10離をやっとのことで退院したばかりの8年ほど前、目黒の庭園美術館の『マスク展』に行ったことがあった。アール・デコのお屋敷のなかに、パリのケ・ブランリ美術館がアフリカ・アジア・オセアニア・アメリカから集めた仮面が並んでいる。人々が共同体に招こうとした未知なるモノたちの視線を、対峙したりかわしたりしながら進むと、映像コーナーがあった。「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」(荒俣宏さんが応援団長をしている)という、1952年から40年ほどかけてドイツ国立科学映画研究所が集めた、暮らしの技法や儀礼などのアーカイブから数本が上映されていた。そのひとつにスイス・チロル地方の『クラウバウフ行進の巨大な仮面』という、1966年に撮影されたフィルムがあった。
クラウバウフは聖ニコラウスの同行者だ。聖ニコラウスは、船乗りやギルド、子どもたちの守護聖人として、ゲルマン文化圏で親しまれている。オランダ名は「シンタクラース」。オランダからの移民がアメリカに持ち込み、サンタクロースに変身した。ただ、付き添うクラウバウフはプレゼントを届けるやさしい存在ではなく、ボサボサの髪の毛の鬼のような風貌で、人々に襲いかかる。行列のなかには、人の3倍くらいの高さになるかぶりものを、見物の人めがけてお辞儀をするように振り下ろすモノも。まるでナマハゲのように、悪い子にお仕置きをしに来るそうだ。
聖ニコラウスの従者は、神聖ローマ帝国だった地域全体に「クランプス」などと名前を変えて存在していて、服装などニコラウスの邪悪だったり粗野だったりするバージョンに見える。影のように、あるいは昼と夜のようにぴったりと付き添う、聖者の裏バージョンを人々は毎年迎えてきたなんて。冬至を越えてクリスマスを迎え、春の光へと舵を切るためには、冬の闇が極まらないといけないのだろうか。
イメージの水脈はヨーロッパとつながっているのか、日本にはナマハゲがいる。それだけじゃない、2018年ユネスコの世界文化遺産にトシドン・アマメハギ・パーントゥ・カセドリ・スネカ・メンドン・ボゼらが来訪神として登録された。お正月に東北各地や鹿児島・八重山などにやってくる。彼らもこちらの世界に再生を起こすために、あちらの世界へと赴いた古い神々だったのだろうか。
その街の誰かがマスクを身につけ異界の存在に一体化することで年の瀬を渡れる。クリスマスには、仮面の裏の穿たれた穴からこちらの世界を覗くような気持ちで、街を歩いてみるのはどうだろう。
ーーーーー 遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは? ーーーーー
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林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
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