想定していたことと、それがいまだに生命の多くの部分では総排泄腔という名前にして、外へ出すものはみんなこの1本の肛門でやることです。肛門はその枝分かれですから、そういう形をおそらく生命の原型として持っていたんじゃないかと思います。
もう1つ、今日の隈さんのお話を聞いていて何となくハッとするのは、1つはサーキュレーションです。おそらく生命の維持や寒さ、暑さなどいろんな問題を含めて、この回る流れがけっこう重要な役割を果たしている。
松岡 重要でしょうね。建築物がもちろん循環系を持っていて、下水も電気も取り寄せてくるんだけども、「快適」は20世紀になって特に要求されますよね。この「Comfortable」を考えるのは建築家にとって、けっこう大変だと思うんだけど、隈さん、どういう風に
「快適性」を設計したり、保ったりするんですか。
隈 基本は火だったわけです。
松岡 「Sunshine」? 「Fire」?
隈 建築家が用意すべきものは「Fire」です。基本的に暑いところでは、外とか中とかあまりなかったので。 建築で必要なのは、やっぱり寒いところでは圧倒的に「Fire」が中心なんです。
荒俣 「Sunshine」はどうなんですか、建築上は。
隈 石の建築は、石に蓄熱してるから「Sunshine」は利いているわけだけど、人間はやっぱり「Fire」に意識がいきますね。建築の文脈では「Sunshine」のことはあんまり評価していなくて、当たり前なものだと思っている。
松岡 だから、逆に北半球で文明や都市や建築が発達したのかな。「Fire」型で。それが電気に切り替わっても同じですよね、意味は。
荒俣 そうね。同じですね。
隈 だから、やっぱ北半球型なんですよ、建築っていうものが。
松岡 そうだよね。あとはほんとに日干し煉瓦で構わなかったわけだもんね。
荒俣 でも、「Fire」から「Sunshine」という流れもあるんじゃないかな。
隈 今は逆に「Fire」からもう1回、「Sunshine」、要は再生可能エネルギーを意識しないとこれからの人間は生存できないという感じになってきていますね。
松岡 ぼくはもう1つ荒俣さんと隈さんにヒントを出してもらいたい。構造の変革がデザインの基本じゃないですか。生物もそうだと思うんだよね。ゲーテもそれをずっと考えていた。しかし、どこかの時点で構造とは別に、膜というもう1つのインターフェースが出来てきた。どうも今日の文明は膜的に見えるんです。液晶画面だけじゃなくて、テレビやラジオも膜的なんですよね。
超ひも理論のメンブレン(膜)もそうだけれど、大本はひものような、膜のようなものであると。そこはまだちょっと分からないんですが、だけど、今日の文明で最終的に必要になっているものは膜の革命、つまり、インターフェースの革命で、人類はそこにものすごい技術コストをかけてイノベーションを起こそうとしている。電話も最初は線だったけど、だんだん膜化しつつある。
隈 膜化というより、面化しつつある。
松岡 面化しつつある。生物は生体膜(細胞と外界あるいは細胞内小器官と細胞質との境界をつくっている膜)を作った。
4チャンネルでナトリウムとカリウムをうまく交換して、浸透圧だけで内部と外部を作って、自己、つまり、自己組織化したセルフを作ったわけだけれども、その後、たとえば眼膜や耳膜や皮膚、あるいはさっき言った鱗を作った。
両生類が非常に不思議だと思うのは、陸に上がったくせに水が必要で、イボイボの中に水を持ったり、膜のようなものを持ったりするじゃない?
でも鳥類になると膜は要らなくなる。生物にとっての膜とは、どういうものかを荒俣さんに聞きたいのと、隈さんには建築にとって膜はこれからどういう風になるかを聞きたいんだけれども。
荒俣 膜って、三次元世界の中の生命が持った最も重要な要素だと思うんですよ。シアノバクテリアが葉緑体(光合成をおこなう、半自律性の細胞小器官のこと)を持って自家発電できるようになったのも、生命にとっては非常に重要だけど、やっぱり何といっても細胞の膜ができたことが大きい。
環境的に言えば、内部環境と外部環境を分けたのもすごい。古細菌が細菌の古い形ですね。
われわれが知っている細菌は真核細菌で核があるやつだけど、核がなくて膜だけ作った段階でも、もう生物だったわけです。
松岡 生物って3つしかないんですよ。細菌と古細菌と、そして、普通の生物と。そのぐらいこの2つが大事なんです。
荒俣 それでその膜が環境の差を初めてつくり上げたことでいまの生物になった。だから、非常に建築に似た感じだと思うんですね。
ただ、この「建物」がなかなか曲者なのは、ここでは、細胞という意味での「建物」ですけど、一筋縄ではいかないなと思うのは、実は通過可能ということなんですよ。膜って、普通は濾過で使うんですよね。必要なものだけ中へ入れる。必要なものだけを入れる目詰まりのものを膜としている。いろんなところに穴が開いている。
生物はそういう膜を使って環境をコントロールしている存在なんですけれども、先ほどお話しした夜の海に行くと、さらに恐ろしいことがいろいろ分かった。たとえばクラゲにしてもサルパ(生物学上ホヤの仲間に分類されるプランクトン性の尾索動物)にしても、透明な膜を持っている生物ってたくさんいるじゃないですか。初めて夜の海に潜って分かったんですけど、あの透明でふらふらしてるやつって、だいたい体の中に他の生物が棲み着いているんです。
いろいろ観察をしていたら、みんな外側の膜の一部を食って、その中に入って膜を閉じるんです。すぐ破れるのでいろんな生物が中へ入っちゃうけれど、自己修復でちゃんとなっちゃう。
それで体の中に入った生物は子どもを産んだり、卵を産んだり。ある生物が1つの部屋として、あるいは家として暮らせる生物がサルパっていう。クラゲみたいなものがずっと並んでいる透明な生物もいるんですけど、あの中には1個ずついろんな生物が入っていて、驚いたのはタコも入ってるし、甲殻類も入ってるんです。こういう連中が中に入って何をやってるかというと、その透明なクラゲの中の養分のところを食べながら暮らしてるわけです。それで卵を産み、その後、赤ちゃんが卵から出てきて、やっぱり同じクラゲの中を食べる。結局、最後には膜しか残らない。「これって何なの? 一体、この自由さは」と思ったんですね。
ひょっとすると生物は他の生物に出たり入ったりする役割を膜に与えて、他の生物の家の役割も持っていたんではないかという気がするんです。
松岡 もともとインタラクティブなんだよね。
荒俣 おっしゃるとおり、インタラクティブ。
だから、私が作ったこの膜は、私のものじゃない可能性があるんです。そうじゃないと、ミトコンドリアとか、特に核なんかは入りっこないわけですよ。
もしかしたら、私たちは、単細胞で膜があってぶよぶよと動いてるだけだった可能性もあります。インタラクティブ性が膜の本質だとすると、今はあまり活用されていない気がします。この膜の活用というのは、三次元だから成立したんじゃないかという感じがするんですよね。
松岡 となると、まさに都市とか建築の……。
荒俣 そうですね。
松岡 隈さん、どうですか、膜について。
隈 ゴットフリート・ゼンパーというドイツの建築家は建築を「土の仕事」と「火の仕事」と、それから「編む仕事」という風に定義してるんです。
彼が生きていた19世紀は煉瓦を積んだり、石を積んだりするイメージなんだけど、彼がなんでそんなことを言い出したかというと、ロンドン万博(1851年)の手伝いをしていて、会場であるクリスタルパレス(ハイドパークに設置された)にカリブ海諸島とかアフリカ大陸からいろんな家を運んできて展示する仕事をしていたということで、その時、建築というのは、土を何とかしなきゃいけなくて、真ん中に火があって、屋根というか上の方は……。
松岡 編み物だと。
隈 そう。編み物だと言っていた。
建築の定義として、当時としてはめちゃめちゃ斬新で、日本人だったら「木のフレーム」と答えたかもしれないけれど、ドイツ人なのに「石」でも「木」でもなくて。
荒俣 それ、言い換えると、編集であり、細胞膜じゃないですか。
隈 そうだね。だから、編み物って、さっき荒俣さんが言ったみたいに、やっぱり編集してるんですよ。中と外の関係を編集している。それがしばらく忘れられて、コンクリートが出てくるようになった。
荒俣 コンクリートは編集できないですから。
隈 一度固まったら、もう、どうしようもない。編集から最も遠いものがいちばん強度が強い。
19世紀の半ばからずっと、150年くらいコンクリートの時代だった。建築はそもそも「編み物」であることが忘れられていたけれど、やっぱりもう1回、建築とは編み物であり、膜だというところに戻ることが必要なのではないか。ぼくは今、そういうことを意識的に言うようにしているんです。
荒俣 分かります。日本語で言うと「組み上げる」。昔の大工はみんなそうでしたね。釘なんか使わなかったですから。
隈 だから、釘を使わないでやるというのは、まさに編んでいるのと同じなんですよね。
だから、合掌造り(日本の住宅建築様式の1つ。急勾配の屋根を持つことがしばしば)なんかジョイントのところは縄で留めている。ほんとはふにゃふにゃですから。
松岡 多くの建物が近代以降は、近代だけじゃないかもしれないけれど、剛構造ですね。でも編む世界は柔構造。
荒俣 ええ。柔構造。
松岡 テンセグリティ(バックミンスター・フラーが提唱した概念。Tension(張力)とIntegrity(統合)の造語)がピンと張らなきゃいけないとは限らない。ちょっと緩んでいてもいいという。これは技術的には可能ですか。
隈 いや、もう十分可能ですよ。引っ張りだけだと物って立たないけど、突っ張るものがあれば、つまり、「突っ張る」と「引っ張る」を組み合わせれば、最小限の突っ張り材で全体を支えることできるので、これからすごく可能性がありますよね。
松岡 全体を編む状態でインタラクティビティをいくつか作れば、いろんなものがもうちょっとつながる。ただし、そのためには既存の言語をかなり変える必要があって、言葉遣いだけじゃなくて、概念やアイテム数もガラッと変えて、たとえば建築でのパターンフォーメーションの代わりに文学の「Syntax」とか「Semantics」をうまく使うとか、ファッションにも使えるような文学用語を考えるとか、建築で使える音楽用語とか、言葉を交換しなきゃいけなくて、今、ぼくが編集工学としてやらなきゃいけないのは、その準備なんです。
相互に使えるようなディクショナリーだけではなく、イディオムのレベルまで整理してあげることが必要な気がしますけれども、それはもうぼくの世代じゃ無理かもしれないから、次の世代に委ねるかもしれない。
荒俣 点があり、線があり、面があるっていう流れをつなぐのは網ですね、やっぱり。
松岡 じゃあ、隈さん、次はそれ、書かなきゃ。点と線で編むみたいな。
荒俣 ほんとそうですね。
隈 いや、だから、面の話の中で実際は。
松岡 もう入ってるんだ。
隈 面の形というと、たとえば、ザハ・ハディッドの建築なんか、面が「どううねってるか」、そのうねり方に関心が行くんだけど、ぼくの場合、面と言ったら「どう編んでるか」が重要。そっちの方が、面白い世界が広がっている気がする。
松岡 葛飾北斎たちが描いた垣根の本があるんですよ。北斎は櫛を1000個ぐらい描き分けていますが、それの垣根版。竹とか棕櫚(しゅろ)とか蔓をうまく編ませている。そういうのを見ていると、ものすごく豊かで、冗舌で、文学のようにも、オペラのようにも、フォークソングのようにも、ファド(ポルトガルの民族歌謡)のようにも感じます。編む状態までいかないと、演奏は不可能なんですよ。ぼくはもう、文学も博物学もアートも「演奏可能状態」にしないといけないと思っていて、気取ってちゃ駄目だと思うんだよね。
もっといじってもらわないと駄目なんだけども、手を付けてはいけませんとか、触ってはいけませんとか。アメリカのペンシルベニア州に「Please Touch Museum」というミュージアムがあります。「どうぞ触ってください美術館」というミュージアム。そういうものがもっともっと必要で、じゃないと、今、ネットで自分のスマホのそばまで何かが来ているのに、それを超えるのは本当にリアルに触ることだと思うんだけど、それができなくなりますよね。
荒俣 私の秘宝館と妖怪伏魔殿は触っていいことになっています。一部版権の問題で触れない、写真が撮れないっていうのはありますけど、もうどんどん写真を撮ってくださいという空間を目指しています。
松岡 もっといろいろな話をしたかったけれども、そろそろ時間です。ぼくは日本でもっといろんなものが伝わったり、あからさまになった方がいいと思っているんですが、中でも荒俣宏はもっともっと知られていい。荒俣宏は日本のリソースなんですよ。本人は面倒臭がったり、照れたり、もう年だとか言ってるかもしれないけれど、本当はもっとあからさまにしなきゃいけない。
荒俣 嬉しい。そうすれば裸になれます。今、ガチガチに甲冑を着てますから。
松岡 水木しげるが亡くなった時、いちばん悲しんだのが荒俣さんで、「もう、どうしようか」「先がない」とか言ってたんですけれども、妖怪はまだいっぱいいるよね、街にも。
荒俣 そうですね。
松岡 ぜひ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)と共に甦ってください。
荒俣 でも、私は基本的に、何か新しいものを作ったり、発信したりしようとは全く思っていないんです。これまでのお話でもお分かりになったように、生物なら生物の真似をしたい。真似をすることがたぶん人間にとってはいちばん面白いんじゃないのかな。
松岡 ポール・ヴァレリーは「新しいものの中で最も善きところは、人間の最も古い要請に応える点だ」と言っています。新しがっているだけで、古いものや歴史がないものは大体インチキです。廃(すた)れます。
荒俣 「あれは古いよ」がもう本当に黄金のワードになっちゃったから。
松岡 ぜひ日本のリソース、荒俣宏をぼくはいじりたいと思いますので、今後ももうちょっと元気でいてください。
荒俣さん、本日はどうもありがとうございました。隈さんもありがとうございました。
撮影:川本聖哉、後藤由加里
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)
※2021年4月19日にnoteに公開した記事を転載
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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