【ISIS BOOK REVIEW】直木賞『夜に星を放つ』書評 〜美容師の場合

2022/08/04(木)12:16
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直木賞受賞作品「夜に星を放つ」書評

評者: 深谷もと佳
美容師、イシス編集学校 師範代養成コース[花伝所] 花目付

 

 

『夜に星を放つ』には髪を切るシーンがある。「星」をモチーフにした短編集を、「髪」を手がかりに美容師が読み解く。

 

 本作は「星」にちなんだ5つの短編によって編まれている。双子の妹を亡くした綾の物語には双子座のカストルとポルックスが、歳上の人妻にほのかな恋情を抱く「僕」が夏の海で見上げるのは銀紙色のアルタイルと赤いアンタレス、転校した高校でいじめに遭う少女を見守るのは真珠星のスピカ、といった具合だ。
 それらの星々は物語を象徴するアイコンとして配されるだけでなく、一つ一つの生と生との隔たりを暗示しているように見える。星も人も、互いに時間と空間によって隔てられながら、けれどそれぞれが星座の一部として輝いているのだ。短編集の主人公たちは、そうした他者との隔たりを隔たりのまま受容し、夜に放たれた星のごとく孤独さを孤高さへと転換させていく。「孤独」と「孤高」とを分かつ境界は、繊細だけれど劇的なのである。

 

 巻頭編「真夜中のアボカド」に、コロナ禍の自粛生活で伸び切った髪をバッサリとカットするシーンがある。鎖骨まであった長さを、おそらく耳下ほどのショートボブに切り込んだのだろう。切る者も切られる者も、決意の速度と深度が問われる場面だ。
 婚活アプリで出会った男とゆっくりとした交際を続けている綾は、恋の進展が見込めずにもやもやしている。双子の妹がいたけれど、2年前に急な病で亡くしたことを告げたのが相手の重荷になってしまったのではないかと、自分を責めたりもしている。妹のフィアンセだった村瀬君とは、月命日に食事をすることを習慣にしており、互いの近況を交わしながら喪失感を共有しているのだが、恋人にはそこまでの事情を明かしていない。けれど、その村瀬くんに「髪、切らないの?」と言われたことが、綾の決意を発火させた。伸び切った綾の髪が、村瀬君にも自身にも、亡くした妹を偲ばせるのだ。進まない恋、コロナ禍の自粛、妹の喪失。綾には断髪を決意するのに十分な理由が揃っていた。
 「ばっさりいっちゃってください」という綾の注文に、美容師は「え、ほんとに?」とおそるおそる鋏を入れ始めるのだが、綾は断髪に至る事情や心情を説明することはせず、美容師も客である綾が注文する言葉に沿って応接する態度に終始する。髪型を仕上げる美容師の「なんか若返った!いい感じ!」という言葉は綾を嬉しがらせるが、どこか間の抜けたお世辞に聞こえたりもする。いわば、互いのエディティング・モデルが微妙にスレ違いながら交換される場面である。
 綾と美容師の相互編集は成果として「真冬にはやや肌寒いショートカット」を生み出すのだが、この場面の描写には作者の測度感覚が滲み出ている。綾にとって、自身の事情を開示する度合いは対村瀬君>対恋人>対美容師の順であり、それは「髪」を媒介にしたときの内面世界と外的生活との接地面積に比例している。それゆえ、綾は自身の体の一部である髪を鋏で切除することを美容師に委ねつつも、それに伴う心的反応のあれこれ(たとえばコロナ禍で他人と接触する不安や、間の抜けたお世辞、真冬にショートにする肌寒さなど)を半ば他人事のように受容できたのではないだろうか。劇中の美容師が綾の決意の速度を測ることなく、深度を探ることもしなかったことは、かえって寄るべない状況の綾を安心させたように思う。ときに人は他者からの不用意な共感や過剰な眼差しを負担に感じるものだ。そうした人と人との近さや遠さを、作者は重くもなく軽くもない筆致で語り進める。

 

 ところでこの短編集には、綾の他に「ボブ」の少女が2名登場する。夏休みの海を満喫する「僕」を追って訪れる幼なじみの少女は、腰まであった髪を顎の長さに切りそろえ、薄く化粧をして現れる。また、妻に去られた傷心の男の隣に越してきたシングルマザーは長い髪を束ねているが、その娘は「麗子像」を想起させる髪を肩へ垂らしている。
 「ボブ」とは鋏による断髪線を主題とする髪型の総称なのだが、『夜に星を放つ』に登場する3人のボブの少女たちはいずれも「断髪線」が「社会化」を象徴するように描かれていることが興味深い。そもそも髪を刃物で人為的に切除する行為は、野性を理性に整頓させる巫祝的な意味合いを含んでいる。本作の少女たちはそれぞれ、もはや無垢で安全な原郷にとどまることが許されない状況に差し掛かっており、遅かれ早かれ新しい環境へ適応して行かざるを得ない。そんな少女たちが人生や社会へ接地して行く姿が「ボブ」によって描出されているように思う。やがて少女たちはそれぞれの運命を受容し、気高さを保ちながら、次のステージへ逞しく着地して行くことだろう。少なくとも美容師は、そうした自己変容の物語をヘアデザインに託して断髪を執り行うのである。

 

読み解く際に使用した「編集の型」

スコアリング[守], メトリック[花]

 

「型」の特徴

何かの度合いや動向を捉えようとするとき、観察者は観察対象に対して何らかの測度感覚(メトリック)を持って臨む。その測度は、「速さ」や「大きさ」のように数値で計測できるものもあるが、「不思議さ」や「わからなさ」のように観察者の主観や身体感覚によってのみ捕捉されるものもある。いずれの場合も、数字や言葉、図表や見本など「型」を介して表象されることで、それらの度合いや動向は他者と交換可能な情報となる。

ちなみに、美容師はこうした測度を複数重ねることでヘアデザインを方向づけて行く。(⇒モダン軸とエロス軸

 


夜に星を放つ

 

夜に星を放つ

著者: 窪美澄
出版社: 文藝春秋

ISBN: 9784163915418
発売日: 2022/5/24
単行本: 220ページ
サイズ: 13.7 x 2 x 19.4 cm

 

 

 


 

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  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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