そして編集的自己は「兆し」へと向かう:43[花]敢談義

2025/08/04(月)08:00 img
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道場の名が呼ばれ、師範陣が壇上に上がり、放伝生たちはその場で起立する。マイクを持った師範が一つひとつ言葉の意味を確かめるようにして話し始めると、スクリーンに大写しになった放伝生の神妙な面持ちがやがて、安堵、喜び、照れ、困惑、納得、決意……もろもろの表情に移っていく。

 

8月2日、43[花]敢談義。編集コーチ養成コース「花伝所」で8週間の修練を積み、晴れて師範代の資格を手にした放伝生27名が、この日、本楼に顔を揃えた(うち4名はオンライン参加)。「一刻一辞」は前回42[花]から新たに起こしたプログラムで、師範陣から放伝生一人ひとりに向けてメッセージが贈られる。道場での日々を鳥の目虫の目で見守り続けた師範たちが、他の誰でもないその人のために選んで編んだ特別な言葉は、放伝生たちのまだヒリヒリする創跡(きずあと)にやさしく染みたことだろう。

 

 

逸脱をしかけた「わかくさ」、問いを探求した「やまぶき」

 

トップを切ったのはわかくさ道場だ。総評で、壇上の古谷奈々師範は放伝生の緊張を解くように大らかに語りかけた。道場五箇条へのこだわりを掟破りの九箇条で全うし、「悪あがきで逸脱を生む」として加速したわかくさ。得意と不得意の相互編集でここまでやってきた。

以下、メッセージを2つほど。

 

○放伝生Oへ。「稽古模様から、“わかりたい”、“変わりたい”に加えて“切実”というキーワードが浮かんできた。それが起点となって人と場を動かした。師範代としての資質といえる」(渋谷菜穂子師範)

 

○放伝生Nへ。「道場に毎日登場し、発信が早かった。これからは自分に立ち向かうと同時に仲間のまなざしを巻き込んで、編集を遊んでほしい。憧れの人がいればそのメソッドに肖ろう」(齋藤成憲師範)

 

わかくさ道場の「一刻一辞」。師範と放伝生が互いをまなざす

 

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道場カラーのやまぶき色のポロシャツに着替えて登場したのは、森本康裕師範。落ち着いた声がよく響く。「問いを探求した」やまぶき道場に、松岡校長の著書『見立て日本』から「まとい」を拾い、「粋」とは自己の内ではなく外へ向かうことだして放伝生に手渡した。

 

○放伝生Kへ。「知とスピードを発揮しながら、それを仲間に届けられていない面も。師範代は教える存在ではなく、自分を空にして他者と交わる。師範陣から届けられた問いに向き合ってほしい」(森川絢子師範)

 

○放伝Mへ。「自分の問いと花伝所のお題とのさしかかりを常に考え、フィードバックループを回し続けた。負荷がかかった状態で場をつくる役割を意識した振る舞いは、師範代そのもの」(高田智英子師範)

 

 

■卓袱台返しの「くれない」、カオス上等「しろかね」、全員編集の「むらさき」

 

くれない道場では、卓袱台返しを厭わない吉井優子師範の総評が本楼の空気をピリリと引き締めた。どう見られているか気にするより、どう見えているかを意識する。他者のまなざしに試行錯誤行する愉快と、ないものねだり(不足)の重要性を、千夜千冊654夜『幻想の感染』から引いた。

 

○放伝生Uへ。「道場で最も変化が大きかった。当初せいぜい四百字だった発言量が終盤には四万字に(笑)。人に体温のある言葉を届けられる。師範代にそうした察知力は強み」(新垣香子師範)

 

○放伝生Nへ。「“変わる”と向き合い続けた。変わりたくないこともあったかしれない。しかし世界の見方は変わっているはず。非自己から世界を見る勇気をもつこと」(角山祥道師範)

 

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放伝生が4名だったしろがね道場。やむなき事情で仲間が減り、心の内は不安だったのかもしれないが、そこでターゲットに向かう強さがしろがね色に際立った。カオスの縁に浮かぶ兆しに編集の起点を求める。そう話す岩野範昭師範その人が、一朝一夕ではない説得力を放っていた。

 

○放伝生Iへ。「人間を見るためにはどういう方法があるのかという入伝式での問いを抱えて望んだ稽古。道場をトップで走る応接の速さと密度はモデル交換に確実な深度をもたらした」(山崎智章師範)

 

○放伝生Sへ。「優等生になる必要はあるのかと、遊びごころあふれる編集を体現してきた一方で、伝えたい言葉を呑み込んでいたかもしれない。そのフラジャイルも師範代の魅力になる」(新坂彩子師範)

 

しろがね道場。総評を聞く放伝生に道場での日々が蘇る

 

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登壇ラストはむらさき道場だ。大濱朋子師範が放伝生に真っ直ぐな瞳を向けて伝える。むらさきは全員で編集する場をつくり、そこで愚直に式目を体に通してきた。編集は呼吸と同じ。負荷をかけて体調を崩しても決して止めないように。

 

○放伝生Nへ。「師範代的な編集の冴えも、入伝時は感覚的だった。式目演習を通して型を使い、問い返し、分節化することで自覚的になり、編集筋が強化された」(中村裕美師範)

 

○放伝生Mへ。「創発が生まれる場づくりを終始意識していた。師範代は回答に、学衆は指南にピンと来るかどうか。入門した学衆の意欲を掬って返せる師範代になるという思いを実現して」(村井宏志師範)

 

 

■「編集する自分」と「編集され続ける自分」

 

守の稽古で発見した「たくさんの私」に対し、花伝所では「エディティング・セルフ(編集的自己)」を養うことが求められる。田中晶子所長がオープニングで触れたように、エディティング・セルフとは、「編集する自分」と「編集され続ける自分」の両方で成り立つ。編集は、自分と他者、自分と世界のあいだにあるものだ。

 

今の時代、AIに指南をさせれば的を射た出来になるだろう。しかし、AI指南のBPTはきっと揺れない。「兆し」と「プロセス」。あてどなく揺れ動くところにこそ師範代の指南があると、吉村堅樹林頭はオツ千ライブで話した。師範代にしても、師範代っぽい人の仮面をかぶって望むと、卒門のころには師範代になっている、そのプロセス含みなのだと、高本沙耶師範は体験を聞かせてくれた。

 

プログラム最後の振り返りで印象的だったのは、イシスは意味を交換して生態系を成しており、私たちはもうそこに投げ出されてしまっているという話だ。生態系で、兆して揺れて拓ける別様の可能性。敢談義で先達たちが放った真(まこと)の言葉の数々を受け取って、放伝生たちはこれからどんなエディティング・セルフに向かうのだろうか。

 

敢談義終了後、本楼は放伝生たちの笑顔であふれた

 

      アイキャッチ撮影/森本康裕(43[花]花伝師範)

  • 今井早智

    編集的先達:フェデリコ・フェリーニ。
    職もない、ユニークな経歴もない、熱く語れることもないとは本人の弁だが、その隙だらけの抜け作な感じは人をついつい懐かせる。現役時代はライターで、今も人の話を聞くのが好き。