[週刊花目付#25]「評価」のアフォーダンス

2021/11/30(火)09:25
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週刊花目付

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■2021.11.22(月)

 

 36[花]は道場での演習が一段落となり、今夜は「中間スコア」の提出期限を迎える。花目付として今期は締切感覚のルーズさに気を揉んでいるのだが、まぁここは鷹揚に構えておこう。定められたルールは評価軸の一つではあるが、それを満足することが価値の全てではない。

 

 ラボでは神尾美由紀錬成師範がカリントウの次鋒に立って、入伝生の抱える「無印不良品」を掘り起こしている。プレワークで共読した『ハックルベリー・フィンの冒険』に肖った問答だ。

 「うしろめたさ」「不器用さ」「好奇心」など抽象的な回答が続くなかで、コマツバラの「作りかけのプラモデル」とミウラの「積み上げたままになっている布や紙や木っ端」が面白かった。「わたし」の内に宿るイメージは、外在する事象に投影されることで他者と交換可能になるのだから、自分なりの意味づけや見方づけはもっともっと積極的に語り起こして行った方が良い。

 

これで、ぼくがアメリカン・ヒーローは大嫌いなのに、ハックルベリイ・フィンだけは例外であるといった意味がわかってもらえただろうか。泥棒をする少年とは、大人の社会が安全にしまいこんだ常識金庫を破る少年なのである。無印不良品をこっそり分配したい少年なのである。

千夜千冊611夜『ハックルベリー・フィンの冒険』

 

 

■2021.11.25(木)

 

 「評価」はいったい何をもたらすのか?

 

 かつて私が入伝生だった頃、「師範代のモデルは警察官か医者か」という問答が起こった。学衆の回答に何らかの不足を発見したときに、師範代はそれを正すように振る舞うのか、症状を診断して処方箋を授けるのか、という考察である。
 選択肢が2つしかないなら後者がベターかなぁとも思うが、私はセラピストモデルということを考えた。本人の気づきを尊重し自立を支援する、という態度である。警察官と医者はいずれも客観的な「正義」や「正常」が想定されている点で共通するが、セラピストはクライアントの主観的な世界観や価値意識を決して置き去りにしない。


 さてセラピストは、目に見える結果にとらわれることなく、互いの「反応」を手掛かりに「感応」の回路を解いて行く。このとき「反応」と「評価」は同義だ。

 何であれ人が物事や出来事に反応するとき、その人の内では意識に先駆して「評価」が起こる。その「評価」を自覚することが編集稽古のファーストステップなのである。([守]のカリキュラムはそのように構成されている)

 

 ところでこの話は贈与論から接続している。私たちは他者に評価を与え、他者からの評価を負い、まるで評価は通貨のように人・物・事の間を循環している。

 評価と通貨は共通項が多い。権威との親和性が高いこと、経済圏が想定されること、支配被支配の構造を呼びやすいこと、悪貨が良貨を駆逐するように悪評は良評を駆逐すること。
 1つ大きな違いがあるとすれば、通貨は社会に帰属しているが、評価は「わたし」に直属していることだろう。そこに編集的なチャンスを見出したい。

 


■2021.11.26(金)

 

 錬成演習が始まった。日付が改まるや、入伝生たちが相次いで師範代を名乗って錬成場へ「お題」を出題する。そこへ学衆役となった錬成師範が回答し、返される指南を吟味し、指導する。

 

 今期の錬成演習については1つ特筆しておきたいことがある。事前の申し合わせで、「出題」の仕方にも指導がつくことになった。用意された「お題」をただスケジュール通りに配信するだけではなく、「」を測り、「」を捉え、ライブ感をもった「」を相手に手渡しているか。「問」こそは「問・感・応・答・返」を起動させる嚆矢なのだ。

 


■2021.11.28(日)

 

 指南の際、1行の文字数はどのくらいが読みやすいのか。入伝生どうしの交わし合いが目に止まった。

 

 要するにパソコンとスマホとでは見え方が異なる問題をどう克服するかという話なのだが、既にコモンセンスとしての潮流は確定的と見るべきだろう。パソコンだろうがスマホだろうがタブレットだろうがウィンドウ幅は読み手の側の環境次第だから、書き手は余計な配慮をせず「平文の場合は折り返しナシで書く」ということだ。(実際、このテキストは折り返しナシで書いている)

 

 とはいえそれは一般論で、編集稽古の場合はどう考えれば良いのか。

 

 まず考えるべきは、編集稽古の場面でやり取りされるテキストは「マルチローグ」であるということだ。1本のメールのなかに、モノローグで自己言及する箇所と、読み手に向けて直接語りかけるダイアローグの箇所と、元のお題を参照したり、他者や外部のテキストを引用したり、と文脈が多層多畳にインタースコアされる。
 その動向を、いかにテキストとして表記するのか?

 

 そのうえで「メディア」について振り返れば、パソコンやスマホはテキストを表示させるツールに過ぎないことが見えてくる。そしてそのテキストの本体はどこに置かれているのかと言えば「EditCafe」だ。イシス編集学校のライブスコアは、全て、永久に、EditCafeに記譜されている。
 この記録媒体を、われわれはどう扱うのか?

 

 さてそうすると、記録メディアの特性が及ぼすアフォーダンスが漸く見えてくる。
 いやもちろん以上の事情は、入門したばかりの[守]の学衆にはじめから理解してもらう必要はない。自由に振る舞う学衆のアリノママを、師範代がいかにスコアするかを考えるべきなのだ。
 
 ではあらためて、師範代に求められる文章スタイルとはどんなものか?

 1行あたりの適切な文字数は、言わずもがな3M×3A×5Mの連立方程式の先に解がある。

 

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