2022年10月~2023年3月開莚の輪読座は「三浦梅園『玄語』」を扱った。2月の輪読テキストである「小冊 人部」について輪読師バジラ高橋は「梅園の人間学だ」と荒ぶる。世界の一部分である人間というものを條理によって明らかにしようとしているのだという。前段の図象解説では梅園の條理学にも影響を与えたという朱子学・陽明学の成り立ちにカーソルを向けた。
◆儒学の入門書『大学』
儒学の経典とされる『四書五経』。成立は五経(『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』)の方がはるかに古く、紀元前5世紀の孔子の思想が起源となる。五経は量が多く難解だったため、過去の儒学書を編纂するかたちで四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を定めたのが朱熹(朱子)であった。朱熹(1130~120年)は中国南宋時代に生まれ、「儒教と儒学のルネサンス(千夜千冊1205夜『儒学とは何か』)」にとりくんでいく。朱熹が儒学を学ぶにあたって入門編とした『大学』は冒頭にこうある。
大学之道、在明明徳、在新民、在止於至善。
「明明徳」は徳を明らかにすること、「親民」は民に親しむこと、「止於至善」は至極の善に到達すること。三綱領と言われるものに加えて『大学』には人間の発展段階をあらわした八条目(「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」)もある。「格」は至る、「物」はあらゆる物事を意味し、「格物致知」とは事物の真理を究明することをあらわす。人間は一歩一歩段階を踏み、なすべきことを行っていけば天下を治めるということでも成し得るという方法論だ。人間の努力、意志、能力等々を信じることばであり、現世で能力を発揮すれば人間の理想である聖人になることができるというのが儒学の考え方であった。
◆朱熹、新儒学の幕を開ける
朱子学は、
11世紀の宋代に出現した周敦頤、二程の影響を受けて朱熹が構築した学問だ。従来の儒学は宗教性・礼教性は担保していたものの宇宙論や形而上学の視点は不足していた。そこへ周敦頤が太極図を展開することで朱子学における宇宙論・形而上学の原型を作り出す。「無極よりして太極」という意味であった太極図に対して、朱熹が「無極にして太極」という新解釈を与える。無(無極)という潜在的なものと、有(太極)という顕在的なものとが一致しているという二元論を持ち出した。朱熹は理気二元論を導入し、「理」(天地万物の法則)と「気」(万物を構成する要素)という二者で宇宙論・存在論を立てたのである。
朱熹は、人倫道徳においては人間の心を「性」(人の心善なる本性)と「情」(感情・欲望)に分けた。「性」こそが「理」であるとする「性即理」である。すべての人間が出自に関わらず、心を進歩させることができるという理論であり、既得権益を維持しようとする貴族階級にとっては恐るべき主張だった。朱熹は地方官を歴任し、学校制度の整備や郷土の先覚者の顕彰、減税の請願など地域改革に取り組んだ。人間の本性と宇宙の根源を一致させた「性即理」の考え方、誰もが聖人になれるという「八条目」という方法を持っていたからこそ、朱熹はボトムアップを重視したのだ。朱子学は、中国の儒教を代表する学派のひとつとして、後世の教育・思想・政治に大きな影響を与えることとなる。しかし晩年、朱子学は偽学として弾圧されてしまう。朱熹は不遇の中で71歳の生涯を閉じた。
朱子学のロジックを一言でいえば、一人一人が真理を正しく知るべきであるということを、正しく知るには居敬を正しくしなければならないことにつなげたことにある。そこに一人一人が聖人になりうる可能性があるという希望をおいた。
居敬とは、心身を収斂して「本然の性」を日々まっとうに守ることをいう。
それゆえ朱子の道学は、理気哲学であって、かつ性理学であると言われるのだが、「知る」ということを窮理とみなし、それを格物致知とすることで、『大学』のメッセージと巧みに合わせたところが眼目だった。
#千夜千冊996夜『伝習録』王陽明
◆朱子学の「性即理」から陽明学「心即理」へ
南宋が滅んで100年、1368年に建国された明では朱子学に基づく政治体制が敷かれていた。時を経て15世紀末になる頃には為政者が貴族化し官僚は朱子学を形骸化していく。北方からはモンゴル系遊牧民の侵攻、南方海域には倭寇の活動、国内では重税に苦しむ農民層の反乱がおこり危機的状況を招いていた。王陽明(1472~1529)はこの頃に登場し、1499年に官僚として船出する。1505年、陽明を抜擢した弘治帝が没し正徳帝が即位すると、皇帝が幼年であることに取り入った宦官がのさばりはじめる。反抗した陽明は貴州龍場(現貴陽市修文県)の駅長という低い職に左遷されてしまう。原住民である彝族とは言葉は通じず、住居も与えられず、従者が次々に病に倒れていく有様だった。
陽明は『大学』の読みなおしを始め、朱熹の示した八条目の「格物到知」の解釈を誤りだと捉えた。朱子学の「性即理」が知を蓄積し分析して行動することを求めることに対し、陽明は人間には主観や先験的判断力が本来備わっているものだとして「心即理」を唱え、「知行合一」を説いた。朱熹が『大学』の三綱領において「親民」を「新民」に変更したものを、原典の「親民」に戻す。陽明は彝族との交流を通して、すでに聖人となっている無垢で無知で素朴な感情で暮らす人々に親しまなくてはならないと考えたのである。陽明は独自の儒学を打ち立てたのだ。
この陽明学は、理屈の多い主知的な朱子学の行きかたを批判し、人間にはもっと大切な、溢れ出る生命のような生き生きとしたもの(良知)があり、それをこそ重んずるべきであるとした。つまり、主情的立場によって、主知的な朱子学を批判したのである。この、心の重視とは、強烈な〈自己〉の主張でもあった。
『儒教とは何か』加地伸行 中公新書より
◆朱子学・陽明学、日本へ
鎌倉初期、宋に往来する禅僧らが朱子学書を持ち帰ったことから日本にも朱子学が紹介されるようになる。室町になると、吉田兼倶は周敦頤の太極図に日本神話の神々を当てはめ吉田神道を構築。土佐や薩摩にも朱子学が導入されて京都や江戸とは一味ちがった実践朱子学が芽生えていく。江戸時代には幕府が朱子学を正統の教えとして採用し、幕府の学問所である蘭学所や文学院で朱子学が教授されるようになる。朱子学は庶民から武士階級、支配者層まで広く浸透し、日本儒学の中心的な教えとなっていく。
陽明学の方はといえば、江戸時代中期、蘭学や国学とともに日本に上陸する。日本における陽明学の開祖と言われる中江藤樹(1608~1648)は10代の頃から朱子学に傾倒していたが、30代で陽明学と出会うやおおいに触発され転向。故郷の小川村で藤樹書院という私塾を開き、41歳で亡くなるまで人々に教導した。藤樹書院での門人の一人が熊沢蕃山(1619~1691)であった。蕃山は岡山藩に仕え、災害・飢饉への対処、無理な新田開発反対、教育振興や四民平等など藩政に治績をあげる。晩年、幕府批判を咎められると古河城に幽閉され、古川城で生涯を閉じる。
朱子学と陽明学という2つの流れを折衷したり変化させたりしながら梅園は條理を主張するようになっていくのである。
◆フラジャイルな梅園の「道」
『玄語 小冊』の「人道」の章を輪読し終えたとき、バジラは「『人道天命図』を見るとバジラは泣けてきちゃう」と漏らした。
「人道」の最後にあったのは「道を人に尽くして、命を天に俟つ」という一文であった。玄語図を見ると、「道」が人道と天命に剖析し、「天命」は正と非に、「人道」は正と邪に分岐する。いつの時代にも多様な災害で被害が出ることがある。梅園の時代にもイナゴの大被害を受けた。天命は必ずしもいいことばかりではないが、やむを得ないことでもある。一方、人道には邪心がある。邪なものはおさめないといけないが邪は正と切り離すことはできないのだ。人道と天命が対になって道ができる。その中で我々は日々編集しながら生きていく。21世紀の人の道もそうでありたい。
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2023年4月からの輪読座は「幸田露伴」を読んでいる。
オンラインでの講座で当日欠席でもアーカイブで動画確認ができるため、いつからでも受講可能である。詳しくはコチラからどうぞ。
◆<速報>図解発表レポート【輪読座「幸田露伴を読む」第二輪】
宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
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