棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
[守]では毎期、第一線で活躍するゲストによる特別講義「編集宣言」を開催。今期56[守]のゲストは、カオス理論研究の第一人者・津田一郎さんでした。その津田さんと松岡正剛校長が大いに語らったのが『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)です。4人の師範はどんな「秘密」に注目する?
第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載5回目。「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる師範の声の重なりをお届けします。
津田 ……脳の中の情報編集の仕組みには、旅人が宿から宿へと渡り歩くように、アトラクターからアトラクターへと飛び移るようなプロセスが起こってるのではないか、ということを示した。アトラクターというのは、運動や意味が収束するときの漸近体みたいなものです。(37ページ)
リンゴの連想といえば、赤→ほっぺ→エデンの園と、点を線でつなぐように思考が発展するイメージをもっていた。ところが、脳の中ではリンゴをめぐる無数の漸近的な連想ループが立ち上がり、思考はループを飛び移っていくという。その編集をめぐる世界観の面白さと限りない人間の可能性にワクワクしてくる。
松岡校長が「新しい風を感じた」と語った脳とカオスの掛け合わせ。編集の方法をとりまくイメージが膨らむと、僕たちが認識する世界もまた彩りを増していく。この先には、人生をより豊かにしてくれる、見たことも、聞いたこともない編集の方法が待っている。もっと広く、もっと深く、掛け算の秘密を探っていきたい。(奥本英宏)
津田 ……とくに「情報」を作っていくためには、そこにノイズ的なものや誤差的なものが入っていくことがかなり必要で、それなしには意味をスリップさせることができないくらいです。(214ページ)
「さしかかり」と「なぞらえ」が繰り返し語られる。「ホメオスタシス」はあらかじめ設定されているのではなく、さしかかるたびにつくられたとか、多種類の言語の生成プロセスは、体内の酵素の反応になぞらえることができるのではないかとか。さしかかりで出会う偶有性や伏せられたものと相互編集を起こせば、行き先の可能性は限りない。なぞらえは大きな謎を解く鍵にもなり得る。加えてノイズや誤差が重要ならば、大いに羽目を外し、盛大に遊びたい。(石井梨香)
松岡 ……ですからこちらの「美」の出現に立ち会いたいと思うのであれば、根源的非線形性を最初からもった世界観を打ち出していくとともに、その発現の正体が実は「情報」なんだと言い切る覚悟をしておくべきだと思います。(228ページ)
松岡校長と津田一郎さんが僕たちを誘うのは、一見無秩序なモノゴトから生まれる「高次な美しさ」の探求だ。ローレンツのアトラクターと、グールドのピアノの間を行き来しながら、二人は、フラジャイルな吐息こそが世界の在りようを一変させるのだという視点を示す。世界の根源的非線形性に確信を持たなければ、その微かな吐息は、測定の誤差や単なるデタラメに紛れてしまうだろう。それを見失わず、「情報」であると言い切る覚悟こそが、「編集的世界観」だ。僕たちの宿題は、松岡校長から受け取った「編集術」で、情報を科学と言語の間で遍歴させること。そして、その非線形な軌跡から生じる「よく練られた逸脱」で、世界を満ち溢れさせることなのだ。(北原ひでお)
松岡 ……それこそ自己組織化の自己と拘束のかなり深いところの問題だ。しかしね、その「変分的自己」を「自己」と言うには、どう説明しますか。
津田 そこですね。まさに変分をかけるのは他者なんですよ。
松岡 他者!
(361~362ページ)
荘子の「虚己」、ユクスキュルの「抜き型」にも連想が飛ぶ問答。ハーバート・A・サイモンが『システムの科学』で示した、後に「サイモンの蟻」として知られる「蟻の行動の複雑さが主にその環境の複雑さを反映したもの」という考え方にも近い。
編集稽古で師範代は、学衆という他者の回答を眺める自身の視点を一旦引き算し、相手の視点を借りて眺めることで自己の見方に変分をかける。そんな師範代の秘密な方法の一端も垣間見えた。(山﨑智章)
文春新書/2023年10月刊/1540円(税込)
■目次
アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)
編集/新井陽大(55[破]評匠)、大濱朋子(44[花]花伝師範)、角山祥道(44[花]錬成師範)
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]
#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
#03『ことばと身体』(古谷奈々、大濱朋子、得原藍)
#04『ゲーテはすべてを言った』(阿久津健、一倉広美、相部礼子)
#05『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(奥本英宏、石井梨香、北原ひでお、山崎智章)
ISIS core project
イシス編集学校[当期師範&学林]チーム
「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#04『ゲーテはすべてを言った』
今期56[守]のミメロギアのお題は「空海・ゲーテ」。ゲーテといえば昨年、21世紀生まれの鈴木結生による小説『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)が話題となりました。第172回芥川賞受賞作を師範はどう読んだ? 第90回 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#03『ことばと身体』
花伝所の入伝式では千夜千冊10夜をもとに、道場ごとに「5つの編集方針」を作り上げます。そのひとつにもなったのが、尼ヶ﨑彬の一夜。同氏による『ことばと身体』(花鳥社)は、花目付による入伝式の「式目の編集工学講義」でも引用さ […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#02『うたげと孤心』
イシス編集学校の応用コース[破]では、課題本の中から1冊選び、他の人に紹介文を書くという稽古があります。題して「セイゴオ知文術」。今期56[破]の課題本のひとつが、大岡信の『うたげと孤心』(岩波文庫)でした。松岡正剛校長 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#01『多読術』
人間的なるものの源泉はすべて本の中にある、といったのは松岡正剛校長ですが、だとしたら私たちイシス編集学校の稽古の歩みは、「本のパサージュ」の中を進んでいるようなものなのかもしれません。 稽古の傍らにあった本、途中で貪り読 […]
コメント
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2026-02-19
棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
2026-02-17
小川の水底での波乱万丈を生き抜き、無事に変態を遂げた後は人家の周りにもヒラヒラと飛んできてくれるハグロトンボ。「神様とんぼ」の異名にふさわしく、まるで合掌するかのように黒い翅をふんわり広げては閉じる。
2026-02-10
ハンノキの葉のうえで、総身を白い菌に侵されて命を終えていたキハダケンモンの幼虫。見なかったことにしてしまいたくなるこんな存在も、アングルを変えてレンズを向けてみると、メルヘン世界の住人に様変わりする。