飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。

2022年3月5日、Hyper-Editing Platform[AIDA]Season02「メディアと市場のAIDA」の最終講がもよおされた。最終講では、昨年2021年10月にスタートした第一講から第五講までをダイジェスト映像で振り返りながら、AIDAの卒業論文である「間論」(まろん)をもとに、座衆とボードメンバーが超ディープな意見を交わし合った。ボードメンバーは、田中優子、大澤真幸、山本貴光、佐倉統、村井純、武邑光裕、佐藤優の七名だ。アウトレイジな七賢人だ。
Hyper-Editing Platform[AIDA]HPより
これまでAIDAのゲストは、第二講に文化人類学者の松村圭一郎と小川さやか、第三講にDOMMUNEの宇川直宏、第四講にオートポイエーシス理論の第一人者・河本英夫、第五講に千夜千冊『ウェブ文明論』の著者である池田純一が登壇した。「遊刊エディスト」でもその一端を垣間見ることができる。Season01を含めて、速報記事やインタビュー記事が【Archive】[AIDA]が描く「編集的社会像」にすべてアーカイブされている。
最終講でもAIDAメディアチームが駆けまわり、ボードメンバーに直撃インタビューを敢行。インタビュー記事は近日中に「エディスト」でも続々公開される予定だ。「[AIDA]Season02 × エディスト」のフィナーレの序曲として、この記事では、松岡正剛座長のSeason02のファイナルメッセージを紹介する。セイゴオ先生の「私が”公私混同”を語るなら」!?
公私混同の真意は「インディヴィデュアル(individual)」とは何かということです。インディヴィデュアルとは「分割できないもの」という意味ですね。「個人」という意味もあります。公私混同の「私」です。
「私」は「パーソン(person)」でもあります。ただし、パーソンには「パーソナリティ(personality)」であると同時に、「ペルソナ(persona)」という語源もあります。ペルソナとは「仮面性」ですね。だからいくらでも「たくさんのアバター」「たくさんの私」をつくっても構わないわけです。
さて、古代ギリシャのデモクリトスは万物の根源として「アトム」を仮説したわけですが、「トム」というのは「分ける」という意味で、「アトム」は「最後に分けられた一個」「分割できないもの」という意味です。これに対して、エピクロスは「いや、逸れるんだ」といった。軌道から逸れる「偏奇する原子」を構想しました。
エピクロスは千夜千冊183夜『教説と手紙』という一夜がある(千夜千冊エディションは『神と理性 西の世界観I』の第一章「神と王の国」に収録)。冒頭はこんな記述がある。「エピクロスはぼくが青年期に惚れていた古代ギリシア後期の哲人である」。
なぜセイゴオ先生の琴線に触れるのか。「デモクリトスは必然性を追究した自然哲学者だった。エピクロスはそうではない。偶然的なるものが必然になればいい。思索がおもむいたところ、そこへ必然がやってくればいい。よしんばやってきてくれなくともかまわない」。偶然と必然。ここに公私混同の秘密も隠されているのかもしれない…?
時代をずっと下って、哲学者のヴィトゲンシュタインは「世界は私のところでぼけている」と言ってのけました。これはどういうことかというと、物事をロジカルに進めようとすればするほど、その方法がまったく使えない場面に出会うことになるということです。必ず不確定性が割り込んでくるわけです。
ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの一夜は833夜『論理哲学論考』(千夜千冊エディションは『編集力』の「第一章 意味と情報は感染する」に収録)。「世界は私のところでぼけている」、あるいは「世界はそもそもぼけたヘリをもっている」発言には「わたくしの言語の限界が、わたくしの世界の限界を意味する」という前提があった。つまり、「言語の限界が思考の限界なのである」。これが前期ヴィトゲンシュタインのケリのつけ方だった。
そこで仏教者の鈴木大拙は「分けて分けない」と言いました。その大拙が最初に研究した西洋哲学はスウェーデンボルグです。そして最後に研究した仏教哲学が華厳だったのですが、この二つは実はとてもよく似ているんですね。
スウェーデンボルグは、インディヴィデュアルに「分けられたもの」と「分けられていないもの」が鏡で映しあった関係のようにして一緒に現れてくると考えました。しかもその交感の構造が「諸地球」になるさえ言ったのです。「たくさんの地球」という思想、「公としての地球」という発想ですね。
スウェーデンボルグは『宇宙間の諸地球』という本を書いている。残念ながら、スウェーデンボルグは千夜千冊されていない。千夜はされていないけれど、『遊学Ⅰ』(中公文庫)で取り上げられている。タイトルは「振動する鉱物」。スウェーデンボルグのことは「鉱物精神の司祭者として、歴史上これほど神聖かつ巨大であった人物もめずらしい」と絶賛している。大拙とスウェーデンボルグのAIDAを読み解くなら、安藤礼二の大著『大拙』(講談社)も必読。
一方、仏教は何をしたのかというと、個としての「セルフ」というものをいったん無くし、「彼我」や「無我」という概念を作り上げました。さらに「無我によって言語を使う」というとんでもないことを発想した。それが座禅になり、今日のマインドフルネスになっていったわけです。
いくつかの事例を紹介しましたが、ここまでの話を一言でいえば、「出発のアルゴリズムと到着のアルゴリズムは別のアルゴリズムで決めないといけない」。あるいは、「あるメソッドでそこに行きこうとすると最終到着できない」。もっと簡潔にいうなら、「方法は到着できない」ということです。だからこそ、これから座衆の皆さんにも「大いなる公私混同」を大いに期待したいと思っています(笑)。
「方法の学校」であるイシス編集学校で学んでいる学衆にとって「方法は到着できない」(!)は衝撃だろう。それなら、編集学校で学んでいる「方法」とはいったい何なのか…?
それはさておき、実はエピクロスもヴィトゲンシュタインも大拙もスウェーデンボルグも『遊学Ⅰ・II』のラインナップの一員だ。セイゴオ先生が惚れに惚れ込んだ大遊学者の象徴なのである。だとしたら、「大いなる公私混同」のメッセージはこうも言い換えることができるかもしれない。
諸君、「大いなる大遊学」こそ期待したい、と。
Eyechatch photo:後藤由加里
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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2025-08-16
飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。
2025-08-14
戦争を語るのはたしかにムズイ。LEGEND50の作家では、水木しげる、松本零士、かわぐちかいじ、安彦良和などが戦争をガッツリ語った作品を描いていた。
しかしマンガならではのやり方で、意外な角度から戦争を語った作品がある。
いしいひさいち『鏡の国の戦争』
戦争マンガの最極北にして最高峰。しかもそれがギャグマンガなのである。いしいひさいち恐るべし。
2025-08-12
超大型巨人に変態したり、背中に千夜をしょってみたり、菩薩になってアルカイックスマイルを決めてみたり。
たくさんのあなたが一千万の涼風になって吹きわたる。お釈迦さまやプラトンや、世阿弥たちと肩組みながら。