■前口上
神無月某日、山下洋輔によるオールベートーヴェンプログラムのコンサートが東京芸術劇場で開催された。あとさき顧みずにチケットを確保し、仕事を放り出してでも駆けつけようと画策していたが、直前になって茨城の実家から緊急連絡があり、高齢の母が肩を複雑骨折したので至急帰省せよという。泣く泣くコンサートはあきらめ、好事家人脈の広そうな大音美弥子冊匠にチケットの譲渡先の相談をもちかけたところ、「誰にも譲る必要はない。私が参る」との申し出。それならばと、重ねてコンサートの感想を根掘り葉掘り聞かせてもらう特別対談のお願いもしてみたところ、快諾いただいた。
かくして、サッショー・ソーショーによる、まったく唐突異色なJAZZY談義が開幕――。
■ベートーヴェンはアフリカ出自?
冊(大音):おかげさまで、山下洋輔コンサート、代理参戦させていただきましたよ。ありがとうございました。
総(太田):こちらこそ、ほかでもない冊匠が行ってくださったおかげで、残念も無念も浄化されました。で、さっそくですが、どうでした? 前半が、ベートーヴェンのピアノ曲中心のプログラムでしたよね。
冊:まず山下さんソロによる、ピアノソナタの6番1楽章と13番「悲愴」2楽章、それに「エリーゼのために」なんですが、いずれもこれぞジャズ!っていう演奏でしたね。「悲愴」2楽章なんてポピュラー性が強調されて、まるで「Georgia on my mind」みたいで。聞いてて笑いがこみあげてきた。
総:そういえばあの曲、ビリー・ジョエルがカバーして「This Night」って曲にしてました。確かにそういう風情があるかも。
冊:まったく明るく軽いベートーヴェン・スイングに、ついボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』やミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を連想しちゃったり。
総:ベートーヴェンって、そもそもスイングしてるみたいな曲がありますからね。晩年になるにしたがって、どんどんジャジーになっていくというか。
冊:そうそう、山下さんの言う「ベートーヴェン、アフリカ出自説」はやっぱり正しい。続く「月光ソナタ」第1楽章もまさにそんな感じでした。八尋(やひろ)知洋のパーカッションが加わって、今度はレヴィ・ストロース『悲しき熱帯』を連想しましたね。
総:はあ、突然、『悲しき熱帯』を?
冊:そのね、八尋さんがすばらしかったんですよ。アフリカの風だけでなくイスラムの風やラテン・アメリカの風も吹いてくるような感じがした。見た目も端正で、きっと総匠好みですよ(笑)。プログラム情報によると、「少年時代をカナリア諸島で過ごした」んだって。アドバンテージ高いでしょ。
総:冊匠がときめいているの見ると、やっぱり悔しくなってきた(笑)。
■ジャズへの入り方
総:山下さんの音楽、いままで聴いたことなかったっておっしゃってましたよね。
冊:そうなんですよ。エッセイや小説は読んでいたけど、音楽は聴いていなかった。
総:そういう人、わりといますよ。山下さん、書くのがうますぎるから(笑)。私は80年代のはじめ、20歳ごろに新宿のピットインで聴いたのが初ヤマシタ体験です。そのころ世話になってた左翼崩れのおじさんが連れていってくれた。でも私には強烈すぎて、最初から最後まで、何を聞かされているのかわからなかった。
冊:肘打ちしてました?
総:もちろん、がんがんに。その左翼崩れは「山下もおとなしくなったな」なんて言ってましたけどね。で、二度目のヤマシタ体験が、織部賞の授賞式のとき。すぐ目の前で「ラプソディ・イン・ブルー」と「ボレロ」をジャズするのを聞いて、すっかり参っちゃいました。完全なフリージャズは私には〝高級〟すぎて、ああいうクラシックを解体してジャズにしていくようなもののほうが、肌に合うというか。
冊:わかります、わかります。私もじつは、ディープなジャズはあんまり。せいぜい、キース・ジャレットとか、スタンリー・クラーク(ベーシスト)とか。
総:じつは、二度目のヤマシタ体験のあと、電子ピアノを衝動買いしちゃって、ジャズピアノを独学でやろうとした時期があったんですよ。
冊:それはまた大胆なことを。
総:それでまず楽譜屋に行って、「ジャズハノン」というジャズのスケールの教則本を買った。ほかにジャズ名曲集みたいな楽譜も。もうそこからして、ぜんぜんジャズぽくない(笑)。
冊:楽譜から入らずにいられない人は、ジャズをやってはいけません(笑)。
■背伸びして読むツツイ
総:山下さんのエッセイを読み始めたのはいつごろですか。
冊:最初はエッセイじゃなくて、高校生のときに読んだ筒井康隆の『暗黒のオデッセイ』という本のなかの、筒井さんと山下さんの対談でした。筒井康隆が好きだったんです。
総:うーん、そうだったか。高校生でツツイとは、さすが筋金入りですね。
冊:あらゆる意味で、私の原点ですね。で、その対談を読んで山下さんにも関心をもった。こういう大人になりたいなと思った。だって、旅をして、仕事をして、終わったら仲間と酒飲んで、という日々でしょう。まさにノマドですよ。定住していない。
総:うん、うん。山下さんのエッセイ読むと、ジャズマンというより旅するバンドマンという感じなんですよね。
冊:バンドマンどころか、自分たちのことを楽隊屋さんと呼んでた(笑)。
総:だから山下さんのエッセイ読んでもジャズ入門にはならない(笑)。
冊:まあ結局、筒井康隆を読むということ自体、精一杯の背伸びだったんですよ。ジャズもそう。自分が好きで聞いていたグラム・ロックなんか、やっぱり子ども向けなんだなと思ったものでした。
総:グラム・ロックがお子さま向けですか。
冊:そう。だって、ジャズはライブを聞きたくても酒を飲まないといけないような店でしょう。十代かそこらでは接点を持ちようがないし、意を決してそういう店に行くと、だいたい団塊親父たちが上から目線でエラそうにしているか、ちょっかい出しに来る(笑)。絶対に近寄りたくない文化圏ですよ。
総:私がかろうじて体験したピットインもまさにそれだった。カクテルで顔を赤くしている女子なんかがいる場所じゃないよねと、肩身が狭かった(笑)。
冊:それに比べるとロック喫茶なんか本当に健全そのものでしたよ。
■ジャズから文明論
総:ベートーヴェンプログラムのほうに話を戻しますが、後半が交響曲尽しで、第9の2楽章、第6番「田園」の第1楽章、第5番「運命」第1楽章。これまた、ポピュラーなものばかり。
冊:マレー飛鳥さん(ヴァイオリン)のストリング・クァルテットを交えての三連打です。その飛鳥さんのパフォーマンスが、どこか自動人形オランピアみたいで、今度はヴィリエ・ド・リラダン『未来のイブ』やウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』、カート・ヴォネガットJr.の『プレイヤー・ピアノ』を連想してました。
総:飛鳥さんといえば、平城遷都1200年記念イベントのときに出演していただいた人です。へえ、人形振りで演奏してたんですか。
冊:ただし「運命」は完全にコンラッドの『闇の奥』でしたね。やっぱりベートーヴェンは文学っぽいですね。
総:いやいや、冊匠の連想力のほうがひたすら文学っぽいですよ(笑)。
冊:そうやってみると、第一部が「ピアノ vs タイコ」。これはまさに白と黒の対決であり、西洋文明と非西洋文明の対決というイメージですよね。
総:はい、はい。タイコこそはノマドの象徴で、かたやピアノは「鉄は国家なり」のシンボルみたいなところがありますからね。
冊:そもそも「ジャズは黒人でなければわからない」という思い込みに相当強く支配されてきたわけですよ。それが八尋さんのパーカッションが醸し出す「アフリカ色」で完全に払拭されました。
総:結局、冊匠の収穫は、なんといっても八尋さんだったわけですね(笑)。
冊:後半になると今度は、普段「クラシックの華」扱いで室内に閉じ込めている弦楽四重奏が登場して、思いきり羽目を外すわけです。もとは貴族たちの食欲増進のためだったクァルテットが、BGMやエレベーター・ミュージックになったわけですが、もしそれらが反乱を起こしたら、という意味で、「白人至上」や「金融資本主義」へのレジスタンスを感じました。音楽自体は、イスラムのスーフィーたちが踊る旋回舞踏に似合いそうだったし。
総:モーツァルトやベートーヴェンが「トルコ行進曲」をつくったように、いわゆるクラシック音楽にはもとよりオリエンタリズムが入り込んでいましたし、イスラミックなものに転びやすい要素がそもそもあるかもしれませんね。
冊:でも、演奏しているのは白も黒もイスラムも、ぜんぶ日本人ですよ。聞いているのも全部日本人。そう考えると、なかなか興味深い演奏会でした。
総:ジャズコンサートで文明論を考察する冊匠のほうが、よほど興味深いですよ。
太田香保
編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。
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