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田中優子さんインタビュー(4)編集学校に”ないもの”:発話する恐さ【新春企画★Quedist】
- 2020/01/10(金)10:00
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★バックナンバー:
(1)ISISデビュー:広げるほど深くなる
(2)『遊』との出会い:ジャンルを決めなくていい
(3)[離]の学び:高速で仮止めの結論を出す
―――優子先生からみて編集学校に”ないもの”、不足していることは何だと思いますか。
「議論」とか「対話」でしょうか。あるいはそういうチャンスでしょうか。「この人と話したいみたい」「師範に直接あって話を聞きたい」とか、これは今だって求めればできることだとは思うんです。
でも、[守]・[破]の汁講や[離]の表沙汰など、リアルで集まる機会に、校長や師範の話を聞いたりはしますが、あるテーマで激しく議論することはない。「議論」「対話」の良い点は、自分の言ったことに対して反論があったり、それを自分がどう感じているのかに気づいたり、それに対してまた反論できるのかが試される。そういうことが起こっているときに、「ここは情報が足りなかった」「ここはちゃんと考えていなかった」とか、「頭の中が整理されていなかった」という色んなことが分かるんですよ。
私自身もそれはたとえば大学で講義をしているときや、特にテレビに出ると、あることを30秒で説明するというような状況の中で話をしなければならないので、不足が見えやすい。そういう経験というのはとても貴重です。文章を書くのも大切だけど、文章は何度も読みなおして自分で推敲することができる。発言は二度と推敲できない。その恐さは味わった方がいい。
たとえば、MOOC(ムーク)では、インターネットで講義を聞いて、レポートも提出しますが、それだけではなくて、カフェという場が用意されていて、議論できるようになっていますね。

0799夜『国家』プラトン(岩波文庫)
―――松岡校長も「対話」「議論」が特に師範クラスに足りないのではないかと言っています。訓練されていないのでなかなかリアルの議論がうまくいきません。編集学校は仕組み上、稽古のプロセスが外側に見えにくくなっているので、編集力が外に見えるようにするためにもディスカッションが必要ということですかね。
そうですね。それでね、ディスカッションと対話でちょっと違うのは、対話の場合は2人だけでいいわけです。そのとき、先生は何か教えるのではなく、話を言い換えて理解を深めていく。これは、イシスがやっていることと同じですね。言い換え、着替え、持ちかえです。それを対話でやる。そうすると、その場でどんどん自分の思い込みが外れていく。要するに、ギリシア哲学にプラトンが持ちこんだことですね。
そういう対話型のものと、テーマを決めてディスカッションする方法があって、江戸時代の私塾では両方やっています。対話に議論をくっつけていく。それをやると最終的にどうなるかというと、自分の考えがはっきりしてくる。そのとき、発話には責任を取る。
言ったことに責任をとるというのは、発言したことがどういう意味かを説明し、社会に持ち出したときにそれがどう作用するかまで見通すことです。そういう経験をしていると、発言がより自分の言葉になっていく。
―――編集学校ではいろいろな人が受講していて、これは良い悪いを抜きにして、習熟度には差があります。高みを目指して、松岡校長の持っている編集の独自性や新しい価値をつくる編集力を学び、体得しようとする方向性があってもいいのに、そうはなっていません。このあたり、優子先生はどう見ますか。
教育の世界はどこでもそうですが、「底上げをするか」「天才を育てるか」のどっちを取るかの議論になる。たとえば、編集学校では自分でそれを選べるようにしてもいいわけです。「みんなと一緒に底上げして自分のレベルをあげていくためにここの教室を入ります」とか、「ここのクラスは天才を育てるクラスです」というのがあってもいいわけです。今のところ、[守][破]は底上げかなと思います。[離]も天才を育てているという感じではない。
―――大学教育の現場ではいかがですか。また、日本と欧米の違いは。
日本の大学は「底上げ型」なので、国際競争力がないといつも企業から攻められる(笑)。欧米は「エリート型」ですね。そういう傾向が強いです。日本はこれからもなかなか変わっていかないでしょうね。なぜかというと、日本はそもそも底上げ的なんです。
―――「そもそも」というのはどのくらい前からですか。
江戸時代まで遡ります。庶民クラスも含めて、全体の知的レベルが高い。でもトップはあまりいない。つまり、トップと中間層の間が近いという傾向が本当に長い間あります。
―――でも、江戸時代や近代には今の日本にはいないイノベーターがたくさんいましたよね。それはなぜですか。
底上げしているからです。底から出てくるんです。でも誰かに育てられたわけではない。仕組みがそれを現出させている。仕組みというのはさっき言ったような私塾のあり方がまさにそうですね。

工作舎時代の松岡正剛(右)
―――同じ底上げ型でも私塾と今の教育では全然違うわけですね。
違いますね。私塾はまさに私の塾。カリスマの先生がいて、その人のところで学びたいから行く。自分で選んで入って、そこで揉まれる。もちろん落ちる人もいるけれど、その中で頭角をあらわしていく人もいる。塾生はその塾が合わなければ、別の塾に変えてもいい。
今の大学のように学校に行ったからって就職できるとか、出世できるとかそんなことはまったく関係ない。好きじゃないとやっていけない。あと、一緒に暮らしながら学ぶ。もしかしたら才能のある人を本当に育てるとなると、ちょっと大変だと思うけれど、同じ釜の飯で一緒に暮らすことが必要なのかもしれない(笑)。いまは変わりましたが、昔の編集工学研究所や工作舎はそんな感じの雰囲気でしたよね。
―――今の日本の私立大学も私塾のように変わっていく可能性はありますか。
とにかく「ジェネラリストを育てる」というのが大学の責務になっています。つまり、何でもできる人ですね。たまに国立で研究者として尖っていく人を育てているところはありますが、本当にごく一部です。また、それができるのは理科系の研究ですね。
つづく
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【新春企画★Quedist】田中優子さんインタビュー
(1)ISISデビュー:広げるほど深くなる
(2)『遊』との出会い:ジャンルを決めなくていい
(3)[離]の学び:高速で仮止めの結論を出す
(4)編集学校に”ないもの”:発話する恐さ
(5)江戸から見ると:感性は磨けるのか?
(6)イシスモデル:一人ひとりの存在の仕方に
(7)社会へ、世界へ:身近に戦争があった
プロフィール:
田中優子 たなかゆうこ
法政大学名誉教授、江戸文化研究者
1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。