【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#04『ゲーテはすべてを言った』

2026/02/20(金)08:04 img
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今期56[守]のミメロギアのお題は「空海ゲーテ」。ゲーテといえば昨年、21世紀生まれの鈴木結生による小説『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)が話題となりました。第172回芥川賞受賞作を師範はどう読んだ?


第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載4回目。「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる師範の声の重なりをどうぞ。

阿久津健(56[守]師範)のマーキング&ヨミトキ

「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」と今度は日本語に直してみる。そうすると、一寸はゲーテらしくなったか。(33ページ)

至言も戯言も、ゲーテが言ったことにすると収まりがいい。そのドイツ流の冗談の作法に、実直なゲーテ学者が向き合い思索する物語だ。ゲーテに言葉を預けることは、悪戯であり照れ隠しであり、学術的には褒められない。しかし、このときのゲーテは、言葉の源、歴史の根、情報の枝葉を束ねるなにかでもある。ゲーテという器に乗せ、再び吟味する機会を得る。編集稽古もそうだ。元型を求め、意味のシソーラスを巡り、過去の誰かの見方を借りて、すこし新しい言い回しを拵える。預けることは借りることでもある。清少納言も、空海も、松岡正剛も、きっとすべてを言っている。「ゲーテたち」が包むのは、ひとつの混淆ではなく多様な編集モデルの渾然だ。(阿久津健)

一倉広美(56[守]師範)のマーキング&ヨミトキ

「僕は『ゲーテはすべてを言った』とは思いません。一人の人間にすべてを言うことなんてできない。でも、ゲーテは本当にすべてを言おうとしたのだろう、と思います。それに励まされました」(66ページ)

文学を、誰の心にも最初から棲んでいるウル(原)だと見抜いたのがゲーテだった。ここでいう「すべて」とはあれこれの事象に潜む普遍性、すなわち原型のことかもしれない。それを言おうとしたのであれば、アーキタイプを掴みそこから多様な見方を広げる編集稽古と重なる。ゲーテに代表される19世紀文学は鈴木結生の専攻ではなかった。それでも、小説家になるなら文学の始まりに立たねばならない。そう考えてゲーテを選んだのだという。引用文は作中人物の台詞ではあるが、著者本人の挑みつづける気持ちが代弁されているように思えてきて、もっと世界を知りたい、編集し続けたい私を励ましてくれる。(一倉広美)

相部礼子(56[守]同朋衆)のマーキング&ヨミトキ

自分の言葉を決して信じ切れていない男の語る言葉を聞きながら、その言葉を信じてやることができた。何故なら、その言葉は本当だったからだ。(187ページ)

ある現象を表現するということは、その現象に名を与えることだ。名付けとは、ある言葉で現象をつなぎとめる、いや、時に縛り付けるということでもある。言葉を過度に盛ることなく、かといって不足もなく表すことができた時、その言葉は本当のものとなる。全てを言った筈のゲーテの、言ったか言わないかがわからない言葉を探し続けた主人公の旅の終着点は、自身の「本当の言葉」だった。編集とは「本当の言葉」を探し続ける営みなのだろう。つなぎとめた鎖を「本当か、本当にそうなのか」と問い直し、一度、断ち切っては、また結び直す。言葉を永遠に揺らしつづけながら、過不足なく現象につなぎとめられた時、編集の喜びはようやく私のものになる。(相部礼子)

『ゲーテはすべてを言った』鈴木結生著

朝日新聞出版/2025年1月刊/1760円(税込)

 

 

出版社情報

アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)

編集/新井陽大(55[破]評匠)、大濱朋子(44[花]花伝師範)、角山祥道(44[花]錬成師範)

 

【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]

#01『多読術』(稲森久純、森本康裕、齋藤成憲)

#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
#03『ことばと身体』(古谷奈々、大濱朋子、得原藍)

#04『ゲーテはすべてを言った』(阿久津健、一倉広美、相部礼子)

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    イシス編集学校[当期師範&学林]チーム

    「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。