この年を預かったからには、語らずにいられない事件があります。 2009年10月23日、東京。そう、松丸本舗の開店です。丸の内オアゾ4階の丸善本店に3年間だけ出現した前人未到の実験書店。何の実験かといえばそれは人と本のための商用文化実験で、欲望の本来と消費の将来のあいだをつなぐ知的触発装置であり、かつその読書変換装置だと『松丸本舗主義』に明かされてあって、ここまで聞けば、多読ジム読衆の皆さんなら、いえ、イシス編集学校の[破]を突破した皆さんなら、多読ジムも松丸本舗の<隣接と波及>の一様であることはすぐにぴんとくると思います。
ただ、松丸本舗自身もまたひとつの<隣接と波及>だということを、このユートピアの実現と毅然とした挑戦をいま振り返ってあらためて感じます。現在豪徳寺にある6万冊の本の森・本楼は、1972年に28歳の松岡校長が工作舎新宿時代に蔵書の大半を親しい人のために開いたことに端を発し、その後工作舎松濤移転にともなって生まれた本棚をもつ場「土星の間」をアーキタイプとするのでしょう。「土星の間」で起こっためくるめく出来事の数々は校長の本や千夜千冊にもたびたび描かれているのでそちらを読んでくらくらしていただくとして、どう考えても胸に沁みるのは、松岡校長がこんなにもずーーーっと「ともにする」ということのための仕掛けを起こし続けてきていることです。
贈与も互酬も、行為や行動の結果ではなくマインドセットにキモがあります。誰かから誰かへ何かが無償で渡されたとき、あるいは渡しあったとき、送り手と受け手のそれぞれがどんな「つもり」でそれを経験したか。社会学者と哲学者が返礼を求めるかどうかで対立とも見える立場の違いを見せるなか、1985年生まれの哲学者・近内悠太さんは今年3月刊行の『世界は贈与でできている』のなかで贈与は「受け取ることから始まる」とアトサキの要諦を言い当てて、贈与や互酬にひそむ“かくれ等価交換”の落とし穴を爽やかに飛びこえていきました。そうなんですよね。返礼を期待して何かを無償提供することからは贈与は始まりえないのです。贈与と返礼が成り立つための秘訣中の秘訣。これを、松岡校長はずーーーっとやりつづけているのだと思います。今朝「遊刊エディスト」で公開された、中野組長率いる九天玄氣組と松岡校長との相互贈与はその結晶のようなできごとですよね。
→ 松岡校長の「義理人情」フルスロットルで倍返し!〈九天玄氣組〉
経済に埋め込まれてしまった文化を「贈与と互酬の経済文化」に編集していくもくろみが、このようにして松丸本舗として発露したこの年、しかし当時のわたしはまだ松岡校長も編集学校も知りません。メディアが取り上げた記事でこの面白そうな本屋さんの存在を知り、春に初めて訪れ、店頭のフライヤーで当時毎週金曜夜に赤坂の編集工学研究所で開かれていた大川さんの門前指南に参加し、翌月曜が開講だった23[守]になんとなく申し込み、あっという間にこのユニークな稽古システムに夢中になって、わたしにとっての編集世界が始まるのはそこからです。知りたかったのはこれだった、と何度も何度も何度も思っていまここにいます。
歴史的政権交代で民主党鳩山政権が発足し、アメリカでは初の黒人大統領が誕生し、奈良では大極殿遺構が発見され、新型インフルエンザ(豚インフル)が流行した2009年でもありますが、そんなわけで、わたしが選ぶこの年の一冊は当年刊行の『1Q84』でも『日本辺境論』でも『出版状況クロニクル』でもなく、千夜登場の『老子』や前田愛『近代読者の成立』やタレブ『ブラック・スワン』、『本の現場』、アガンベン『スタンツェ』、タルド『模倣の法則』、カラザース『記憶術と書物』、中谷巌『資本主義はなぜ自壊したのか』などなども気にはなりつつ、また年を離れてデーヴィス『贈与の文化史』やペトロスキー『本棚の歴史』やシェアエコノミーを体現して生きる石山アンジュの『シェアライフ』にも惹かれつつ、やはり5年後に登場するこの本に松丸誕生の2009年を託します。
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ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』
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「借り」という概念を導入することで「贈与」の主体を「した方」から「される方」に移してのけた。ここに本を読むことと贈与の関係もまた鮮やかに浮かび上がり、「受け取ったら、返礼する」と「読んだら、書く」がどのように重なるかもあらわれてきます。
そう考えると、ほんとうにね、編集学校20年ぶんの奥にもうどれだけの「借り」と「恩」があるのだろうと言葉を失いますね。
借り暮らし、問い暮らし、読み暮らし、書き暮らし。折返しのバトンを、うちのスタジオのおおくぼかよ冊師にお渡しします。
∴∵∴ 多読師範 福田容子 ∵∴∵
福田容子
編集的先達:森村泰昌。速度、質、量の三拍子が揃うのみならず、コンテンツへの方法的評価、厄介ごと引き受ける器量、お題をつくり場を動かす相互編集力をあわせもつ。編集学校に現れたラディカルなISIS的才能。松岡校長は「あと7人の福田容子が欲しい」と語る。
書籍『インタースコア』の入稿間際、松岡校長は巻頭書き下ろしの冒頭二段落を書き足した。ほぼ最終稿だった。そろそろ校了か、と思ってファイルを開いて目を疑った。読み始めて、文字通り震えた。このタイミングで、ここにこれを足すのか […]
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