現在の51[破]は、物語編集術のアリスとテレス賞の締め切りまで1週間を切り、「彼方への闘争」という英雄伝説的な佳境をむかえている。各教室では回答と指南が飛び交っている。なんとか声援をおくれないものかと思う。
約二カ月前、かなたの出来事になりつつあるが、51期の[破]では、津田一郎さんの『心はすべて数学である』(文春学藝ライブラリー)がセイゴオ知文術での課題本となった。数学なので敬遠されるだろうという51[破]ボードの予想はやぶられ、9名の学衆が手にとる人気本となり、全員がエントリーを果たした。
その津田一郎さんは『数学とはどんな学問か? 数学嫌いのための数学入門』(ブルーバックス)の冒頭で、アインシュタインの「常識とは18 歳までに積み重なった偏見の累積でしかない」という言葉を引き、数学が嫌い・難しいという常識の限界を突破することで、これまでにない数学観を打ち立てるために執筆したと述べている。その語りは、「測る」、「計算」、「論理」という数学の本質の型をじっくりと解きほぐし、微分、カオス、フラクタル、ゲーデルの不完全性定理というような憧れを抱きながらそっと目をそらした高度な型まで一気に運んでくれる。
[破]に進んだ学衆は、[守]の38番稽古で体得した型と[破]で手にする型を駆使して、創文を書くなかで自分の常識や偏見という壁を破っていく。師範代との稽古のなかで学衆の常識が破られて情報の濃縮がおこるとき、味わい深い言葉がうまれる。その結晶ともいえる言葉は、文脈からはずした状態でも何かしらの示唆をくれる輝きがある。濃厚な課題本をわずか800字の創文に写像するセイゴオ知文術では、学衆と師範代のAT賞エントリーをめざした熱量たっぷりの真剣勝負な稽古と、書籍・著者・学衆の三位一体が800字に融合されていくために、その結晶化が特におこりやすい。
冒頭のはなしに戻るが、物語編集術の佳境で常識がひとつでもやぶられることを願って声援をおくりたい。『心はすべて数学である』で51[破]の常識をやぶり、また松岡校長との『初めて語られた科学と生命と言語の秘密 』(文春新書)で社会の常識をこれまた破った津田さんと、そこに果敢に挑んだ学衆たちにあやかろうと思う。『心はすべて数学である』のセイゴオ知文術の創文でうまれた言葉をひろいあげ、「まちがい」をおそれずに物語編集術を後押しする言葉に再編集してみる。
カタルトシズル教室●K.H.
相方がいなければ心は通わない。
読み手にメッセージが伝わらなければせっかくの物語が台無しである。とはいえメッセージを説明されたり押し売りをされると「もう勘弁」とわがまま言うのが読み手である。言葉による暗示、アトサキ、アケフセの塩梅や潮時など。よくできた探偵小説のように読み手を想像しながらギリギリを攻めることで、心のはいったメッセージを届けたい。
平蔵ひたすら教室●A.D.
現実の自然界では少しずつずれが生じ拡大していく。時計の振り子が永遠に一定の動きを繰り返すことはない。
二重振り子は、初期位置のズレから多様な運動パターンを生成する。この映像の様子は、同じ課題本・映画・お題・型によっても多様な作品がうまれる様を示しているようである。それは、物語の5要素(ワールドモデル・キャラクター・ストーリー・シーン・ナレーター)は、多数の要素が相互作用をしながら動的な挙動をみせるので複雑系的だ。そこに学衆・師範代・教室も関わるため、未来に生みだされる成果は予測困難なのだ。なんだか予測がついてしまっているならば、線形的で機械的な取り組みとなっている。予測困難になりそうな方向に身を投じてほしい。
平蔵ひたすら教室●T.M.
従来の科学で見てきた世界は、81マスの箱庭にすぎない。
稽古で創文のために言葉をたくさん書きだすことで、自分の枠ともいえる「地」がみえてくる。自分がどんなロール・ルール・ツールの将棋を指しているか、やっと自覚的になれる。「いつものわたし」を手狭に感じるときに編集のチャンスがおとずれる。かといって力んでしまえば「いつものわたし」という窮屈な素の思考にもどって、物語をつくるのに必要な遊びや冗長性をもったカマエがお留守になってしまう。チャンスがきた時こそ[守]で鍛えた連想力をつかって柔らかく。
マジカル配列教室●Y.Y.
日常的空間と数学的空間、感覚と感性、有限と無限―。心の働かせ方にまつわるさまざまな二項対立の間に、最新の研究で補助線を張り巡らせながら、論は進んでいく。
「ここ」と「むこう」、主役と脇役、協力と対立、正常と異常、というような関係や境界の補助線を物語の要素のあいだに張り巡らせて、英雄伝説の構造をつくりこんでいく。バラバラな情報を統合する「物語る」は、高度なニューロンをもつ人間の学習のあり方だ。難しそうな情報の食わず嫌いからは早めに脱して、組み合わせの妙味にめざめたい。
平蔵ひたすら教室●T.U.
「私の脳」は他者に取りつけてもらった心の蛇口だったのだ。
これだと手持ちのアイデアに決めこまずに、教室内の回答、指南、ふと目にとまった情報をつかって「乗りかえ・持ちかえ・着がえ」を楽しんでみる。本命にしたい情報は、ちょっと脇に置いたところで逃げ出すこともなく熟成するまで待っていてくれる。そもそも、他者の存在で自己の心ができあがっているならば、「わたし」だけにこだわらず「他者」の視点を気軽に借りたり真似て流れにのるほうが自然体なのだ。
くればミネルバ教室●M.K.
『心はすべて数学である』という身近なワードにそれまで全く脳科学に興味を持たなかった世代が手を止め、新たな科学者誕生の揺籃となるのだ。
常識からは矛盾するような言葉の組み合わせの書名は、「やわらかいダイヤモンド」ともいえる。51[破]は、このタイトルの放つ編集的な魔力にやられてしまった。これから書きあげる物語のタイトルには、魔力的なニューワードをあつらえることで、物語の没頭へといざなってほしい。
アインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか』では、「科学ではいつもそうである通りに、私たちは深く根付づいてはいるものの、これまでしばしば無批判に繰り返されて来た偏見から離れることが何よりも大切です」とある。対象領域の情報を冷静にみつめている科学でさえ「地」を無批判に扱うおそれがあるのである。「いつものとおり」、「あたりまえ」といった日常を安全運転している状況では、常識や偏見にきづくことは難しい。
51[破]の物語では、常識をこえた新たな物語がどれだけうまれるのだろう。完成がみえずに挫けそうになる弱さ、翻案や言葉がでてこない編集力の不足、まさに試煉にたちむかう英雄の境遇そのものにあるではないか。立ちはだかる常識・偏見を打ち破って帰還し、3000文字の結晶が物語AT賞のエントリー作品として誇らしげにならぶことを待っている。
文/中尾行宏(51[破]師範)
イシス編集学校 [破]チーム
編集学校の背骨である[破]を担う。イメージを具現化する「校長の仕事術」を伝えるべく、エディトリアルに語り、書き、描き、交わしあう学匠、番匠、評匠、師範、師範代のチーム。
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