テレビを見るなら「ナショジオ」。「ナショジオ」すごい。「ナショジオ」大好き。そんな私の家のテレビは、ほぼ「ナショナルジオグラフィック・チャンネル」専用となっている(あとは映画およびクラシック音楽視聴用)。といってもウィークデイなら夜中だけ、休日も限られた時間しかテレビ視聴はしないので、一つの番組を繰り返し再放送するCS放送の難点として、「ナショジオ」の同じシリーズ番組の同じシーズンの再放送を、何度も何度も見させられるはめになってしまう。
とりわけ最近は、夜中であれ休日であれ、いざ「ナショジオ」を見ようとすると『メーデー:航空機事故の真実と真相』ばかりやっている気がする。世界各地で実際に起こった航空機事故を、事故調査の資料や当事者たちの証言を集めてドラマやCGで再現しながら科学的に検証するという番組である。2003年にシーズン1が始まって、いまなお最新シーズンが制作されているので(2020年1月から3月まで最新のシーズン18が放映された)、それだけ根強いファンのいる番組なのだろう。
ただし最新シーズンはウィークデイのゴールデンタイムにしか放映しないようで、夜中や休日に見られる『メーデー』といえば、どれもこれも既視感がある再放送ばかりになってしまう。にもかかわらず、飽きることなくついつい見てしまう。
番組構成は徹底してワンパターンである。前半でコックピットや客室や管制室の様子を再現しながら事故にいたるまでのプロセスを見せ、後半で事故調査の専門家たちが、回収された残骸の中のわずかな痕跡やコックピットボイスレコーダーやフライトレコーダーに残された証拠などから事故原因を明らかにしていく。とくにこれらの“ブラックボックス”の発見と解析が原因究明の決定的なヒントをもたらすことが多く、番組の前半でわざといくつかの事故原因を推理してみせておいて、のちのちブラックボックスの発見によって「意外な真実」が明かされていくという展開になりがちだ。
それなのに『メーデー』を何度見ても見飽きないのは、飛行機事故の多くは、想像を絶するほど “ささいな”原因や人為的ミスが引き金になったり、それら複雑に組み合わさったりして引き起こされるという驚きがあまりにも大きいせいである。
たとえば、いままで見たなかでとくに興味深く思った事故に、エアロペルー603便のケース(1996)がある。なんと機体を洗浄する際にピトー管(機体の速度を計測するための装置)の静圧孔をふさぐために貼られたマスキングテープを剥がし忘れてしまい、そのまま飛び立った飛行機が計器異常に見舞われついには操縦不能になって太平洋に墜落したというものだ。原因の安易さと結果の深刻さのギャップがあまりにも大きすぎて、ショーゲキ的だ。
それから、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ空港滑走路で起こった二機のジャンボ同士の衝突事故(1977)。両機とも目的地の空港がテロ予告を受けたため代替着陸させられた飛行機だったこと、とくに事故原因をつくったKLMのパイロットが待機時間が伸びていらいらを募らせいていたこと、霧が発生し滑走路の見通しが悪くなっていたことなど、いくつもの悪条件が重なっていったあげく、決定的には管制官とKLMパイロットのあいだで交わされた離陸承認のやりとりに混信によるわずか2秒の無音状態が生じ、このちっぽけな間隙のせいで600人近くの死者を出す史上最悪の航空機事故に到ってしまうのだ。
もちろん、航空機が遭遇する事故には、軍による旅客機の撃墜や、パイロットが自殺をはかって起こす事故、またなんといっても9・11の4機のハイジャックによる自爆テロのように、悪意や故意によって起こされたものも少なからずあり、そういうものほど機体も乗客も破片化して犠牲者の身元確認すらままならないという点で、人類が体験するどんな事故よりも悲惨さが際立っている。
でもほとんどの航空機事故はそういった「故意」とはほど遠く、また逆に天候の急激な変化やバードアタック(鳥害)などの不可抗力な要因だけで起こるものもあまり多くはなく、たいていはちょっとした設計上の問題や、整備・修理のミスや手抜き(1985年の日航123便のように)、マニュアルの不備や訓練の不足、パイロットの油断や管制官とのコミュニケーションミス、さらには航空会社の経営体質の問題などがいくつも重なりながら引き起こされているのである。
どれもこれも、人間社会のそこらじゅうに溢れているようなごく平凡なミスや不備にすぎないのに、こと航空機においてはそれが未曾有の惨事につながってしまう。飛行機というもの、もっと言えば航空産業そのものがとてつもない複雑系であって、どんなに制御の技術が向上しようが、リスク対策が徹底されようが、まだまだ思いもよらない偶発的事故要因を孕みうるということなのだ。これこそ航空機事故の恐さであり、それを丹念に追究する『メーデー』が長寿人気番組である秘密であろうし、私が番組に魅了される理由なのである。
私がこの番組をこよなく愛している理由はほかにもある。かつてポール・ヴィリリオの『アクシデント 事故と文明』という本を読んで、人類はテクノロジーとともに事故を“発明”し“創造”したのだ」というヴィリリオの主張とともに、ヴィリリオが効果的に引用しているヴァレリーのこの言葉に、射抜かれてしまったのだ。「道具は意識から消えていく傾向がある。その作動は自動的になったと日常よく言われる。ここから引き出すべきは、次のような新たな方程式だ。すなわち、意識は事故があってはじめて目覚めるというものだ」。
意識が事故によって目覚めるならば、自分が事故に遭って“考古学的”な事故検証の対象になってしまうより先に、少しでも圧倒的な事故体験の先取りをして目覚めておきたいではないか。それが、私が『メーデー』を飽きもせず繰り返し見続けたくなるもうひとつの理由なのである。
おまけ①:
ヴィリリオは、人類が9・11という“とどめの一撃”を受けたことをふまえて『アクシデント』を著したようであるが、松岡正剛は本書を、日本が3・11による原発事故という一撃を受けたことをふまえて「千夜千冊」に取り上げた(1458夜)。やはりヴァレリーの言葉を引きながら、「意識の目覚めが激越になるとは、どういうことか。事故のたびに知性が試されるわけだ。だとすると、これからは《知性の危機》こそ事故なのである」と記している。先ごろの東京声文会では、大音美弥子冊匠のはからいで、昨今のコロナ騒動を意識しながら、この「千夜千冊」のくだりも参加メンバーで味わいあった。早くも懐かしいことになってしまった。
おまけ②:
東京オリンピックによる訪日観光客増大を見込んだ羽田空港の国際線増設のため、離発着する飛行機が東京都心部上空を通るという新ルートがこの3月末から運用されている。騒音や落下物がずいぶん心配されていたが、コロナウイルスの影響で国際線の8割が運休になってしまったこともあり、ニュースでもあまり取り上げられていないようだ。『メーデー』のコア視聴者としては、この新ルートの危険性はものすごく気になる。それに、ビル街の空に間近に飛ぶ機体が大きく覗くという“構図”は、多くの人に9・11の悪夢を思い出させて、胸騒ぎを起こさせることだろう。この施策はあまりにも無慈悲で悪趣味だと思う。
おまけ③
図版はイカルスの墜落が描かれた17世紀のレリーフ。航空事故は、飛行機の発明以前に、「空を飛びたい」という人間の願望とともに生まれていた?
太田香保
編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。
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