【追悼】松岡正剛のひっくり返し

2024/09/03(火)17:14 img
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本楼にある黒いソファを移動して、その脇に求龍堂の『千夜千冊』と角川の『千夜千冊エディション』を並べて松岡さんを迎えた。2度目の肺癌で入院する直前の2021年4月初旬、急遽、オンランイベント「千夜千冊の秘密」で語り切れなかった秘密について、インタビューを依頼したのだ。撮りためた映像をつなぐには松岡さんの語りを撮っておきたかった。初めての試みだった。撮影は後藤由加里さん(倶楽部撮家)と寺平賢司さん(松岡正剛事務所)も協力してくれた。

 

最初に座る場所を松岡さんに確認すると、「場所はどこでも構いません、大事なのは内容ですから」と言われた。思わず後藤さんと顔を見合わせた。色んなイベントの準備で常に設営にこだわってディレクションしていたので意外だった。続けて「質問の確認をしましょうか」とシナリオを見せようとすると、「いりません、演出はそちらに任せます」と返された。リハを徹底する松岡さんが収録とはいえ、事前に何も確認せずに本番に入るというのは拍子抜けだった。ただ一つ見たのは、撮影モードとして用意した、プロが撮った数々のポートレート集だった。資料写真を見ると、「うん、いいんじゃない」と納得したような表情だった。この一連を私なりに解釈すると、これは松岡流のひっくり返しだったような気がしている。何も言われないことの重み。

 

インタビューがスタートすると松岡さんは言葉に溢れていた。こちらの緊張を跳ね返すようだった。撮影後、「藤本晴美の質問のタイミングは早過ぎたよ」とだけ指摘された。そして、「調べたことの確認になってないのは良かった」と褒められた。テクニカル面で途中、待たせる場面もあったが何も言われなかった。これがプロかこれが松岡正剛か。波にのまれるような、乗せられるような感覚だった。入院前で体調が万全でなくても、こちらの腕がなくてもザバーンと高いレベルに持っていってしまう。

 

2024年5月11日の41[花]入伝式、再びインタビューの機会が巡ってきた。撮影プロジェクトではなく、花伝所の花目付として、私はインタビュアーを務めた。配信用カメラとは別に、自身の記録カメラも手元に置いた。まさかこれが松岡さんとの最後の場面になるとは想像もしなかった。

 

この時は、本楼で事前のリハーサルもあった。「確信を持って聞きなさい」「聞きたいことを聞くだけでなく、僕を感動させてくれないと」「林は、もっとコストをかけなさい」と次々、檄が飛んだ。演出や設営について、事前にスタッフと密に交わしていなかったことも指摘された。実はここ数年は叱られることの方が多かった。いま思えば、2021年の初インタビューは、松岡さんが全てを引き取って、こちらを自由に泳がせてくれていたのだろう。いまは、もっと波を起こしていく側になり、プロっぽくやらなければならなかったのに、圧倒的に足りてなかった。花目付としても松岡さんを追いかける記録カメラとしても大きな負債を抱えたままなのだ。第83回感門之盟のタイトルでもあった「EDIT TIDE」はそのまま自分に与えられた「お題」になった。

 

間に合わないことだらけだったが、松岡さんが耳元で囁いているような気がする「編集はひっくり返しを起こすことですよ」と。

 

▼校長・松岡正剛の最後の登壇となった、入伝式のインタビュー動画(5分)をご覧いただきたい。

林が手元でインタビューしながら撮影した映像を編集した動画です。松岡さんがお題の作り方を明かしています。

 

文・撮影・編集 林朝恵(花目付、倶楽部撮家)

アイキャッチ写真 後藤由加里(倶楽部撮家)

 

 

  • 林朝恵

    編集的先達:ウディ・アレン。「あいだ」と「らしさ」の相互編集の達人、くすぐりポイントを見つけるとニヤリと笑う。NYへ映画留学後、千人の外国人講師の人事に。花伝所の花目付、倶楽部撮家で撮影・編集とマルチロールで進行中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。