[週刊花目付#44] 分けながら分けない

2022/12/06(火)16:35
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週刊花目付#44

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■2022.11.29(火)

 

 錬成演習はステージ2へ。入伝生たちは、学衆個々の特徴や状況に応じた指南を構想する。

 

 さて、師範からの指導を受けた入伝生は、しばしば「エディティング・モデルの交換がよくわからない」と口にする。ふむふむ、なるほど…。

 「エディティング・モデルの交換」についての「わからなさ」は概ね3段階に分節されるだろう。

 

(1) そもそも「エディティング・モデル」という概念がわからない
(2)「エディティング・モデル」の概念は掴めたが、それを「交換する」という動詞の示すところがわからない
(3)「エディティング・モデルの交換」を自覚的に実践するために何をすれば良いのかがわからない。

 

 では「わからない」と申告した入伝生はどの段階の「わからなさ」にいるのか。察するに、自身の「わからなさ」をセルフ・リバースエンジニアリングできないでいるとしたら(1)の段階で躓いているのだろう。

 

 「エディティング・モデル」の概念を理解する過程では、自分自身を客観視してモデル化する作業が不可欠だ。そのとき、自己を客観視するには他者の目を借りることが何よりの助けになるだろう。つまり、「エディティング・モデル」についての理解は「エディティング・モデルの交換」とともに訪れるのである。

 「ワケルとワカル」の極意は「分けながら分けない」というところにある。

 

 

■2022.12.02(金)

 

 サッカーW杯で日本代表がスペインに歴史的勝利。世間は大いに沸いている様子だが、錬成場でこの話題を引用した入伝生はごく僅かだった。


 私自身はサッカーについてどちらかと言えば冷めた目で見ているクチだが、それでも今日の勝利を多くの人が様々な場面で格好の挨拶代わりとして話題にしていることを承知している。まぁ何もサッカーばかりをコミュニケーションの緒にしなくたって構わないのだが、それにしても錬成場の入伝生たちは指南や演習に数寄を持ち込むことを遠慮しているかのように見える。

 もちろん好みや関心の押しつけには配慮するべきだが、ホドをわきまえながら脱線する話題は「エディティング・モデルの交換」をむしろ促進するだろう。編集は「よくよく練られた逸脱」へこそ向かいたい。

 

 

■2022.12.03(土)

 

 「編集稽古に正解はない」という言説は、そこで繰り広げられるすべての編集プロセスを肯定的に受容しようとするメッセージであって、正解への道の厳しさを覚悟させるためのディシプリンではない。
 同じように「編集は不足から生まれる」は、そこに欠落するものこそが編集を起動させるアフォーダンスとして働くことを示唆するアフォリズムであって、不足を充足へ導くことを良しとするイデオロギーに加担するものではない。
 それゆえ編集稽古ではあらゆる場面で情報編集の別様可能性へ開きながら、不足の発見を肯定し歓迎する態度をとる。

 

 こうした編集工学の理念をたんに「言葉」として伝授するだけなら解説書をしたためて配布すれば事足りるだろう。
 だが、編集学校は編集を「稽古」し、花伝所は花伝式目を「口伝」し、「昨日の学衆」が「明日の師範代」へ着替えることを促している。つまり編集学校は、学習の成果や到達度といった結果以上に、稽古を通した様々なレベルでの体験や変容のプロセスそのものを大切に考えているのだ。

 

 

 英雄伝説の主人公は「彼方からの帰還」が約束されている。「問・感・応・答」には「」が予告されている。情報の自己組織化の先には「自己編集性の発動」が連鎖する。これら編集工学が示す「型」はすべて、一連の編集プロセスを通して体験された情報が、プロセスの最後で統合され、やがて次の編集ステージへ継承されて行くことを示唆している。

 編集工学について「ワカル」ためには、こうした情報の連環構造のなかに身を置いたうえで、「編集」ではなく「編集する」を体験することが不可欠なのである。

 

 

■2022.12.05(月)

 

 錬成演習の指導渦中の指導陣をzoomに招集して、来週末に行う「指南トレーニングキャンプ」のための作戦会議。いかにして入伝生一人一人の演習体験を深め、自己変容を促すか、38[花]ボードの編集力が結集する。

 

 ところで、今夜の会議はいつになくスムーズな散会だった。そうかそうか、この後はクロアチア戦があるのだっけ。

 

アイキャッチ:阿久津健

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