[週間花目付#009]エンシオスの神

2020/12/21(月)17:45
img
週刊花目付

<<前号

■2020.12.15(火)

 

 三津田知子花目付が34[花]にキャンプ場の開設を告げた。

 

 今週末の指南編集トレーニングキャンプについて、プログラム詳細は伏せることにするが、大きくは入伝生同士がペアを組んで交わし合う指南演習と、少人数のグループに別れて取り組むグループワークとが定番メニューとなっている。
 そのワークの一部始終を、指導陣が「花守衆」としてアツく見守る。

 

 キャンパー全員が集うメインラウンジは「エンシオス境」、グループワークの場は「ゲノム座」「ミーム座」と名づけられた。『情報生命』に肖ったネーミングだ。
 『情報生命』は、34[花]キックオフ時の師範会議で今期のキーブックとして選書された一冊だ。もちろん与件としてcovid-19が念頭にあったのだが、それ以上に「生命に学ぶ」という編集工学研究所のフィロソフィーを体現しようとする思いが強くあった。

 

 さて「エンシオスの神」(*)は34[花]に降臨するだろうか。週末の一座建立へ向けて、静々と場が設えられてゆく。

 

エンシオスの神

 デュボスは、場所にはもともと「エンシオスの神」がいると言った。エンシオス(entheos)は“enthusiasm”の語源にあたるギリシア語である。これは「インスピレーション」(inspiration)の語源だ。デュボスは、場所には「内なる神」としてのインスピレーションが潜在していて、このインスピレーションを取り出すことが人間の精神の力であり、そうだとすればそれこそが「場所の精神」のルーツだろうと言ったのである。

千夜千冊0010夜『内なる神』より)

 

 

■2020.12.17(木)

 

 入伝生が、キャンプに臨むカマエを「目前心後標」にキーノートする。その一つ一つへ、花目付からコメントを添える。

 

 「目前心後」は世阿弥の言葉だ。目を前に見て、心を後ろに置けとなり。主観を客観視せよ。自己と非自己がトケルことで編集的自己が立ち上がる。目前心後という方法が「語り手の突出」(*)を導くのだ。

 

 入伝生18名18様の花が開くことを楽しみに、強くあるいは優しく、ホドを測りながら背を押す。

 

語り手の突出

編集八段錦」(=編集工学的認知表現プロセスを8段階にステージングしたモデル)の8段目。1〜7段目は情報の自己組織化をトレースしたものだが、8段目で「自己編集性の発動」に言及している。
ここで言う「語り手」とは、たんにナレーターによるモード編集の突出を促すものではない。自己組織化された情報単位が、新たな相互編集の担い手として、場のなかで屹立して行くのだ。

 


■2020.12.19(土)

 

 キャンプ1日目。
 互いに知らない仲ではない者同士が、学衆役と師範代役をロールチェンジしながら指南編集に取り組む。日が傾き始める頃、それまで伏せられていた課題が開かれて、一気呵成のグループワークへ走る。締切期限は翌朝11:00だ。

 

 「編集学校はストイックに正解を避けている」という発言があって、考え込んだ。「正解」とは何だろう?

 

 たしかに、編集稽古のお題には正解がない。なぜなら「問」に予め解釈の多様性が織り込まれているからだ。それゆえ、ひとつの「問」から多彩な「感」「応」が誘われ、千変万華の「答」が表出する。
 そこで生じるズレや揺らぎに、回答者の編集的ユニークネスを見出そうとしているのであって、正解を忌避しているわけではない。むしろ、正解を指向するカマエをも受容しようとしている。

 

 強いて言うなら、イシス流エディターシップは正解を疑っているのだと思う。「他にも可能性がありそうだけど、そこで終わらせちゃって構わない?」と。その別様の編集可能性を、師範代は指南する。
 とはいえ「何でもアリ」と全てを許容するワケではない。そこに潜む「型」を見出して、型への進入角度と、型からの射出速度を問うて行く。
 エディティング・キャラクターは、型を出入りする際に発露するのだ。

 


■2020.12.20(日)

 

 キャンプ2日目。
 グループワークが締められた後は、再び指南編集ワークへ戻る。夕刻からは恒例のキャンプファイヤー。当期指導陣の他、有志のOB/OGも加わって無礼講の問答が交わされる。

 

 その最中、招かれて45[破]神島鳴神教室&東方パエーリャ教室の合同zoom汁講に参加した。
 下平真史師範代が、耳心地良い低音ボイスで包容力豊かに進行する。学衆さんたちはみなイキイキとした表情だった。

 

 花目付が破の汁講へ招かれるのは、つまるところ花伝所へのリクルートが目的なのだが、「最新の花伝所の話を」とリクエストされたこともあって、編集稽古の可能性についてざっくばらんに話を展開する。
 モニター越しのリアクションで一番手応えを感じたのは、「エディティングキャラクターの発露」について語ったくだりだった。

 

 ISIS花伝所は、ともすると士官学校に擬えながら厳しい鍛錬の場として語られることが多い。そのイメージは、そろそろ払拭していかなくてはならないだろう。
 「編集は遊び対話不足から生まれる」のうち、これまでは「不足」ばかりが偏重され過ぎてきたのかも知れない。NEXT ISISは「遊び」と「対話」をこそ極めるべきだろう。

 

 「遊び」といっても、賑やかワイワイという「倶楽部」ではなく、数寄や型に没入してこそ体験できる「クラブ」を指向して行きたい。
 カイヨワの「イリンクスが、そのための参照モデルとなりそうだ。本気の「遊び」にはそれなりの準備や訓練が不可欠であり、その道を極めた者こそが到達できる境地がアル。
 花伝所は、エンシオス神の依り代とならなくてはならない。

 

次号>>

年末番外篇 [ISIS for NEXT20]#1>>

年始番外篇 [ISIS for NEXT20]#2>>


  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。