平和に飛び交うモンシロチョウも、地球史スケールでは、ほんの少し前に日本にやって来たばかりのパイオニアらしい。押さえきれない衝動に駆り立てられて彼方に旅立つ人たちの原型は、海をわたる蝶なのかもしれない。
清水博先生追悼
ちょうど第十一回を書き終わった時に、清水博さんが93歳で鬼籍に入られたとの報を受けた。松岡さんが天才と認め早くから注目していた学者の一人がこの世を去った。私はここ何年かは年二回メールのやり取りをしてお元気であることを確認していた。昨年暮れのメールで、奥様が体調を崩され入院されており、「私は自力で歩けないので自宅にいます。生協の宅配弁当を食べて生き延びています。“共創の場”を共に学ぶ人たちとオンラインで議論するのが楽しみで、その原稿を書いています」とおっしゃっていたが、その後体調を崩されて入院されたようだ。入院先の病院で2月7日に息を引き取られたという知らせに関係者みな肩を落としたのだった。昨年夏のメールでは、「松岡さんとの共著を完成され、本当によかったと思います」と『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』を読了した感想を短い一言で述べてくださった。心温まる感想である。松岡さんの生前にこの感想を届けられたらどれほどよかっただろうか。この偉大なお二人はあちらの世界で「やあ、久しぶりだね、松岡さん。遅ればせながらやってきたよ」、「これはこれは、清水さんじゃないですか。今か今かとお待ちしてました」、「向こうの世界じゃあ、ずいぶんお世話になったね。情報、自己組織、編集、生命、いろいろ議論したね。いやあ、楽しかったね」、「こちらこそ編集工学を作っていくときに清水さんの『生命を捉えなおす』や『生命と場』、『場と共創』なんかがとても参考になりましたよ」などと永遠に会話は続くだろう。あちらの世界には時間が存在しない。
こういう事情なので、『エディションを謎る』の第十一回はすでに書き終わっていたのだが、そちらを十二回に回して、十二回に書こうと思っていたことを十一回として先に発表することにした。
生命の場としての情報
松岡さんは当然ながら『情報生命』において、清水さんの『生命を捉えなおす』を取り上げている(第1060夜、『情報生命』pp.221-241)。その中で、この本の衝撃を機関銃掃射のようだと表現し、生命の動的秩序をすべての階層で可能にする情報に着目した点を天才的だと認めた。この本が出版されたのは1978年。そこで松岡さんは衝撃を受けたというのである。それでずっと気になっていて、ある時意を決して清水さんに会いに行った。『情報生命』p.222からp.223にかけて、そのあたりのいきさつがある。私の記憶と少しだけ違っている。私の記憶では、松岡さんは澁谷さんを伴って東大薬学部の清水研にやってきた。私はその時、清水さんから「津田さん、松岡正剛という人知ってる?」と聞かれ、「会ったことはないですけど、『遊』という際どくて面白い雑誌を出している人です」と答えた記憶がある。『情報生命』にも出てくるバイオホロニクス(『情報生命』p.222)プロジェクトに私が参加し始めた1982年秋かそのすぐ後の冬だったか、いずれにせよ、その時が松岡さんとは初対面である。この時、清水さんが呼んでるよと研究室の誰か(確か、矢野雅文さん)が私を呼んだので清水教授室にいくと、松岡さんと澁谷さんが清水さんの向かいに座っていて、私は清水さんの横に座った。第一印象として感じたのはお二人の眼光の鋭さだった。やはり、ただ者ではない。すると、松岡さんはなぜかすでに私の研究を知っていて、「ああ、京大の富田さんのところを出たカオスで有名な津田さんですか」と言った。私の方がびっくり仰天だった。一介のポスドク研究者にすぎない者の事をなんとこの人はちゃんと調べているんだなと。その後、清水さんが松岡さんを東大に呼んで講義をしてもらったのだ。だから、東大の講義の時は私とは二度目の出会いだったはずである。まあ、細かいことではあるのだが。
実はそれから半年ほどたって、私たちは元麻布の松岡正剛事務所で夜を徹して語り合った。この時のことが松岡さんの脳裏に刻まれたようだ。清水さんはいろんな経験を私にさせてくれた。大蔵省(現財務相)の若手で将来の出世間違いなしの(人生が決定論で予測可能なんて、官僚の世界とは恐ろしいところだと思った)、意気の良いのがいるからその人が主催する勉強会に参加しようと、松岡さんと私を推薦してくれた。この時の若手大蔵官僚が(予測可能決定論どおり)後の福田内閣の時に事務次官補になった坂篤郎さんである。実は私が初めて東京に出てきたときの住まいを紹介してくれたのが本郷の東大正門近くにあった坂さんのご実家の母上であった。これも清水さんのはからいだった。
松岡さんも『情報生命』p.223でコメントしているように、日本で初の複雑性に関する国際会議を清水さんが主催した。そこで、松岡さんは清水さんに呼ばれて発言者になったと書いている。しかし、それだけではなく実は松岡さんも組織委員の一人だった。今、私の手元にはこの時の報告書がある。Proceedings of a Conference on the Amalgamation of the Easten and the Western Ways of Thinking BIOLOGICAL COMPLEXITY AND INFORMATION (Fuji-Susono, Japan, April 21-24, 1989 Edited by Hiroshi Shimizu, World Scientific: Singapore, New Jersey, London, Hong Kong, 1990). この会議は総合研究開発機構(National Institute for Research and Advancement,略してNIRA)とトヨタ財団からの資金援助で成立した。そういうこともあって、松岡さんが『情報生命』p.157でも真の意味の大物官僚として、また中村桂子さんの才能をいち早く認めた人として紹介しているNIRAの下河辺淳さん、それに当時『構造と力』でポストモダンの旗手としてすでに名を馳せていた浅田彰氏の伯父である当時トヨタ財団専務理事の建築家浅田孝さんに謝辞が送られている. ご両者も出席し、下河辺さんは開会の辞を、浅田さんは閉会の辞を述べた。謝辞のところに会議の組織者の名前がアルファベット順に書いてある。S. Matsuoka, Y. Murakami, Y. Nakamura, H. Shimizu, I. Tsudaと明記されている。先頭から、松岡正剛、村上陽一郎、中村雄二郎、清水博、筆者である。このプロシーディングズのp.305からp.309が松岡さんの発言記録である。タイトルはThe Information Aspect of Japanese Religion。所属はEditorial Engineering Laboratory、場所は元麻布。中身を読むとどうやら、前の晩に清水さんからこのセッションの冒頭で話すように言われたようだ。かなりの無茶ぶりだが、松岡さんは即座に引き受けた。さらにこの会議には松岡さんが千夜千冊している蔵本由紀さん(第1225夜、『情報生命』pp.207-220;『数学的』pp.258-271)も発表している。

1989年4月、富士裾野市で開催された「生物の複雑さと情報」に関する国際会議における集合写真。前列右から二人目が清水博先生、四人目が数理生物学者のロバート・ローゼン氏。前列一番左が臨済宗の禅僧、秋月龍珉氏、左から三人目が脳の運動系の研究で高名な脳神経科学者の久保田競氏。前列2段目の右から二人目が非線形物理学を確立した蔵本由紀氏、左から三人目が浅田孝氏。前列3段目の右から二人目が金子郁容氏、三人目は下河辺淳氏、四人目は筆者、左から三人目は医師の田原孝氏。後列2段目の右から二人目は非線形振動子の同期現象を発見した山口陽子氏(当時清水研助手)、三人目が松岡正剛氏、左から二人目が当時清水研の番頭的存在で天才的実験家の矢野雅文氏(当時清水研講師)。その他、多士済々のメンバーがそろった。写真は上記プロシーディングズから。
松岡さんは、生命の階層を貫く情報の糸を編集というキーワードで紡ごうとしてきた。これは生命の“統合”理論ではない。階層を貫く情報理論である。この観点があるから稀有な才能を持った生命科学者とその考えに興味を持った。中村桂子さんの「生命誌」ではゲノムが情報の糸の役割を果たしている。清水博さんの「共創場」では関係子がその役割を担っている。また、金子邦彦さんの「普遍生物学」では(第1840夜、『数学的』pp.319-329)揺動散逸定理が、蔵本由紀さんの「非線形科学」では位相縮約と同期がその役割を果たしているのである(第1225夜、『情報生命』pp.207-220;『数学的』pp.258-271)。
生命は開放系か閉鎖系か?
私が京都大学物理学教室の富田和久先生のもとで非線形非平衡統計物理学を学ぼうと決意したのは、大阪大学物理学科3年生の時に金森順次郎先生(固体物理学、特に磁性体物理学の大家)の統計物理学の講義に魅了されたのがきっかけだった。「統計物理に興味があります」と言うと、「それなら、こんな本を読んでみたら」と渡されたのが、俗に“マイアー・マイアー”と呼ばれていた多体系の統計物理の大学院生向きの教科書でJoseph Edward Mayer, Maria Goeppert-Mayer, Statistical Mechanics (John Wiley & Sons, Inc. 1940)である。さすがにちょっと難しくて、2週間ほどで金森先生にお返しした。4年生の卒研は金森先生のもとでやりたいと申し出ると、「うちでは統計物理はやってませんわ。磁性体なんで、個体物理の論文を読むのをやってます。君がやりたい言うてはる平衡系の統計力学はもう完成してますわ。難しい問題が二、三残ってるだけなんです。いや、そやけど、非平衡の統計物理はまだこれからですわ。これをやりたいんやったら、うちではあきませんわ。教授で今の日本で紹介できるのは4人だけですわ」と言って、4人の名前を教えてくれた。すぐに理学部の図書館に行ってこの4人の論文を調べて、感覚が一番合った富田和久先生を選んだ。それで、大学院は京大物理を受験することになったのである。しかし、まずは4年生の研究室配属だった。私は金森先生の講義に物理の生命感を感じていたので、どうしても金森先生のところで卒研をしたかったのである。それで、いろいろ調べて、非線形熱力学の本を書いていたIlya Prigogine(イリア・プリゴジン、私が修士1年の秋の1977年にノーベル化学賞受賞)の本を図書館で見つけて、これを卒研でやりたいと金森先生に申し出た。金森先生は、自分が見る(卒研生の面倒を見る)なら個体物理の論文を読んでもらうことにしているからそれは曲げられない、助教授の鈴木さんが見てもいいと言っているので、それでよければうちに来なさい、ということでなんとか許可が下りた。
卒研ゼミではプリゴジン(鈴木先生担当)と誰の本だったか忘れたがAdvanced Quantum Mechanicsを読み(金森先生担当)、他方で卒研の対象論文は金森先生の助言もあって、BCS理論(超伝導現象を理論的に解明した画期的な論文。三人の共同研究者Bardeen, Cooper, Shriefferの頭文字をとって命名された。この業績で三人そろって1972年のノーベル物理学賞受賞)の長い論文になった。これを独力で読んだのである。いきなり読むのは大変なので、超伝導の教科書を3冊ほど読み、関連論文としてBrian Josephson(1973年にジョセフソン効果の発見によりノーベル物理学賞受賞)のジョセフソン効果の論文や、Leon Cooper(BCSの一人)のクーパー対に関する論文なども読んだ後にBCSの論文に取り掛かったのだった。京大入試に合格した後はBCS理論に没頭していた。プリゴジンの非線形熱力学の本はかなり荒っぽくて間違いと思える箇所が多数あった。それでプリゴジンは少し横に置いたのである。こういうわけだから、京大の富田研に入った時は、プリゴジンはかなり知っていた。富田先生も1年間、プリゴジンのところに行きそこで影響を受けて非線形非平衡の統計理論を研究するようになったということだったので、富田研はまさに非平衡開放系の現象論を研究するにはうってつけだったのである。さらに、ちょうどプリゴジンのところに留学して帰国した相沢洋二さんが富田研の助手として着任した。加えて、非線形非平衡系の研究ではプリゴジンと双璧をなすHermann Haken(ヘルマン・ハーケン)のところに1年間行っていた助教授の蔵本由紀さんが帰国した。まさに富田研は日本における非線形非平衡系の統計物理学を研究するには最適な場所になったのである。
大学院生の2年目に清水さんの『生命を捉えなおす』が出版された。また、中村桂子さんが当時所属していた三菱化成生命科学研究所が発行する生命と情報に関するシリーズが出初めていた。これらにも大いに刺激を受け、またちょうどManfred Eigen(マンフレート・アイゲン)がハイパーサイクル(第1076夜、『情報生命」p.282』)の概念を出したときでもあり、こういった概念は閉鎖系ではありえないので、非平衡開放系こそが生命誕生の出発点においては必要不可欠な条件だと考えていた。ところが、これに一見反するような説が飛び出してきたのだ。「閉鎖系」こそが生命の本質だと主張する「オートポイエーシス」という概念である(第1063夜、『情報生命』pp.186-206)。
オートポイエーシスの意義
日本におけるオートポイエーシスの紹介者であり、その研究者でもある河本英夫さんの本を読み解き松岡さんなりの解釈を加えたのが第1063夜である。オートポイエーシスは生命システム論である。その意味で、河本さんの『オートポイエーシス・第三世代システム』を松岡さんなりに要約している。第一世代は動的平衡システム、第二世代は動的非平衡システム、第三世代がオートポイエーシス・システムだという。動的平衡という概念は福岡伸一さんが提唱しているが、そこでの“平衡”はホメオスタシスのような代謝の維持機構を指していると思われる。このような維持機構は必要だが動的に維持するためにはシステムは非平衡系でなくてはならない。平衡を保つには非平衡環境が必要だということだ。さらにそれらが、進化のような変化をする中で生命機構としての普遍性を獲得するためには自己複製を(癌化を防ぐために)抑制的に実現する機構が必要である。そのためには代謝活動に化学反応のレベルの自己言及性が必要であるが、他方それが暴走しないためには無限の自己言及であってはならず、したがって有限回の自己言及で閉じなければならない。
私見であるが、オートポイエーシスの閉鎖系というのはこの自己言及性の有限性を指しているのではないだろうか。そうすると、清水さんの生命論に影響を受けた私たちが提案している拘束条件付きの自己組織化というのは、オートポイエーシスを実現するために必要な抑制機構ではないかと思えてくる。システム全体に抽象的(情報量最大化とか、エネルギーコスト最小化といった)という意味でキメの粗い拘束を与えることでシステム要素が役割分担をしながら機能発現する。拘束条件はシステム要素ではなくシステム全体に作用し、システムを維持するために状況に応じて変化する。拘束条件を生み出す力学は環境と相互作用するがそれをシステムの状態と見做すような反応が起こる(自己言及性)ことで、有限回の自己言及によって環境状態に依存する拘束条件の生成を可能にする。すると、もはや環境も自己のシステム内に取り込んだことになるのである。生命が環境変化の中で進化、変化しながら動的に維持されていく可能な仕組みがオートポイエーシスとして概念化されたのであれば、拘束条件付き自己組織化はその実現機構を与えていると考えられるのではないか。

図は脂質二重層の膜で囲まれた原始細胞のモデルである。脂質膜に囲まれた細胞では、外部から入る前駆体が内部代謝によって膜成分へ変換され、その膜がまた物質輸送と内部反応の条件を整える。ここでは、代謝・膜形成・輸送・水流という有限個の過程が互いを支え合う閉路として自己維持が成り立つ。このように有限個の関係が再び自らの成立条件に折り返され、供給と散逸のバランスが変われば、系は成長・定常維持・崩壊へと振る舞いを変える。出典: Fabio Mavelli, Emiliano Altamura, Luigi Cassidei, and Pasquale Stano. “Recent Theoretical Approaches to Minimal Artificial Cells.” Entropy 16, no. 5 (2014): 2488–2511. “https://www.mdpi.com/1099-4300/16/5/2488”
マトゥラーナを思い出す生命体の場と形式言語の部屋
1992年、オーストリアのリンツでArs Electronicaの催しの一つとして、Die Welt von Innen-ENDO und NANOという国際シンポジウムが開かれた。Endophysics(内在物理学)を1970年代に提唱していたDavid Finkelstein(デヴィッド・フィンケルスタイン)が基調講演を行い、従来の物理学が外からの観測事実に基づいて構築されてきたのに対して、内側から見た”事実“をもとにした内在物理学の重要性を強調した。ニュートン力学は外から世界を観測して客観世界の物理法則を記述する体系だが、例えば相対性理論は内側からの観測に基づいている。したがって、相対論における唯一の仮定はどの相対的な系においても光速度は不変であるというものになる。マイケルソン・モーリーの実験によりエーテル(光を伝搬させる媒質に相当するもの)が存在しないことが明らかになったので、光は媒質の中を移動するのではないこと、光はマックスウェル方程式から導かれる電磁波であること、マックスウェル方程式はマックスウェル自身が気づいていたように観測する系に依らないこと。これらの事から光速度不変は、内側から世界を観測した時に必然的にその法則が満たすべき拘束条件である。こんな大テーマの会議に私は日本人で唯一の講演者だったのでとても心細かった。しかし幸いなことに、カオスの発見者の一人であるOtto Rössler(オットー・レスラー)やハンガリー人で友人のPeter Érdi(ピーター・エルディ)の親友であるGeorge Kampis(ジョージ・カンピシュ)がいたので、少しだけ気が休まったのだった。さらに、カオス研究で有名だったカリフォルニア4人組の兄貴分的存在のRob Shaw(ロブ・ショー)がいたが、彼はとてもシャイな人で、あまり話し込むタイプではなかった。また、その素性をあとで知ったのだが、サイバネティクスの生みの親の一人だったGordon Pask(ゴルドン・パスク)も参加していた。長い髪が純白で杖を突いた奇怪な風貌の御仁である。私の講演に対して彼がとても難しく複雑な質問をしたので壇上で困り果てたのを思い出す。
さて、実はここにオートポイエーシスのウンベルト・マトゥラーナが特別講演をするためにやってきた。自身の講演が終わるとあっという間に去っていったので話も挨拶もできなかったのだが、これがマトゥラーナかとある種感動を覚えたのだった。ところが、講演の中身となると、さっぱり分からなかった。認知の話を極めて哲学的に話したのだ。清水さんの1989年の国際会議以来親しくなっていた数学者のRobert Rosen(ロバート・ローゼン)やゴルドン・パスクは内容を理解したらしく、さかんに抽象的な議論をしていた。こういう哲学的な議論では英語力が100%ものを言うことを改めて思い知らされたのだった。
付け加えると、この会には松岡さんが『情報生命』で取り上げているJohn Casti(ジョン・キャスティ)(第1066夜、『情報生命』pp.242-267)も来ていて講演した。「中国語の部屋」という人工知能で有名な問題に関する講演だった。「中国語の部屋」とはどういうものかというと、中国語を理解しないイギリス人Aが部屋の中にあるマニュアルに従って記号処理だけをすれば、仮にその意味を理解していなくても、操作自体は問題なく進む(中国語の文章を出力でき、質問に対して回答できる)ということを表現したものだ。 John Searl(ジョン サール)が言語の意味を理解する知能がなくてもチューリングテストを合格する例として提案した。この会議でのキャスティの講演は特に目新しいことはなかった。キャスティの講演を聞いていて、漢字の意味が分かる私にとってはむしろつまらない問題だと改めて実感したのだった。それだけではない。これは漢字の分からない西洋人が考えた例であり、なんとなく私は人種差別的なにおいを感じてしまった。だから、いまだにこの手の例題を好きにはなれないでいる。仮に、部屋の中にいるのが漢字を理解できないAではなく中国人だったなら、マニュアル(例えば中英辞典のようなもの)に従って中国語で意味のある応答ができるが、外にいるイギリス人にはその中国人に知能があるかどうか判定できない、という含意が存在する。サールの当初の目的を達成するのならば、別段中国語を持ち出す必要はない。単に人間Cにはわからない記号列だとしても良かったはずだ。その人間Cは全く意味が理解できない記号処理をマニュアルに従って十分にこなすことができるが、外の人間から見るとCがたとえチューリングテストを合格しても記号処理に関しては知能があるかどうか判定できない。現に、Cは意味も分からず記号を変換しただけなので、C自身知的作業をしたとは感じないだろう。このようにしてこの部屋は、知能というのは課題を達成するために必要な脳の機能の一側面を見ただけでは計り知れないものだということを考えるための“形式言語の部屋”だと考えてもよかったはずである。なにも中国語を持ち出す必要はなかったのではないか。キャスティが漢字を指さして「この記号は我々には何を意味するのかさっぱり分からないが」などと得々と話しながら講演したので、私の気分は最悪になったのだった。他方でこの問題は、現在のChatGPTのような対話型AIがいかに知的にふるまってもそこには知性はないどころか知能も限定的だということを理解し、どのような意味で知能があるかどうか判断するのかを考えるための問題設定にはなるだろう。

アルス・エレクトロニカでの国際会議「内在物理学とナノテクノロジー」の翌日の現地新聞記事。左紙面では「根本に戻す」、右紙面では「全ては生成するのであり、あらかじめ存在している実在はない」というタイトルが打たれている。「数学と芸術の交わり」「生命:相互作用しながら世界を記述する新しい数学理論」「世界の概念を変えていく数学」などが主題として取り上げられている。写真の人物がフィンケルスタイン博士。右紙面では筆者の発表「脳の解釈学」がかなりの字数を割いて紹介されている。
図版構成:梅澤光由&南田桂吾
§津田一郎の新刊情報
『脳から心が生まれる秘密』(幻冬社新書)2025年9月25日刊行
§津田一郎の編集工学をより深く理解する特別講義
§津田一郎の『千夜千冊エディション』を謎る・連載一覧
津田一郎
理学博士。カオス研究、複雑系研究、脳のダイナミクスの研究を行う。Noise-induced orderやカオス遍歴の発見と数理解析などで注目される。また、脳の解釈学の提案、非平衡神経回路における動的連想記憶の発見と解析、海馬におけるエピソード記憶形成のカントールコーディング仮説の提案と実証、サルの推論実験、コミュニケーションの脳理論、脳の機能分化を解明するための拘束条件付き自己組織化理論と数理モデルの提案など。2023年、松岡正剛との共著『初めて語られた科学と生命と言語の秘密 』(文春新書)を出版。2024年からISIS co-missionに就任。
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2026-03-03
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