ゴートクジISIS館3階の男女別の閑処には、つねに数冊ずつの意外な本がそれぞれ置かれていて、用を足すいとま、スタッフの好奇心と読書欲を刺戟してくれる。その選本にはいったい何の謀りごとがあるのか、はたまた憚りがあるのか。普段は仕切られている男女の「壁」を掃って、本の主であるM(松岡正剛)の“腹の内”を推理する本合わせ、第二弾。
■第1局 学読VS文読篇
先攻:紅組
前田安正『マジ文章書けないんだけど』 大和書房 2017年
白組:この本、女子閑処に行ってたのか。いっとき文章に悩むイシス館の若手がひそかに回し読みしてた本です(笑)。2017年に出た文章術本で一番売れたって。
紅組:イラスト満載でカラフルでコンパクト、加えて「就活を控えてエントリーシートの文章が書けずに悩む女子大生」が文章指南を受けながら成長していくというストーリー仕立てがウケたのかな。
白組:文章術の本といえば著者がどういう人なのかが重大ですよね。この本は?
紅組:元朝日新聞の校閲事業部長。だから本の体裁はポップだけど、説かれている文章指南はいたって堅実です。構文的な文章の基本とか、「が」と「は」の使い分けとか、基本的なことはしっかり押さえられています。
白組:言い換えると、ぼくたちが目指しているような文章スキルとしては物足りない?
紅組:そんなことはないですよ。たとえば文章は「状況」「行動」「変化」という3つのモジュールで緻密に組み立てろという指南などは、Mの「いじりみよ」にも通底するコツになっている。あと5W1Hは当然として、「Why」を徹底して工夫しろというふうに展開していくのも、「読ませる文章」のためのコツとして納得できる。
白組:編集学校の指導陣が指南の参考にするといいかも。
後攻:白組
読書猿『独学大全―絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』 ダイヤモンド社 2020年
紅組:この本こそ、少し前にイシス館で話題になってましたね。その後は男子閑処に落ち着いていたんですか。
白組:著者の読書猿は『アイデア大全』とか『問題解決大全』とか徹底したコンパイル本で当てて来たブロガーです。この本もありとあらゆる「学び」の方法を網羅している。
紅組:学ぶ動機の維持の仕方から資料の探し方まで、読書術から要約術まで、ほんとうに目配りが広いし細かい。
白組:巻末の「独学困りごと索引」がまた便利なんです。Mが絶賛するリチャード・ワーマンのインストラクション・セオリーがばっちり応用されているみたいな。
紅組:マトリクスを使った情報整理篇なんて、バジラ高橋さんが得意としているコンパイル術に肉薄するような内容です。
白組:それぞれの方法論の歴史的な背景や根拠も解説してある。そのへんのノウハウ本を読むならこれ一冊を手元に置いたほうがよほど使えますね。
紅組:古代ギリシアの「記憶術」にも結構ページを割いてますね。「世界読書」に必要なスキルもほぼカバーされているようです。なんか悔しいな(笑)。
■憚読判定
白組:イシス館住民が悔しがる本という意味では、『独学大全』かな。でも独学術にしても文章術にしても、ぼくたちが「市場調査」のために見るぶんにはいいけど、ノウハウを学ぶために見ているようじゃMに顔向けできないという気がする。
紅組:きっとMもそのつもりで閑処に置いているんだと思う。とくに文章術の本は、今年中についにMが書く予定だから、私たちももっと鵜の目鷹の目で「市場調査」しておかないとね。
■第2局 和読VS倭読篇
先攻:白組
名和高司『パーパス経営-30年先の視点から現在を捉える』 東洋経済新報社 2021年
白組:この本は「パーパス」ブームの火付け役となった本でして、最近大手企業もこぞって社会にアピールしうる「パーパス=存在意義」を策定しはじめているのだそうです。
紅組:それをこの著者は「資本主義」から「志本経営」へとうたっている。コンサルティング業界ってほんとうにたくましい。次々新しい概念を生み出しますね。たぶんMが自分で買ったのではなく、版元から献本されてきたのでしょう。
白組:そうなんですが、開くとびっくりしますよ。第4章「日本流再考」に、新渡戸の武士道や西田の絶対矛盾的自己同一、福岡伸一の「動的平衡」なんかとともに、Mの「方法日本」がばっちり取り上げられている。
紅組:ほう、『日本文化の核心』の「ジャパン・フィルター」をまるまる引用解説してくれてますね。最終章には「歌を忘れたカナリヤ」「日本的編集力の時代」なんてキーワードも。
白組:名和さんはMの本を相当読み込んでますよ。「編集工学」の理解もすごく的確だし、「一途で多様な日本であれ」を力説しているところなんてMが憑依してるみたい。そうとうリスペクトを込めて献本してくれた一冊なんですよ。
紅組:それならイシス住民が共闘しないわけにはいかないか。
後攻:紅組
河内春人『倭の五王-王位継承と五世紀の東アジア』 中公新書 2018年
白組:「倭の五王」って、讃・珍・済・興・武ですよね。古代日本成立の鍵を握る王たちだけど、どれが仁徳でどれが雄略かなんてことがいまだに論争されている。
紅組:「方法日本」のおおもとを知るにも重要な時代です。にもかかわらず日本人はいまだに古事記・日本書記の記述にばかり固執している、日本人にはもっと同時代の『宋書』の読み解きを含めた古代東アジア全体を見渡す視点が必要ではないか、というのがこの本の主張なんです。
白組:千夜千冊エディションの『大アジア』の編集構成にMが込めた意図ともつながりそうな話ですね。で、「五王」の時代はどんなだったと書かれてるんですか。
紅組:倭国に「讃グループ」「済グループ」および「北陸グループ」の三つの有力集団があって、そのうち「北陸グループ」が残っていったという仮説が紹介されてます。
白組:ああ、それが継体天皇の皇統の話につながっていく?
紅組:その継体天皇の登場を促したものが、宋国の衰退と倭国の政治的混乱だったということで、いままでの「倭国の自立」を強調する歴史観を根本から覆す話になってました。
白組:おもしろそう。中公新書にハズレなしというのは本当なんですね。
■憚読判定
白組:読者層がそもそも違う本が並びました。方法日本をちゃんと探究したいなら『倭の五王』、方法日本の応用の仕方を学ぶなら『パーパス経営』ということでしょうか。まともに勝負しにくいですね。
紅組:イシス館住人は方法日本でビジネスもしなければいけませんから、『パーパス経営』に譲ってもいいですよ。私はだんぜん「ちゃんと探究派」ですけどね。
■第3局 超現読VS偏幻読篇
先攻:白組
巽孝之『サイバーパンク・アメリカ』 勁草書房 2021年
紅組:元はだいぶん古い本ですよね。今になって増補して再出版されたんですか。
白組:1988年の本です。ちょうど去年の年末の「マトリックス・レザレクションズ」公開を控えたタイミングで新装版が出た。
紅組:なるほど、まさにウィリアム・ギブスンと巽さんの対談も載ってますね。もともと「マトリックス」はギブスンの「ニューロマンサー」の映像化を目指していた。それにしてもいまさらサイバーパンクなのかなあ。
白組:ぼくもそう思いながら読んだけど、けっこう昂奮させられました。サイバーパンクという言葉は、1985年にテキサスで開催されたSF大会のパネルディスカッションで登場したんです。「鋭利でグロテスクなハイテク小説」を書くグループとしてスターリング、ギブスン、シャイナー、キャディガン、ベアといった作家たちが取りざたされた。これが当人たちを含む人気SF作家の喧々諤々の議論を呼んだ。巽さんはそのパネルディスカッションの会場にいて、当時の熱気と喧騒を全身で浴びていた。この本はそんな巽さんの当時最先端の「報告」にもなってたんです。
紅組:おや、ギブスンとの対談のなかにリドリー・スコットの「ブレード・ランナー」の話も出てきますね。なるほど『ニューロマンサー』よりもあの映画のほうが早かったのか。サイバーパンクと映画の関係はずっと気になっていました。
白組:ギブスンが「ブレード・ランナー」に驚愕して、同じ脚本家に映画版『ニューロマンサー』の脚本を書いてもらいたくて手を尽くしたけどパリに逃げられちゃったという、おもしろいエピソードもありました。
後攻:紅組
スラヴォイ・ジジェク『事件!』 河出ブックス 2015年
白組:この本、編集学校の指導陣はずっと気にしてますよ。なにしろ帯文は大澤真幸さん、昨年秋の感門之盟ではMが花伝師範の皆さんに贈りました。その後Amazonで在庫切れになってしまった。たぶん編集学校関係者がこぞって買ったんでしょう。
紅組:ジジェクは、事件というものを「原因を超える結果」だとして、これからの私たちの世界観の変更は「事件」を通してでしか起こりえないんじゃないかということを書いてます。ヴィリリオの「アクシデント」や「事故」の洞察なんかにも通ずる話ですね。ただしジジェクがこの本で取り上げる例示はものすごく片寄っている。
白組:目次を見るかぎり、宗教や哲学や精神分析といったジジェクのおなじみのテーマが展開しているようですが。
紅組:枠組みはそうなんですが、考察が肝心のところにさしかかると映画の話ばかりなんです。たとえば「幻想と過剰」というテーマを扱いながら、とりあげるのはニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」とクローネンバーグの「エム・バタフライ」。こんな映画だけで哲学しちゃっていいんだろうか。
白組:そういえばMも千夜千冊の『幻想の感染』で、「結局ジジェクはリドリー・スコットやデヴィッド・リンチがたまらなく好きなのだ」と見抜いていました。
紅組:映画好きが昂じて「スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド」という映画もつくってるらしい。ラインナップにはスコット、リンチ、ヒッチコックなんかとともにデヴィッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」、そしてウォシャウスキーの「マトリックス」も。
白組:うーん。ジジェクの映画フェチは筋金入りなんですね。
■憚読判定
白組:最後は意外な本同士の対戦だったのに、サイバーパンクとジジェクが見事につながりましたね。
紅組:フェチをうんと究めれば、幻想と妄想は必ずどこかでつながっていくんですね。それとも、この憚読合戦のメンバーの顔触れを考えながら、Mがこっそり謎かけを仕込んでくれていたのかな。
赤堤憚読組
Mこと松岡正剛の生態を誰よりもよく知るISIS館住人たちで結成。「千夜千冊」以外にMが遊んでいる意外な本を紹介するため、この企画を立ち上げた。
ゴートクジISIS館3階の男女別の閑処には、つねに数冊ずつの意外な本がそれぞれ置かれていて、用を足すいとま、スタッフの好奇心と読書欲を刺戟してくれる。その選本にはいったい何の謀りごとがあるのか、はたまた憚りがあるのか。普 […]