龍がクジラになる国◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:福田容子

2024/01/22(月)08:45
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▼辰年と聞くと義兄の顔が浮かぶ。辰すなわち龍は十二支唯一の空想動物なわけだが、これがウズベキスタンでは鯨になるのだと、そのウズベク人の義兄から聞いて驚いたことがあるためだ。前の辰年より少し前のことだったと思う。なぜそんなことになっているのか、不思議に思って少し調べたが、よくわからない。一方で、ユーラシア大陸のど真ん中、海のない中央アジアの人々にとって、一生見ることのない海獣と空想の霊獣のリアリティにどれだけの差があったかと考えると、両者が置換されたことをなんとなく納得のいくようにも思ったものだ。


▼また辰年が巡ってきた。今回このエピソードに加えて想起されるのが、京都・東本願寺阿弥陀堂門の獅子である。

 

▼獅子は、ネコ科の猛獣ラオイン(lion)であると同時に、それをもとに生み出された空想の動物であり、文殊菩薩の乗り物であり、魔を圧する霊力を持つ存在であった。これを象ったのが獅子舞や狛犬の相方の獅子だ。麒麟とキリン(giraffe)ほどかけ離れてはいないが、おおむねあまりライオンっぽくはない。


▼ところが、この阿弥陀堂門の四隅にある木鼻の獅子は、かなりライオン度が高い。鼻が前に突き出した頭のフォルムといい、鼻腔の形といい、克明な爪の付け根の膨らみや掌の肉球といい。写実的というか、ちゃんと中に頭蓋骨や骨格がある感じがする。


▼どうしてそんなことになったのか。それは、本物のライオンを見たからだ。というのが東本願寺のある僧侶が語ってくれた仮説である。実際、この阿弥陀堂門落成より8年前に京都にも動物園が開園し、ここにライオンがやってきた。これを見て写生したことによって、ここの獅子はこんなにもリアルになったのではないかというのである。一理も二理もあると思った。


▼京都の動物園は明治36年に開園し、明治43年に日本で初めてライオンの繁殖に成功している。本物のライオンに対面し、「これが獅子か」と受けたインパクトをこめた表象が、この木鼻。そう考えるのはあながち飛躍しすぎでもないのではないか。実際、近代京都画壇の画家達は、竹内栖鳳、山口華楊を筆頭に、美術館に隣接する動物園で動物の写生を重ねた。栖鳳のライオン・華楊の黒豹、なんてミメロギアもできてしまう。動物園から徒歩5分の場所に浅井忠らが開いた洋画研究所「関西美術院」もあるくらいだから、これが東本願寺の木鼻まで波及しても不思議はない。


▼そう自然に思えるのは、東本願寺がモダン建築の宝庫であり、新しいものの取り入れ方が柔軟で、まぜ具合が絶妙だからでもある。東本願寺は幕末に禁門の変の大火で焼失し、阿弥陀堂と御影堂の両堂をはじめ現在の境内はすべて明治以降の再建だ。NHK紅白歌合戦でAdoが歌った能舞台もそう。1880(明治13)年に建てられ、1937(昭和12)年に現在の場所に移築、昨年2023年に重要文化財に指定された。


▼建設年代だけの話ではない。外観は伝統的な日本建築でありながら構造や建材に西洋の技術を使っていたり、室内意匠に影響を受けていたり。たらこスパゲッティを地でいく融合ぶりなのである。また、江戸時代に火事で四度焼失した経験から明治の再建時は防火対策に注力したが、ここでもまぜ上手の手腕を発揮。宗主の住宅棟は武田五一が設計して鉄筋コンクリートで建てたし、境内の消火用水として、なんと琵琶湖疏水から専用導水管を直接引き込み「本願寺水道」を敷設した。しかも屋根の躯体内部にドレンチャーを通して上から散水できる装置を仕込みさえしたのである。伝統的なつくりの寺院建築の屋根の内部に、こんなにも近代的な設備が人知れず存在するなんて、考えるだけでゾクゾクする。


▼こういう隠し方が東本願寺は本当に粋だと思う。表向きは上手に混ぜて馴染ませるかと思ったら、内側では度肝を抜くような冒険もする。先述の洋館住宅は参拝者からは見えない奥に秘されているし、きわめつけは1998(平成10)年につくられた高松伸の視聴覚ホールである。亀岡末吉の菊門と大寝殿の間、その地中に、巨大なコンクリートの地下神殿が埋められているのだ。こんなものがこんなところにあるとはきっと誰ひとり思わない。懐深く入っていって初めてこのラディカルな空間に出会えるのである。


▼さても「辰年」シソーラスの次々と翔んでいけること。この勢いで編集が飛躍する一年に期待したい。

 


※トップ画像:東本願寺阿弥陀堂門木鼻の獅子。2023年11月、京都モダン建築祭にて撮影。

 

東本願寺視聴覚ホール

 

 

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◢◤福田容子の遊姿綴箋

 京都は神社が少なく教会が多い?(2023年12月)

 龍がクジラになる国(2024年1月) (現在の記事)

 

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  • 福田容子

    編集的先達:森村泰昌。速度、質、量の三拍子が揃うのみならず、コンテンツへの方法的評価、厄介ごと引き受ける器量、お題をつくり場を動かす相互編集力をあわせもつ。編集学校に現れたラディカルなISIS的才能。松岡校長は「あと7人の福田容子が欲しい」と語る。