「ピキッ」という微かな音とともに蛹に一筋の亀裂が入り、虫の命の完結編が開幕する。
美味しい葉っぱをもりもり食べていた自分を置き去りにして天空に舞い上がり、自由自在に飛び回る蝶の“初心”って、いったい…。

AIDAとDOMMUNEのコラボ企画【緊急!2日連続松岡正剛師匠登壇の白昼夢】のイベント直後、出演した武邑光裕さんにインタビューをおこなった。
本番中に「日本の個人主義の希薄さに危うさを感じる」と発言した真意とは何か。6年半の間、ドイツに滞在した武邑さんが「ヨーロッパの本質」と語る「個人主義」のメカニズムを語る。
タイトルの「DOMMUNE版「私の個人主義」!!!!! by武邑光裕」は、およそ百年前の大正三年(1914年)十一月二十五日、夏目漱石の講演録「私の個人主義」にあやかっている。
[interviewer:金 宗代 photo:後藤由加里]
ーーー本日のDOMMUNEのイベントはいかがでしたか。
普段なかなかこういう濃密な会話をする場が日本ではお目にかかれないので貴重な時間でした。
ーーー日本と比べて海外では今日のイベントのような会話の場、対話の場が多いものなんですか。
そうですね。NPOやNGO、政府から補助金をもらって市民が感じている課題の解決に取り組もうとしている組織が非常に多いと思います。ドイツでも今日のような密度の高い対話の場を目にする機会がよくあります。
ーーー日本に「濃密な会話」の場が少ないのは、セッションの中で武邑さんがおっしゃっていた「日本の個人主義の希薄さに危うさを感じる」ということとも関係するのかもしれませんね。
ドイツに行く前まではそれほど自覚をしていなかったのですが、ドイツに6年半住んでみて「ヨーロッパの個人主義というのはこういうものなのか」と個人主義に対する認識を根底から覆されました。利己的であるということが、日本では悪いイメージがあるじゃないですか。「あの人、個人主義ね」みたいな感じで言われますよね。
けれどもそれは日本的な集団主義から見た異質性なわけで、実際のところ、公益的な役割を担うのは個人です。それが日本では集団性の公益全体主義を良しとしている。これは危ういなと思いました。
左:福澤諭吉『文明論之概略』(岩波文庫) 右:夏目漱石『私の個人主義』(講談社学術文庫)
ーーー「公益的な全体主義」というと日本はヨーロッパよりもむしろ中国っぽい社会を連想します。
中国は国家があれだけ強力に社会をコントールしている。市民の中に反旗の声が多少はあるとは思うんだけど、一定のスタビリティを持っている。日本の場合はそこまでの安定性を持っていないので、集団性や公益全体主義の機能が崩れる可能性が高い。そうすると個人の行き場がなくなってしまう。
福澤諭吉が「individual(インディヴィデュアル)」という言葉を最初に日本語訳したときに「独一個人」と訳しています。その「独一個人」の「独」「一」を抜いて、だんだんと「個人」になっていったわけですが、翻訳当時、日本の中に「個人」という概念がなかったんでしょうね。だからわざわざ「独」「一」という言葉をつけた。
ーーーなるほど、個人は「一」、「一人」であるということを伝えるためにわざわざ「一個人」と書く必要があったということですね。夏目漱石の「私の個人主義」も思い起こされます。
その時代からまだ百年ちょっとしか経っていないわけですよ。まだ日本では「市民であるための個人」という考え方が根づいていません。「市民」になるためには「個人」であることが前提となります。こうした「個人主義」という概念あるいは思想をもう一度、再構成しないとマズいことになるのではないかなと思うわけです。
国家の統制や集団の中における尊厳ではなく、個人の尊厳や自由を尊重するというのが個人主義の前提です。個人主義というと、ともすると利己主義の温床になりかねないと思われるかもしれないけれど、じっさい利己的な欲求というものがものすごく重要です。「個人になる」というのは利己的であるということなんですね。その利己的な欲求を充足させることによって、逆に公益的な役割を個人が演じることができるようになる。ぼくはこれがヨーロッパの本質だと思う。
18世紀のイギリスの思想家バーナード・マンデヴィルが『蜂の寓話』という本を書いています。前に松岡さんとお話した時も「それはマンデヴィルだね」とすぐにピンときていらしたんだけど、蜂というのは非常に利己的な動きをするわけですね。でも全体としては公益をつくっている。それと同じことが個人主義のメカニズムなんですね。
つまり、個人主義というのは決して利己主義ではないけれど、利己的なものを否定しているわけではない。利己的なものですべてが成り立っているわけではなくて、個人になることで市民になって公益に資することができる、ということなんですよ。この回路の中でぼくは6年半の間、ドイツで暮らしてきた。そうすると、今起きている多くの日本の課題の根底には個人主義の問題があるように見える。
ーーー日本に欠如しているのは「個人主義」であるという焦点を絞った武邑さんのメッセージはとても明快で説得力があります。ヨーロッパに個人主義が芽生えたのはルネサンス以降ですね。
ルネサンスから宗教革命へ、そしてフランス革命という歴史の中で成熟してきた価値観ですよね。それがインターネット以降、ウェブ2.0のプラットフォーム経済において個人のプライバシーが企業の所有物になってしまった。
そのことに早々と気がついたEUが個人に主権を取り戻すために「GDPR」という画期的な法律をつくった。そして今、「主権を持つ個人」の実現に向けて暗号技術やブロックチェーン技術がどしどし投入されている。それがウェブ3.0という潮流です。
考えてみれば、インターネットの歴史にはルネサンスも宗教革命もフランス革命も無かったわけです。だから、数百年かけて培ってきた個人主義をサイバースペースの中につくりあげよう、と。その戦いが今始まったということですね。
武邑光裕『さよなら、インターネット――GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)
ーーーその個人主義をはたして今になって日本人が獲得することはできるのでしょうか。
日本がヨーロッパのような形で個人主義を取り戻すのはやはり非常に難しいと思う。むしろそれよりも、日本的な集団主義や共生社会の中で培ってきた文化的価値や伝統に重きをおいた展開が可能なのではないか。そこで松岡さんがおっしゃっている日本の伝統、日本という方法、ジャパン・スタイルというものが大きな資源になると僕は思っています。決してヨーロッパ的な生き方がすべてではない。
ただし、今の日本が抱えている課題の多くはグローバルな問題ですよね。グローバル経済やグローバル・ポリティクスの中で揺れ動いている問題は、グローバルな文脈で考えざるをえない。日本人もグローバルな存在として生きてきているわけだから、いきなり伝統に回帰するといってもそれは非常に困難です。
ーーーグローバルな個人主義に行き着くこともできないし、かといって日本の伝統に回帰するわけにもいかない。とても難しい立ち位置にいますよね。
そこに「三体問題」という難題が立ちはだかります。三体というのは「東洋」と「西洋」と「デジタル」という三体圏です。東洋はイコノグラフィーで、西洋はアルファベット、デジタルはバイナリーコード。この三体はお互いにコミュケーションできない宿命を帯びている。基本的に天体物理学でいう三体問題は解くことができない。均衡が保てないということがわかっています。
デジタルと東洋と西洋の三体は地政学においてどういう意味を持っているのか。あるいは日本はこの三体のうち、どこに属しているのか。もちろん、この三体とも日本に存在しているという見解も十分ありうる。この三体問題を見極めていくことがこれから日本にとって非常に重要なことだと思います。
ーーー三体問題と日本の伝統の両面の接する話題とも言えると思うのですが、武邑さんは『ベルリン・都市・未来』(太田出版)の中でドイツには日本文化に高い関心を持っている人が多いと書かれていましたね。
非常に多いですね。そもそもフランスとドイツは歴史的に日本文化に対する関心が強いのですが、そういう人たちを満足させるような日本の情報が発信されていないんです。いまだに禅や能といったステレオタイプな情報がほとんど。だから、きちんと情報戦略を持って、「伝統の元本」に手をつける必要がある。伝統からイノベーションを引き出すためには「元本」が充実していなくてはいけない。
その文化価値である元本の本質がよく分からないままに都合よく取り入れていたのがクールジャパンだったのではないかと思います。そして元本がどんどん疲弊していって誰からも見向きもされないというのが現在の日本の状況です。
それを打開するためにもヨーロッパの知識階層やコアなファンを満足させると同時に、このAIDAのように、日本人に対しても松岡さんの思想や方法を伝えていくことがものすごく重要だと思う。いま、日本人は畳の座り方も立ち方もわからない。こういう文化の喪失がどれだけ大きな損失になるのかを考える必要があると思います。
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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