新型コロナウイルスは社会や暮らしを一変させた。未知の感染症という困難に直面し、彼方への旅を余儀なくされることになったのだ。そんな非日常の中でもイシスの学びは変わらず、7月末、[破]の名物アワードのひとつ、アリスとテレス大賞「物語編集術」(AT物語賞)が発表された。AT物語賞は原作となる映画を翻案してつくる新作の物語が対象で、アリストテレス賞、アリス賞、テレス賞の3部門がある。
44[破]のアリストテレス大賞に選ばれたのは、とりかえサンダル教室・稲垣景子さんの『こうふくの機織り唄』。映画『ミッションインポッシブル』で描かれたスパイ組織の世界を、地方の武家に嫁いだ女性の物語へと翻案。キーアイテムとなる唄に多重の意味を込め、緻密な構成で主人公の「こう」と幼なじみ「ふく」の葛藤を描いた。タイトルにある「こうふく」は二人の関係を暗示したものだ。作者の稲垣さんと師範代の吉居奈々さんが物語誕生の裏側を語った。
――アリストテレス大賞受賞を知ったときの気持ちは?
稲垣:「なぜ?」が溢れて止まらず、呆然としてしまいました。俄には信じられず何度も森美樹評匠の講評を読み返したくらいです。一方で、描いた主人公こうの戦いは自身でも愛おしく、彼女の戦いにパッとスポットライトを当てていただいたことへの誇らしい気持ちもじわじわと湧いていました。ものすごく嬉しかったです。
――最初の映画の読み取りで工夫したことは?
稲垣:登場人物の関係や構造が複雑だったので、出来事や言動に対し、5W1Hの「なぜ」と「どのように」を繰り返し書き出しました。特に「なぜ」を深堀りし、人物の関係線や言動の変化に腹落ちできるまで時系列で5W1Hを比べたりしました。ひとつひとつの出来事に対して登場人物の「地」を入れ替えることで、人物による見えの違いを考えることができたと思います。
吉居:稲ちゃんは読み解きの段階で「多様な視点」を意識していましたよね。手前のクロニクルのお題で「地」の多面性を発見したことが効いていたのかもしれません。
――講評では「読み替えの妙」が高く評価されていましたね。
稲垣:私自身の中にひとつの物語を描き切れるほどのモノ・コトがないことがそもそもの発端でした。換骨奪胎する原作映画の人物・言動・出来事の背景を考える繰り返しが、物語として何が「なるほど」で何が「ピンとこない」のかの理解に繋がり、生まれて初めて描く物語の背骨となっていってくれました。
吉居:不足は大きな契機ですねえ。書くものがないからこそ外部の情報を調べるわけで、原作映画とは全く違うワールドモデルがでてきたときはガッツポーズ。思わず「どうやって考えたの?」と質問しましたね。
稲垣:はい。よっしー師範代の「あえて原作と『似ていないもの』を探すのもいいかもしれません」という言葉がヒントになりました。スリリングで最新技術やアクション満載の原作とできるだけ遠いものは何だろうと考え、「地味で退屈、あくびが出そうな繰り返し」をキーワードに、江戸時代の地方藩で行われていた機織りを選びました。ひとりの女性の内面のひそやかな戦いを描きたいな、と。
吉居:登場人物の中でも、クレアを唄に読み替えるアイデアはワンダフルでした。
稲垣:クレアは作中で最も長い時間主人公の傍にいる協力者であり、二重スパイでした。家の中でひとり機に向かう女性を主人公に置いたとき、かつて見聞きした「喜びだけでなく悲哀も仕事唄に託し、それを支えに働いていた」という、唄と共にあった当時の女性たちが思い浮かんだんです。そこで当時の仕事唄についていろいろ調べて、クレアを裏の意味を持つ唄に翻案することにしました。
吉居:闘争シーンで主人公が歌う唄。ふだんカチっとした文章を書く稲ちゃんの別の顔を見たようでしたね。読み惚れました。あの歌詞はどうやって書いたの?
稲垣:主人公の切実な唄が読む人に届いたことが、とても嬉しいです。歌詞を書く前に、昔の手まり唄をたくさん聞いたり読んだりしてリズムや温度を感じ取っていきました。次に、主人公は何と、なぜ戦っているのか、どのような気持ちなのかを考え、何を込める唄なのかの”いじりみよ”や、彼女が見たであろう情景を書き出しました。最初の1行だけは、主人公のこうと敵対するふくの関係から自然と思い浮かんだんです。そこでリズムと音が決まりました。そこからは文字数を合わせて言葉を探していきました。実は音もあるので、忘れないうちに譜面に起こしておかないと(笑)。
吉居:なんと音付きだったとは! 譜面を見たいし、聴きたい(笑)。原作映画の読み解きでも時代考証をしっかりしていたのが印象に残っています。背景へのまなざし、調べを尽くす姿勢が良かったんでしょうね。
――主人公と敵対者の対決をどのように書くかを試行錯誤されていたようですが、苦労した点は?
稲垣:二つあります。ひとつは、主人公が敵対者にどんな思いを抱きどんな言動に至るのか、それはなぜなのかをクリアにすること。もうひとつは、原作との違いをどこまで許容するかを決めることでした。マイナスの感情はどのような行動にも繋がりやすく、安易に膨らませるのではなく、人物の視線や表情、言葉に、切実なひとつを選び取る注意が必要でした。
吉居:たくさんの関係線の中で、蝶番となるたったひとつを選び取る。今回の物語では「純真さ」の裏表の意味が物語の結節点になったのですが、何度も思考を重ねるなかで稲ちゃんが見出した、とびきりのメッセージに育っていったと感じました。到達したときは心が震えました~
ところで、物語稽古を通じて、印象に残っていることは?
稲垣:自分の中で登場人物が人格を持って生き始めたことがとても不思議な、嬉しい出来事でした。原作と展開が違ったとしても「この主人公ならきっとこうするだろう」と想像したことが裏付けをもって動き出す瞬間が心地良く、「それはどうして?」と登場人物と対話するような気持ちで書いていました。
――師範代とのインタースコアで感じたことがあればお聞かせください。
稲垣:よっしー師範代の指南に一貫して溢れていた、私の描こうとする物語への大きな大きな愛情にとても励まされました。生まれて初めて考えるワールドモデルや登場人物の設定には気恥ずかしさや不安がつきまといましたが、そのまま大切にしていいんだ、と丸ごと受け止められるようになったことがありがたかったです。隣に立って一緒に眺め、「この主人公の冒険が一番魅力的に読み手に届くにはどうしたら良いか」について、物語編集術という強力な共通語で師範代と対話しいるようでした。
吉居:嬉しいです。学衆さんと同じ方向を向く、というのは校長から「共苦」という言葉を聞いて以来心がけていることです。稲ちゃんの物語はもちろん、教室で生まれた物語はホント愛おしかった。伴走できて、素晴らしく“こうふく”でした。
稲ちゃんも次は師範代として、味わってみてください!
小路千広
編集的先達:柿本人麻呂。自らを「言葉の脚を綺麗にみせるパンスト」だと語るプロのライター&エディター。切れ味の鋭い指南で、文章の論理破綻を見抜く。1日6000歩のウォーキングでの情報ハンティングが趣味。
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