全体主義に抗うための問いを持て■武邑光裕を知る・読む・考える(3)

2024/01/09(火)08:03
img NESTedit

2024121日、メディア美学者・武邑光裕氏による52[守]特別講義が迫ってきた。昨年、三夜にわたって開催された「10周年記念 武邑塾2023×DOMMUNE」の記憶はまだ新しい。時代、テクノロジーの先端を走り続ける武邑氏による近未来の預言書。「武邑光裕を知る・読む・考える」第3弾は、『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』をお届けする。

 



 現代社会の様相が、近未来の全体主義国家による監視社会の暴走を描いた作家ジョージ・オーウェルのSF小説『1984』と酷似してるように感じる。『1984』では思想警察が異端を排除し、統制を維持するために言論を統一しようとした。現代社会のネット空間においても、正義の名の下に、異なる意見を弾圧する動きが現れている。善意から出発した正義が過剰にエスカレートし、良かれとされるべき行為が暴走する。言論の自由とは名ばかりに、目に見えない正解を強いる同調圧力がネット空間を蔓延している。これにより全体主義の流れが知らず知らずのうちに加速を始める。まるでインターネットは「パノプティコン」が聳え立っているかのような相互監視システムの役目を持つ。

 ネット環境さえ整っていれば、世界中どこからでも無料で電話が使えて、複数名でのテレビ電話もできる時代を生きている。ほんの十数年前には、誰かの妄言だった話が、もはや遠い過去の話。ただ、その通話内容、やり取りされたメッセージや写真、動画のデータの行く末を考えたことはあるだろうか。それを保存するサーバー自体が国内に無いという事実もある。利便性を享受することと引き換えに、私たちはスマホやそのアプリが、私たちのプライバシーを吸い取って、企業が莫大な広告収入を得ていることや、データとなって流動する自身のプライバシーの行方にはあまりにも無関心なのである。

 そのことを一早く予見していたメディア美学者の武邑光裕さんは、本書『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』の中で、GAFA、スマートシティ、感染追跡、監視資本主義、デジタルツイン、AIなどの事象を列挙しながら、データ時代におけるプライバシーとはなにかを問う。個人とはなにか? 自由とはなにか? そして、21世紀に民主主義は可能なのか? 武邑さんが突きつけるのは、この先避けては通れない、考え続けなくてはならない無数の問いだ。問いは言語化されて、初めて認識としての価値を持つ。問い以前には問題として顕在意識にすらあがらないのである。

 目に見える家のような物理的空間としてのプライバシーの侵害には、人はすぐさま反応するが、サイバースペースではこの理解とまったく異なってくる。SNSに何気無く投稿した子どもの写真を、誰が見ているのかということをそこまで意識しない。つまりインターネットによって、プライバシーを定義する「空間の概念」と「自己決定権」を失ってしまったといえる。

 聖書における最初の物語は、創造主に対する人間の不安、神を盲目的に信じることができない内面の葛藤を示していた。神への疑いは、楽園からの追放として罰せられたが、実は「疑うことの力=知恵の力」が強調されていたのである。懐疑と確信の間で揺れる「神」を通して、人間の歴史は進むことになる。つまり「問い」そのものを編集する力が鍵になる。普段通り過ぎてしまう景色に一度「注意のカーソル」を当ててみる。編集稽古とは、この「問い」という思考のフレームワークを「型」として学ぶことにある。全体主義に抵抗する唯一の方法。学ぶことには問う力がセットだということを忘れてはいけない。「問い」にこそ知性の働きの中心があるはずだ。

 


アイキャッチ/阿久津健(52[守]師範)


 

イシス編集学校第52期[守]特別講義●武邑光裕の編集宣言 

●日時:2024121日(日)14:0017:00
●ご参加方法:zoom
●ご参加費:3,500円(税別)*52[守]受講生は無料

●申込先:https://shop.eel.co.jp/products/detail/622
●お問合せ先:es_event@eel.co.jp

 


◆武邑光裕を知る・読む・考えるシリーズ◆

異種交流で浮き世離れせよ『デジタル・ジャパネスク』

日本文化の記憶の継承者たれ『記憶のゆくたて ーデジタル・アーカイヴの文化経済ー』

 

  • 小野泰秀

    編集的先達:ゲーリー・スナイダー。ファッション、工芸、音楽、映画、写真、マンガと幅広い慧眼をもつジュエリーデザイナーにして骨董商。所持金80ドルでオーストラリアに上陸し、生活を始めた行動力の持ち主。ブレない自分軸を立てつつ、ただいま編集力探究に邁進中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。