年の瀬となって冬らしい寒さも深まるなか、今年2024年に6年ぶりの長編『街とその不確かな壁』を出版していた作家の村上春樹さんが12月17日(月)に母校の早稲田大学から名誉博士号を授与される暖かいニュースが届いていた。文化芸術分野での功績によるものだ。当日の夜、編集工学研究所代表・安藤昭子による著書『問いの編集力』の刊行記念トークイベントがジュンク堂書店池袋本店にて熱く盛大に行われた。9月に出版された本書は人工知能(AI)の「答え」に飛びつきたくなる時代に、人類の誰もが備え持つ「編集力」によって、その人ならではの内発する「問い」を引き出してゆこうとするプロセスを示す書物である。既に遊刊エディストでも3名の編集人によってレビューが行われていた。
会場だけでなくオンラインでも参加できた『問いの編集力』の裏側について、安藤が編集工学の紹介後に初めて明かした松岡校長直伝の稽古を含めてレポートする。
■編集工学へのいざない
今年2024年8月に亡くなった編集者・松岡正剛が1987年に設立した編集工学研究所では、情報を広い意味で捉えようとしている。創業以来のスローガンが「生命に学ぶ・歴史を展く・文化と遊ぶ」の3つであり、活動の土台として築かれている。いったん全てのモノやコトを「情報」とし、その情報をあつかう営み全てを「編集」と捉えている。私たちの生命それ自体が情報から始まっており、情報同士の関係線を引きつつ新しいモノを創り出すことで私たちの命も文明も前進している。最近ではほんのれんという事業を始めており、小さな場所にギュッと書物を積み込んで、毎月5冊ずつの「本」とテーマ、そして「問い」をセットにして企業に届ける事業もスタートしている。
固定観念や既存の枠組みを思い切って超えて対角線を引くための力を養成するために、松岡は2000年にイシス編集学校を設立した。下は小学生から上は80代まで、職業などの属性がバラバラな参加者がオンライン上で一堂に会して編集力を高めるお題に答え続けて、「師範代」という役割名を持つコーチが指南をしている。例えばコップ1つに対して、お店に置いていれば「商品」、倉庫に置いていれば「在庫」、コミ捨て場に置いていれば「燃えないゴミ」という見方づけなどの含む編集稽古が行われている。この稽古を通じて、情報のグラウンド(地模様)とフィギュア(図柄)によってコップが多面的な情報を持っていることに気づくのだ。
■松岡正剛直伝「五夜読み」稽古
初めて編集工学を聞く参加者へのナビゲーションを終えて本題に入った。安藤が『問いの編集力』の執筆に3年も要していたことを告白する。この本を書くキッカケとなったのが2016年に編集工学研究所でいきなり始まった稽古だった。月1回のペースで、松岡正剛から直々にスタッフにお題が手渡された。説明スライド上で千夜千冊からのメインディッシュの5夜が提示される(このほか食前と食後の千夜もある)。
1.#685 ルドルフ・ウィトカウアー『アレゴリーとシンボル』
2.#296 ベルナール・パリシー『ルネサンス博物問答』
3.#1093 周士心『八大山人』
4.#1528 エルザ・スキャパレリ『ショッキング・ピンクを生んだ女』
5.#262 青山二郎『眼の哲学・利休伝ノート』
5夜全てを取り入れ、自分なりの論点をコンパイルとエディットを駆使しながらまとめてゆく必要がある。出題から1週間後の締切は厳守であり、他の重要プロジェクトの納期があったとしても情状酌量の余地はない。イシス編集学校の奥の院、世界読書奥義伝を掲げる離コースでの熾烈な稽古に類似している。
お題となる5夜を1度読んでも全体像がつかめず、2度目になってようやくキーワードなどの関係線を引けるようになった。締切2日前が「夜明け前」の状態であったと告白する。洞窟のような暗闇の中を歩きながら、5夜に対して生まれてきた俯瞰的な「問い」、あるいは超部分に対する「問い」を灯りとして、何度も書き直しながらジグザグに進み、千夜千冊との対話と外部参照元によって約10ページのレポート(A4サイズ)へと論点が凝縮されていった。
松岡は何故スタッフにお題レターを手渡したのか。安藤は松岡がNG部分に赤ペンを入れたレポートを手に取りつつ、「編集力は稽古を通じて、誰しもが身につけることができる」という信念があったことを明かす。約1年間の「五夜読み」の継続によって、将来に続いて模索するための「問いの種」たちを徹底的にアタマの中に埋め込まれたのである。語りの途中で、劇団「こまつ座」を運営していた井上ひさしの名言である以下のフレーズが紹介される。
「むつかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」井上ひさし
やさしいことをベースにするのではない、むつかしいことから始めることがポイントなのだ。本当に大事なことを語ろうとすると難しくなる。その上で優しく語れるように努力し、さらに深く、もっと面白くできるようにする悟りを安藤が得ていた。
「五夜読み」を通じた松岡とスタッフとのインタラクティブな刺激によって生まれたのが、捉えがたい「世界」と「世間」をめぐって論を展開する『擬 MODOKI:「世」あるいは別様の可能性』であった。どの章を読んでもむつかしい所から愉快になる。松岡に触発された安藤も、2020年に『才能をひらく編集工学』を出版するステージへ向かったのだ。
■セイゴオ流、不足を立ち上げるコツ
「五夜読み」稽古に関係づけて、不足についてのテーマへと移ってゆく。松岡の『知の編集術』では3つのキーセンテンスが冒頭で掲げられている。
1.編集は遊びから生まれる
2.編集は対話から生まれる
3.編集は不足から生まれる
安藤は編集工学研究所での松岡やスタッフとの仕事を通じて、3番目の「不足」がどこから生まれるのか、という問いを抱えていた。とあるプロジェクト最中に、どうすれば「いい不足」に出会えるのかを松岡に直接聞いた。その時に真剣に考えて答えてくれたのが次の「不足を立ち上げるコツ」だった。
松岡がNGとディレクションしたのは「ゼロイチ(0/1)で何か足りないモノ」を見つけることだった。1番目に挙げられているような、何かに重ねて2つの情報を対比させながら新たな関係性を結ぶミメロギアと呼ばれる稽古が編集学校で行われている。情報はひとりでいられないのだ。
私たちの思考は何かの枠組みに直ぐに吸着してしまう癖がある。2番目として挙げられたように、既に枠組みの中に入っているという前提の下で、そこから外せる状態をつくるように鍛える必要があるのだ。そのためは、正解を求めに行くよりも、3番目となる「異質」や「矛盾」さらに「自分の中の非情に偏った好み」を信じて使う方がよい。フェチを語りつくすことで、編集のエンジンが起動して暖まってゆく。
4番目として、非常に微細なところから全部の世界の「地」に繋がる自信を持つことが大事である。手元にあるペットボトルや、編集学校の最初の稽古に登場するコップを観察することから始めてもよい。入口は小さくても世界というのは全て繋がっているので、そのつもりで考えると出口が系統樹のように広くなり、語り手の突出へと向かってゆくのだ。
最後に登場したのが、松岡が強調する「1つずつ解決するのではダメで、いっぺんにたくさんのことに向かうというのがコツである」だった。このディレクションを受けたときに安藤は「五夜読み」を思い出す。1つ1つの千夜千冊を咀嚼するのではく、5つセットの論点をまとめようとしたときの不足と向きあう闘いと関係づけができたのだ。「五夜読み」が松岡によって考え抜かれた「問・感・応・答・返」を交わし合うコースウェアであったことが後からワカルという、クリスマスプレゼントのような「不足を立ち上げるコツ」の伝授であった。
ソロトークの後の質疑応答が終わり、会場参加者に向けたサイン会が行われる。安藤の手元にあった「五夜読み」のレポートを閲覧可能だった。お題レターに対して1週間でコンパイルとエディットが混ざり合った濃密な論点を10枚以上書ききり、闘いから帰還した後に松岡から赤ペンで植え付けられた創(きず)がレポートに残っていた。
リアルタイムで参加できなかった方に朗報がある。アーカイブ配信が用意されているのだ。コチラからオンライン視聴チケットを購入すると、2025年1月7日の23時59分まで視聴ができる(販売は1月7日の12時00分まで)。今回紹介しなかった別の「五夜読み」で選ばれていた千夜千冊や、松岡によるコメントレターの一部などを知りたい方はすぐにチケット入手へ向かってほしい。
松岡正剛の赤ペンが入った「五夜読み」レポート
写真提供:山内貴暉
畑本ヒロノブ
編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。
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