◆ショスタコーヴィチの戦争交響曲
銃が物を言うとミューズ(音楽の女神)は沈黙する。
このロシアの古い諺がお気に入りだったショスタコーヴィチは、そこに「この地ではミューズは銃とともに口を開く」と威勢のいい一言を添えてみせた。「この地」というのは、ナチスドイツによる苛烈な包囲戦を耐えぬいたレニングラードのこと。この言葉は、1942年にショスタコーヴィチが交響曲第七番をソビエトの臨時首都となっていたクイビシェフで初演した際にプログラムに刻印したものである。
ショスタコーヴィチは交響曲第七番をまさに包囲戦まっただ中のレニングラードで作曲した。発表されるやいなや、ナチスドイツやファシズムに対する抵抗のシンボルとして、共産圏だけではなくヨーロッパやアメリカでも熱狂的に迎えられた。とくにアメリカでは、NBCがいちはやく権利を獲得し、トスカニーニとストコフスキーとクーゼヴィッキーが初演の指揮権をめぐって激しい争奪戦を繰り広げたあげく、1年間で60回以上もの演奏会が催された。「TIME」は、それまでアメリカではほとんど知られていなかった若干35歳のショスタコーヴィチの肖像画を表紙に掲げた(上図の中央がそれ)。
冷戦時代になると事態は一変した。この一連の熱狂はスターリンによる巧妙なプロパガンダによって〝つくられた〟ものだったということが暴かれ、ショスタコーヴィチはスターリニズムの片棒をかついだ作曲家だったというようなレッテルが容赦なく貼られるようになってしまった。この逆風は、20世紀後半になってようやく落ち着いていった。1979年にショスタコーヴィチの回想録が出版されたことをきっかけに、独裁国家や戦争に翻弄されつづけたショスタコーヴィチの悲劇的宿命が改めて共感をもって取りざたされるようになったのだ。いまでは、ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、ファシズムだけではなくスターリニズムや全体主義への批判も込められたものとして再評価されている。
「この地ではミューズは銃とともに口を開く」というショスタコーヴィッチのいきがりも、ひょっとしたら銃が無理やり言わせたものだったのかもしれない。
◆ロシア叩きに走るクラシック界の伏魔殿
5月9日のロシアの「戦勝記念日」では、ショスタコーヴィチの交響曲第7番は聞こえてこなかった。ナチスドイツへの抵抗のシンボルとして一世を風靡したこの曲が、ウクライナ侵攻を「ナチスとの闘い」と言ってはばからないプーチンロシアのなかで、またしても無理やり口を開かせられるのだろうかと気になっていたのだが、ニュースをたどってもこの交響曲の情報は出てこなかった。
もっとも、ヨーロッパやアメリカにとっても、この交響曲に対するかつての熱狂はスターリンのプロパガンダにまんまと踊らされてしまったという「不都合な真実」のようなものだろう。きっと未来永劫忘れたいことに違いない。だから、たとえ5月9日のロシアのどこかでこの曲が演奏されたとしても、決してニュースに載ることはなかっただろう。
あまりにも穿った見方だろうか。でも、そんな見方をしたくなるほど、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまってから、あらゆる芸術文化のなかでクラシック音楽界が率先して、ロシアに関係する作曲家や演奏家や音楽を次々とボイコットしキャンセルしている理由がどうにも理解できないでいるのだ。これはきっと、「不都合な真実」を覆い隠したいという心理からくる過剰反応ではないか。あるいはクラシック音楽の歴史そのものからロシアを駆除したいという悪意ある伏魔殿の仕業なのか。
世界中の音楽祭や楽団で活躍してきた指揮者のゲルギエフは、プーチンの〝おともだち〟であるという理由で、たちまち欧米の音楽界から追放されてしまった。ゲルギエフはグルジアによる軍事攻撃を受けた南オセチア出身で、プーチンとのつながりもこの南オセチア紛争に根ざすものだ。音楽を通じて平和を訴え続けてきた活動家でもある。そのあたりのことにもなんらかの「不都合」があるのか、あまりニュースで語られていないようである。ほかにも、プーチンを公然と非難していないという理由で、次々と名高い音楽家が舞台から追われている。
日本でも次々とロシアの演奏家の来日がキャンセルされ、ロシアの作曲家の作品がプログラムから排除されている。愛知県の中部フィルは、ナポレオン戦争での戦勝を記念したチャイコフスキーの大序曲「1812年」を取り下げて、論議を呼んだ。チャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系に生まれ、ウクライナの宝とさえ言われてきた作曲家である。むしろウクライナ支援の気持ちを込めて堂々と演奏すべきだったのではないかとの意見も出ている。同感だ。
対照的に名古屋フィルでは、賛否のあるなかでショスタコーヴィチの交響曲第8番の演奏をやり遂げた。第7番に続いて戦争をテーマとした交響曲で、あまりの陰鬱さからソビエトのイデオロギー統制の対象となり、演奏禁止の憂き目にあったという曰く付きの作品である。指揮をした井上道義氏は「敵国という理由で芸術を排除するような歴史を繰り返してはならない」とインタビューで語っている。激しく共感する。
年末ともなると市民合唱団の老若男女がこぞってベートーヴェンの第九に挑戦し、「世の中の時流が分け隔ててしまったものを、あなた(神)の魔法の力が再び結ぶ」といったドイツ語に胸振るわせてきた国のクラシックファンなら、当然である。
◆パラレルとパラドックスとともに
ロシア叩きの尻馬に乗るのではなく、いちはやくウクライナ支援を掲げたコンサートを開催した音楽家たちもいる。なかで私が「やはりこの人か」と感銘をもってニュースを受けとめたのが、世界的指揮者にしてピアニストのダニエル・バレンボイムである。ときは3月6日、ところはベルリン国立歌劇場、曲目はウクライナ国歌に始まり、シューベルト交響曲第8番「未完成」、ベートーヴェン交響曲第8番「英雄」。
バレンボイムはアルゼンチン生まれのユダヤ人である。コンサートではスピーチも行い、自分の祖父母はベラルーシとウクライナ出身であり二十世紀初めに反ユダヤ主義から逃れてアルゼンチンに移住したということを明かしながら、ウクライナの人びとへの支援と共感を呼び掛けるとともに、ヨーロッパで起こっているロシア文化に対するボイコットを「魔女狩り」と糾弾し、決して許してはならないと言い切った。スピーチをこんなふうに締めくくっている。「私たちが音楽から何かを学べるとすれば、それは私たちがコントラストや違いとともに生きることができるということ、また、そうしなければならないということです」。
「コントラストや違いを乗り越える」ではなく「コントラストや違いとともに生きる」。これは、バレンボイムが盟友であるエドワード・サイードとともに立ち上げた「ウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」のモットーであり、二人が残した珠玉の対談『音楽と社会』(みすず書房)の原題「パラレルとパラドックス」(相似と相反)にも通じる言葉である。
「ウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」の名前は、ゲーテがイスラム文化に触発されて著した『西東詩集』にちなむ。ユダヤ人であるバレンボイムとパレスチナ人であるサイードが手を携えて、イスラエルとアラブ諸国の若者たちを集めて結成したオーケストラである。初コンサートは1999年のゲーテ生誕250年の年、ワイマールで行われた。曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。『音楽と社会』には、このときのエピソードがくわしく交わされている。
団員はオーディションで選ばれ、日中はバレンボイムの指導のもとにリハーサルやマスタークラスのレッスン、夜はサイードの進行でディスカッションというカリキュラムによってコンサートの準備を進めた。そうやって、敵対する民族・国同士の若者たちに「他者」を知るための機会をつくりながら、楽譜を共有し一体となって音楽を奏でるというコラボレーションへ向かわせたのだ。
はじめはイスラエルの音楽家たちはアラブの音楽家たちの才能を見下していた。祖国に戻れば楽器を武器に持ち換えて、目の前の楽友を殺すことを強いられるような境遇の者もいた。家族から猛反対を受けている団員、政情が不安定になると海外渡航が困難になる団員もいた。互いの民族・国に対する悪感情はなかなか払拭されなかった。それでもコンサートは決行され、成功をおさめた。
バレンボイムもサイードも、音楽によって中東問題を解決するといった大言壮語はいっさいしていない。むしろ「音楽にはそんな力はない」と達観すらしている。それでも二人は、お互い同士、また楽団を通じて、対話やコラボレーションによって「相似と相反」を認め合い共有する活動に投企しつづけた。サイードが亡くなったあとも、バレンボイムの尽力によって楽団は成長し、いまでは世界中でコンサートを行うまでになっている。
バレンボイムがウクライナ支援コンサートで呼びかけた「コントラストや違いとともに生きる」という言葉には、時流が分け隔てたものを再び一つにしていくことの困難さを知りつくしている者ならではの願いと叫びが込められていると思う。それとともに、パレスチナをめぐる「戦争とプロパガンダ」の醜悪さを告発しつづけたエドワード・サイードの気高い思想哲学を浴びながら切磋琢磨しつづけた者の矜持も。
なおサイードの告発の気高さと悲痛さは、千夜千冊『戦争とプロパガンダ』に、松岡正剛がひりつく共感を込めて紹介している。サイードの病没後まもなく書かれたものだ。
WEディヴァン管弦楽団と2016年に設立されたバレンボイム・サイード・アカデミーの紹介映像。
まとめておまけ:
●エドワード・サイードは私の「一代前」の編集的先達。若いころにピアニストを目指していたほどのピアノの名手だった。サイードがピアノを駆使して行った音楽講義録『音楽のエラボレーション』にもいろんな影響を受けた。
●バレンボイムは私の「ベートーヴェンのお師匠さん」。ベートーヴェンのピアノソナタに取り組むときには必ずバレンボイムの演奏ビデオを何度も見る。バレンボイムは手が小さく、どうやってベートーヴェンの大曲をものしているのか、ヒントを探るためだ(もちろんそんなに簡単に盗めるものではない)。
●『音楽と社会』は松岡の愛読書でもある。2016年のバレンボイム指揮によるブルックナー公演(サントリーホール)には、松岡事務所総出で駆けつけた。松岡は「聞きしにまさる指揮者だね」。公演後、ホール向かいのカフェで熱気を覚ましていると、団員を引き連れてバレンボイムが入ってきた。松岡に唆され、「マエストロ、尊敬しています」と片言英語ですがりつき、しぶしぶ公演パンフにサインを書いてもらった。私らしくないことをしてしまったが、おかげで一生の宝物になった。
●今年・2022年1月1日のウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは8年ぶりにバレンボイムが指揮台に立った。また1月末にはWEディヴァン管弦楽団をモデルにした映画《クレッシェンド―音楽の架け橋》が公開された。本当はOTASISでは、今年は私にとってバレンボイム・イヤーになりそうだという記事を書くつもりだったのだが、ウクライナ侵攻のせいですっかり様相が変わってしまった。
太田香保
編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。
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