向こう三軒両隣
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」。
漱石の『草枕』の、有名すぎる冒頭だ。しかし私がもっと頷いたのはその続きである。
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣にちらちらする唯の人である」。
そうなのだ。神や鬼が作ったものならば、善い神を呼び込み、悪い鬼を追い払えばよい。だが「唯の人」は簡単に追い払えない。こちらも「唯の人」なのだから。
ここが住みにくいなら、別の場所へ移るのはどうだろう。子ども達が大きくなり、マンションが手狭になってきた。「引っ越しというのをしてみたいな」と7歳の長女がCMを見ながら訴えてくる。
文化人類学者のジャレド・ダイアモンドがいうところの第三のチンパンジーであるヒトは、幼く産んでゆっくり育てるという道を選んだことで、他の生物とは比べものにならないほど生息域を広げた。身体はフラジャイルなまま、大きな脳と器用な手で衣食住を整える能力を伸ばしていったことが奏功した。
人類は何万年もかけ、北極圏から南海の孤島まで、地球のほとんどの陸地にひろがった。すべての集団がうまく生き延びたわけではない。ダイアモンドの『文明崩壊』は、崩壊した文明がなぜそうなったのか、理由とプロセスを想像力を駆使して解き明かそうとした本である。
イースター島の黄昏、マヤ文明の崩壊等と比較して、存続した例としてニューギニア高地の社会や江戸期日本の森林政策が紹介される。ダイアモンドは簡単には答えを出さず、フィールドワーカーとして自らの眼で見て考えたことを、驚きごと詳細に描き出していく。
人を殺す文明、人を生かす文化
グリーンランドのノルウェー人入植地の歴史は、紀元1000年頃に始まった。殺人の罪を犯して追放された「赤毛のエイリーク」は立派な家屋敷が無料で手に入るという噂を流し、入植希望者を募って、グリーンランドに農場を開いた。手つかずの大地は地味豊かで、最初は十分な飼い葉の収穫ができた。しかし、放牧と農耕による自然植生の破壊が続くと、土壌侵食が起こり、有益な土地が失われていった。
江戸期の日本のようには、地力や森林回復への道は選ばれなかった。困難が大きくなるほど、キリスト教徒としてイヌイットを蔑むことで連帯心を強化する方向へ、共同体は向かっていった。
稀少な木材は船の建造ではなく教会建築に使われた。ヨーロッパ大陸との往来が間遠になり、1500年前後、入植地の成員は、大陸の人々に気づかれぬまますべて死に絶えた。対して、同じ北極圏に住むイヌイットは、魚や海棲哺乳類を獲り、木を使わない暮らしを続けることで気候変動を生き延びた。
ノルウェー人のなかにも森林回復をとなえる者はいたかもしれない。が、共同体の方針にはならなかった。多様な考えを持つ成員の一人ひとりの決定は社会が存続するための合理的な方法につながるとは限らない。
災害や気候変動に対してどう生き延びるか。各地で同時多発的に発明されたのが文字と貨幣だ。ただし根本的な解決になっているかどうかはまだ答えが出ていない。それは、食料に不足が生じてもすぐに命を失うことはないが、運悪く財産を失えばいずれ持てる者に食い物にされかねない社会である。
大正、昭和の日本は、食い詰めかけてロシアやアメリカと戦争をすることになった。すると勝つために、きわめて私的な領域への介入、漱石の言うところの「屁の勘定」までが平気で行われるようになる。
不人情に抵抗するための非人情
『草枕』の主人公である画工は、臀に探偵をつけるような文明社会である東京に嫌気がさし、山奥の温泉・那古井に向かう。
画工は、旅のはじめに、これからはこの世の出来事に関わりを持たないと心を決めている。これからは「非人情」に生き、美を最上としその探究だけに徹しようとする。
しかし、那古井もまた「向こう三軒両隣」がつくる社会であった。宿の出戻り娘・那美は美人だが、向こう見ずと軽侮と思慮深さが同居していて、一緒に居て安らぎがない。誰もが那美の噂話をし、東京から流れてきた髪結の親方は那美を狂印だという。
画工が立派だと思うのは寺の和尚だけである。漢詩が分かる。越すこともかなわぬ世の中を易くするのは詩や絵だけだという思いがますます深くなる。和尚は那美をたいした人だという。
主人公が部屋で小説を開いていると、那美が入ってくる。「お勉強ですか」と問われ、画工だから初めから読まない、筋を追わない。「いくら惚れてもあなたと結婚しないのと同じだ」という。これが非人情な読み方だと説明する。
主人公は那美が乞うままに、たまたま開けたページを訳し聞かせる。突然地震が起こり、那美が身を寄せ、離す。
そして自分が近々池に身を投げるから、安らかな顔で浮いているところを綺麗に描いてくれと頼み、立ち去る。数日後、主人公が池のそばで寝転んでいると、身投げするふりをして岩から飛び降り、主人公を驚かせる。
山へ行き、鳥の声を聞け
ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっきょうー。『草枕』の序盤で那美が「あれが本当の歌です」と主人公に教えている。
那古井温泉のモデルとなったのは、明治30年、漱石が熊本県にある五高赴任時代に滞在した小天温泉である。齢30歳、温泉まで山道を徒歩で旅している。
随筆アンソロジー『むかしの山旅』を読むと、芥川龍之介、竹久夢二、寺田寅彦らも山を歩いていることがわかる。山は文明の中で制限されている想像力を解放する。鳥の声は禅の公案であり、身投げのふりは生命の躍動である。
二年に及ぶ英国留学で漱石は近代文明が人から何を奪うのかを痛いほど知った。それでも田舎では暮らせない。胸中の山水として、忘れ難い山里の景色を漢文の語彙と俳句的手法で描き出すことが、「神経衰弱」を抱えていかに生きていくかを模索するプロセスで必要だったのだろう。
終章は、日露戦争に召集される那美のいとこの久一を停車場までみなで見送るシーンである。停車場までの舟旅はのどかきわまりないが、汽車の車輪がごとりと回ると、もう因果の鎖は切れる。「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付け様とする」。文明の情け容赦の無さが、その象徴たる汽車論として語られる。
那美は列車に、満州に落ちぶれていく元夫の姿を見つけて呆然とする。そのとき主人公の画工は、那美の表情に欠けていた「憐れ」を見出し、美の完成を喜ぶ。漱石の非人情はそこまで徹底していた。「恥かきっ子」として出生し、養子に出され、長じてからもずっと借金としがらみの中で生きざるを得なかったという境遇が漱石をそうさせたのであろう。
対してダイアモンドは人情家である。子どもや孫が生きる社会を今よりも住みにくい世の中にしてはいけないという思いが執筆の原動力になっている。地球にはもう引っ越せる場所はないのである。
漱石の非人情には、この世を住みよくしようという動きにはつながらない。非道であろうか。だが明治39年、鈴木三重吉への手紙で「草枕のような主人公ではいけない」と書いているのである。非人情を書ききったことが、漱石に「命のやりとりをするように」文学をやる決意をもたらしたのであろう。
INFO
∈夏目漱石『草枕』(新潮文庫)
∈ジャレド・ダイアモンド著・楡井浩一訳『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの(上・下)』(草思社文庫)
∈今福龍太編『むかしの山旅』(日本評論社)
⊕多読ジム Season05・冬⊕
∈選本テーマ:日本する
∈スタジオこんれん(増岡麻子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成
『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』┐
―『草枕』
『むかしの山旅』 ┘
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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