飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。

多読ジムseason18では「三冊筋プレス◎アワード」が開催された。お題は「評伝3冊」。三冊筋のチャレンジャーは29名。アワードエントリーまで到達した人数は14名だった。
月匠・木村久美子、冊匠・大音美弥子、さらに選匠の吉野陽子、小路千広、浅羽登志也の5人の選評委員が各作品を熟読し、選評会議を実施したうえ、厳正な審査の結果、読筋大賞を決定! 大賞三作品はそれぞれ「(走)」「(泳)」「(輪)」の漢字一文字が付され、下記の意図をもって各選匠が講評した。
(走)…評伝に描かれた人物をどこまでも追いかける脚力 講評:吉野陽子
(泳)…二つの世界をかわるがわる体験し、未知を呼吸する力 講評:小路千広
(輪)…異なるいくつもの世界をネットワークの力 講評:浅羽登志也
三冊筋プレス◎読筋大賞(走)[評伝三冊]は、下記の作品に贈られます。
★受賞者:畑勝之/スタジオ*スダジイ
●タイトル:物書きの矜持と疾走
●書名:『評伝開高健』小玉武/ちくま文庫
書名:『ライカでグッドバイ』青木富貴子/ちくま文庫
書名:『評伝高橋和巳』川西政明/講談社文芸文庫
●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐型
開高健を知らなくても、この知文を読めば彼の物書きの矜持を十二分に感じることができます。“経験に裏打ちされた虚構を書く”という孤高の境地にいたる道程に焦点をあて、闇のなかをひとりひた走る開高像を描きだしました。
二つの戦争と、その後の社会動向、同じ時代を生きた沢田教一と高橋和巳を開高の足取りにひたひたと絡ませた周到なハコビ。セイゴオ知文術をふまえて、三冊を適切に配置し、淡々と過不足なく本の情報を書きとめる手際。後半、高橋の評伝から引いた李商隠の方法に続けて、開高が虚構の世界に到達するさまは、虚実皮膜の文体に肉薄する勢いでした。評伝に描かれた人物をジリジリとあぶり出した知の脚力を称え、読筋大賞(走)を贈ります。
惜しむらくは畑さんのスコープが見えにくかったこと。冒頭のベトナムの描写は、開高と畑さんが時を隔てて同じ場所に立っているように読めますが、仄めかされているのみ。また、ラスト五行も視点の主が不鮮明です。著者の読みと筆者の読みを書きわけたうえで、二者を響きあわせるところが知文術の魅力であり、書き手が求道するところです。自身の視点をいかに表現するかという畑さんの方法を追求し、本との伴走を極めていかれることを期待しています。講評:吉野陽子 選匠
物書きの矜持と疾走 畑勝之/スタジオ*スダジイ
■ デルタ地域の豊穣と貧困
ベトナムにはふたつの穀倉地帯がある。北のトンキン・デルタと南のメコン・デルタだ。アメリカがベトナム戦争に介入した1965年、開高健はベトナムに潜入し、メコン・デルタの豊穣さに圧倒された。地平線の果てまで拡がる水田は、二期作・三期作すらも可能だが、住んでいる人々は驚くほどに貧困にあえいでいた。空にまでとけこむ水田の巨大な豊饒さと、土にとけこむ貧しさの異様な対照に、搾取のすさまじさを感じさせられた。
■ 飢餓と濫読
開高健は1930年に生まれて、戦中戦後の厳しい時代を生き抜いた、昭和期を代表する作家である。高度経済成長の黎明期においては、サントリーの宣伝部に所属し、コピーライターとして活躍したほか、PR誌『洋酒天国』の編集長として名を馳せた。『評伝開高健』を書き記した小玉武は会社の後輩にあたる。宣伝部での日々や、開高健の作品群に加え、未公開の書簡集にも丹念に目を通し、既存の評伝とは異なる、小玉武なりの読みを綴った。
開高健の多感な少年期は、強烈な飢餓と貪欲な濫読に尽くされる。戦中に教師であった父を病気によって失い、開高家は貧困のどん底に落とされる。弁当を携えることすらできない飢餓体験は、開高健の作品に執拗に繰り返された。他方、開高健の持ち前の好奇心は読書欲に火をつけた。父が残した『世界文学全集』や『現代日本文学全集』をなんども読み、飽き足らなくなると図書館に通い、近松や西鶴などの古典をも貪った。開高健の作品を彩る豊富な語彙は、少年期に培った濫読の賜物でもある。
■ 焼跡の闇から見つめる戦争のリアル
1958年に芥川賞を受賞したのち、開高健は小説に並行して、ルポルタージュにも活躍の場を広げる。朝日新聞社の委嘱によるベトナム戦争の従軍記事は、飢餓体験と、焼跡の荒廃のなかで芽生えた鋭敏な感覚で、ありのままのカオスを紡いだリアルな戦争譚になった。
ベトナム戦争は、検閲のないジャーナリストに開かれた戦争だった。とりわけ、アメリカ兵は体を張って彼らを守った。飽食と栄華を貪る本国へ、極限状況のなかで、ひっそりと生を終える自らの物語を伝えたかったのだ。
それは若いジャーナリストにとっての成功の機会にもなった。開高健のような物書きに加えて、多くのカメラマンがベトナムに集結する。青森での空襲体験を持つ、沢田教一もそのひとりだ。1936年生まれの沢田教一は、キャパやブレッソンに触発され、報道写真家としての活躍を夢みた。入念な準備と情報収集をモットーに、最も危険な戦場にて果敢に従軍しつつ、たくさんのベトナムの友人を持った。同行したベトナム人通訳は「彼は戦争を憎んでいた。ベトナム人の心をよく汲み取っていた。だからああいう写真が撮れたんです」と述懐する。開高健は沢田教一の評伝『ライカでグッドバイ』の解説にて「サワダの卓抜な眼と行動力は時代の心や事物の力と手をとりあって死の舞踏をつづけ、しばしばそれをしのいで瞬間を狩りとった」と賛辞し、男が危険をおかす気力を喪いつつあった時潮を憂いてみせた。
■ 焼跡の闇から見つめる政治の相
開高健が生まれた翌年に同じ大阪の地に、高橋和巳が生まれている。のちに「苦悩教の教祖」とも呼ばれ、全共闘世代に最も人気のあった作家のひとりだ。その苦悩の生き様は『評伝高橋和巳』に記される。高橋和巳は、ベトナム戦争の情勢論に一喜一憂することを無意味だと喝破し、泥土の内に死んでゆく兵士の死骸のみを非政治的に凝視すること、自らの無力感と絶望を噛みしめることのほうが有意義だと「孤立無援の思想」を掲げた。二つの体制の対立ゆえに戦われるという戦争の相とは別に、二つの体制が自己保存のために人民を犠牲にする政治の相を炙り出すからだ。沢田教一が危険を冒して狩りとった瞬間も、残酷な政治の相を示してみせる。
開高健も現地の体験から、リアルを炙り出そうとした。同時に、事実を知っただけでは、現実は紙のなかに立ち止まってくれないとも自戒する。一瞬の光の照射があって、現実は後姿なり前姿なりをちらりとみせてくれるにすぎない。高橋和巳が愛した李商隠は現実すらも朦朧ととらえたが、開高健の示した現実らしきものも朦朧とした虚構なのだ。政治の相をも虚構と暴いて放擲する。
■ 虚構が闇をかき混ぜる
ベトナムから帰還すると開高健の作風が変わる。フィクションとノンフィクションの区別を相対化し、私生活の吐露すらフィクションが紛れ込んだ。ベトナム体験も濃密な、闇三部作に取り組んだのち、辺境を駆け巡る紀行文を中心に活躍する。もっと広く!もっと遠く!と、奥底の闇をかき混ぜるべく、体験に根差した豊穣な語彙の力を極限まで追求した。それが物書きの生き様だった。
流布しているニュースに目を遣る。アメリカに限らず、西側諸国はウクライナへの支援を巡って政治の相を見せつける。飢餓や空襲の経験を喪失し、フェイクが溢れる西側諸国に、リアルの虚構はどう映り続けるのか。今こそ、闇の中を全速力で疾走してやるのだ。
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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コメント
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2025-08-16
飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。
2025-08-14
戦争を語るのはたしかにムズイ。LEGEND50の作家では、水木しげる、松本零士、かわぐちかいじ、安彦良和などが戦争をガッツリ語った作品を描いていた。
しかしマンガならではのやり方で、意外な角度から戦争を語った作品がある。
いしいひさいち『鏡の国の戦争』
戦争マンガの最極北にして最高峰。しかもそれがギャグマンガなのである。いしいひさいち恐るべし。
2025-08-12
超大型巨人に変態したり、背中に千夜をしょってみたり、菩薩になってアルカイックスマイルを決めてみたり。
たくさんのあなたが一千万の涼風になって吹きわたる。お釈迦さまやプラトンや、世阿弥たちと肩組みながら。