橋本治がマンガを描いていたことをご存じだろうか。
もともとイラストレーターだったので、画力が半端でないのは当然なのだが、マンガ力も並大抵ではない。いやそもそも、これはマンガなのか?
とにかく、どうにも形容しがたい面妖な作品。デザイン知を極めたい者ならば一度は読んでおきたい。(橋本治『マンガ哲学辞典』)

サブプライム問題、食品偽装、地球温暖化。
i-Phone、電子マネー、初音ミク。
今に続く問題の表面化と今も使われるインフラの初登場。2007年は同じような解決不能な問題と加速的な技術進化の中でも、とりわけ節目になる一年だったようです。その頃の私はと言えば、2004年に自分で立ち上げた会社を動かしながら、ロジカルシンキング、フォトリーディング、NLPなど片っ端から自己啓発やビジネス研修を受けまくっていたのですが、参加者が口々に言う「成長」や「成功」と言った文法に拒絶反応を身体が示し始めてきた時だったように思います。
アメリカ流や西洋風の教育ばかりの時代に、「日本式」はないのかと憤っていた私が、たまたまイシス編集学校の「守破離」という文字を見つけ、
即座にワンクリックして申し込むのは翌2008年の秋、20守まで待たないとなりません。2007年の松岡校長の出版著作は『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)、『ちょっと本気な千夜千冊虎の巻』(求龍堂)『脳と日本人』(茂木健一郎/文藝春秋社)。
千夜千冊は2007年01月05日1169夜ヴァレリー・ラルボー『幼なごころ』から、2007年12月31日1214夜ゴットフリート・ロスト『司書』まで。その間、デフォー、グリム、セルバンテス、デカメロン、ヘルダーリン。無門関、李賀、横井小楠、童子問、儒教とは何か、東洋思想の流れ。そして、パースとベルクソンの決定打が放たれる一年です。
この後、イシスで大人気になる安田登さんの『ワキから見る能世界』が紹介されたのも2007年。翌年の校長の白川静本と相まってブームになります。ですから、このころのイシスな人たちは「常用字解」はマストアイテム。字通、字訓、字統を揃えると、イシス人として市民権を得る感じ? だったように思います。
この2007年は、タレブ『ブラック・スワン』、インゴルド『ラインズ』、ナヤン・チャンダ『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』、J・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』と注目作がいくつも出版されています。さて、その中で私が選んだのはこちら。
『虐殺器官』伊藤計劃著/早川書房、2007年6月
サラエボをはじめ、各地で頻発する内戦、なぜ、次々と内戦や虐殺は起こるのか。内戦地に送り込まれるアメリカ情報軍の主人公。そこには虐殺をコントロールする人間とそのための方法がありました。「人間には虐殺を司る器官が存在し、器官を活性化させる“虐殺文法”が存在する」。この虐殺文法を使うことで、物語は最終的にアメリカの内戦に向かいます。
この言語的方法が人を虐殺に向かわせることができるという発想には驚かされました。世界破滅に向かった虐殺世界のディストピアが、新たな「生府」の元、完全医療経済社会という死ねないディストピアに変じていくことを続編として描いたのが、14歳で自殺を試みる少女たちを主人公にした翌2008年の『ハーモニー』です。
伊藤計劃はご存知のように2009年に34歳で夭折するわけですが、オーウェルともハクスリーともまた違った方法で、『虐殺器官』『ハーモニー』という二つのディストピアを描きました。伊藤計劃=<Project Itoh>。「方法としての人格」を筆名にまでした伊藤計劃は二つのディストピア小説で何を描きたかったのでしょうか。何をプロジェクトしたかったのでしょうか。
このディストピア小説に呼応したわけではありませんが、2007年同年に、フレドリック・ジェイムソン『未来の考古学 ユートピアという名の欲望』というユートピアを思想した一冊も出版されました。歴史上実験されてきたユートピアは、フーリエや共産主義社会だけではなくことごとく失敗もしくはディストピア化してきました。
では、ユートピアは必ずディストピア化する裏腹なものか。ここで、ジェイムソンは「ユートピアの不可能性」ということを持ち出して、この「不可能性」は悲観論に陥らせるものではなく、「さらなるユートピア的<新機軸>の創造に向けて、そして未来の喪失に徹底的に反対して、想像力を駆り立てるものだ」と書いています。
「まずユートピア的なヴィジョンをほとばしらせることなしに、私たちの社会的存在が根本的に変化すると想像することは不可能なのである」とも。伊藤計劃の描いた前後する2つのディストピアは、言語やデバイスにいかに私たちがアフォードされやすいかも物語っています。しかし、一方でそのユートピア的な可能性も展いているようにみえるのです。
彼の類まれな方法的想像力でさらにいくつものユートピックな作品を生み出してもらいたかった。その早逝が悔やまれてなりません。
***
常にユートピックな思考でいくつものまだ見ぬプロジェクトを実現してきた松岡校長。そして、校長自ら最高傑作という言い方までする2000年に生まれたイシス編集学校。そこで交わされる方法の言語と、エディットカフェというインターフェイス。<編集稽古>を通して、人間や社会、文化とは何かを問い続けてきた学校は、20周年を迎えて、<Project ISIS>を少し明示的に語り始める時期なのでしょう。
多読ジムはその突端にいると言っていいかもしれませんね。次は、私も守に入門した2008年です。こちらはseason3で金代将に語ってもらいます。どうぞお楽しみに。
20th annniversary
イシス編集学校 林頭 吉村堅樹
吉村堅樹
僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。
【知の編集工学義疏】第3章 <情報社会と編集技術>のキーワード
今こそ、松岡正剛を反復し、再生する。 それは松岡正剛を再編集することにほかならない。これまでの著作に、新たな補助線を引き、独自の仮説を立てる。 名づけて『知の編集工学義疏』。義とは意見を述べること、疏とは注釈をつけ […]
【知の編集工学義疏】第2章 <脳という編集装置>を加速させる
松岡正剛が旅立って一年。 今こそ、松岡正剛を反復し、再生する。 それは松岡正剛を再編集することにほかならない。これまでの著作に、新たな補助線を引き、独自の仮説を立てる。 名づけて『知の編集工学義疏』。義とは意見を […]
千夜千冊エディション『少年の憂鬱』に松岡正剛の編集の本来を読み解くべし。花伝所の放伝生が取り組んだ図解を使って、20分の予定時間を大幅にオーバーして、永遠の少年二人がインタラクティブに、そして「生」でオツ千します。 発熱をおしてやってきた小僧・穂積は大丈夫か? 坊主・吉村の脱線少年エピソードは放送可能か? エディション『少年の憂鬱』をお手元に置いてご鑑賞ください。
【知の編集工学義疏】第1章 <編集の入口>をダイジェストする
松岡正剛を反復し、再生する。聖徳太子の「三経義疏」に肖り、第一弾は編集工学のベーステキストでもある『知の編集工学』を義疏する。連載の一回目は、第一部である「編集の入口」をテーマに「第一章 ゲームの愉しみ」を読み解き、「編集」のいろはを伝える。2022年講義のダイジェスト映像とともにご覧ください。
イシス編集学校の師範、師範代にしか公開されていなかった「伝習座」。その講義の中から、[守]の編集術の最後にあたる「情報の表現」について、吉村堅樹林頭が50分にわたって解説した動画をYouTubeイシスチャンネル限定で蔵 […]
コメント
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2025-08-21
橋本治がマンガを描いていたことをご存じだろうか。
もともとイラストレーターだったので、画力が半端でないのは当然なのだが、マンガ力も並大抵ではない。いやそもそも、これはマンガなのか?
とにかく、どうにも形容しがたい面妖な作品。デザイン知を極めたい者ならば一度は読んでおきたい。(橋本治『マンガ哲学辞典』)
2025-08-19
エノキの葉をこしゃこしゃかじって育つふやふやの水まんじゅう。
見つけたとたんにぴきぴき胸がいたみ、さわってみるとぎゅらぎゅら時空がゆらぎ、持ち帰って育ててみたら、あとの人生がぐるりごろりうごめき始める。
2025-08-16
飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。