【AIDA】KW File.04「ヴァルネラビリティ」

2020/11/13(金)14:30 img
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KW File.04「ヴァルネラビリティ」(2020/10/17.第1講)

本コーナーでは、Hyper-Editing Platform[AIDA]の講義で登場したキーワードの幾つかを、千夜千冊や編集学校の動向と関係線を結びながら紹介していきます。

 2020年11月12日、国内の新型コロナウィルス感染確認数は1634人となり、1日として過去最多を記録した。

 感染症などに対する脆弱性(犯されやすさ)を指して「ヴァルネラビリティ」という言葉が使われることがあるが、今回は「情報」の本質的特徴としてのヴァルネラビリティについて考えてみたい。

松岡座長:
部長、社長、大統領、首相。そういう既存のロールを超えて、席と人と情報の組み合わせを切り替え、新たなロールを作っていかないと駄目だろうと思います。ポジションを持たない動的なロール、入れ替わるロールを。

 Hyper-Editing Platform[AIDA]の第1講・最終セッションでは、大澤真幸氏から「我々(人類)はもう詰んでいる」「できるだけ早く、自分たちはサステナブルではないことを理解して、詰んでいることを受け入れたほうがいい」という問題提起がなされた。(→サステイナブルの矛盾 AIDA第一講 10shot

 世間ではSDGs(持続可能な開発目標)ということが熱心に唱えられているが、その方向ではもう手遅れだ、と大澤氏は一刀両断する。キューブラー・ロスの「死の受容モデル」を援用し、現状に対する構え自体を転換するアプローチは、居並ぶ座衆に大きな衝撃を与えたようだった。

 「最善手ではそのまま負けてしまう。挽回するには悪手が必要だ」。議論はそこから「生産的な悪手」を模索する方向へと進み、いとうせいこう氏の「ダウンサイジングした上で連帯せよ」という提案に注目が集まった。コミュニティを小さく区切った上で、多様な組み合わせを試す。情報と情報のあいだ、いわば間際をつなぐ編集に挑み、「悪手の創発」を目指すということだ。そこには「日本という方法」からヒントを取り入れる余地がある。

松岡座長:
日本には「小さきもの」に対する独特な感覚があります。日本列島はフラジャイルで、建物もすぐに地震で壊れたり、水で流されたりする。だから頑丈なものを作ろう、とはならず、むしろ壊れやすいこと、ヴァルネラブルであることを前提にして、小さきものを愛でる感覚を育てました。

 ヴァルネラブル。ヴァルネラビリティである。語感からして弱々しいこの言葉には、実は過激な可能性が秘められていた。

 この言葉には攻撃誘発性という意味がある。相手からすれば攻撃したくなる感覚である。結果、つまりはいわゆるいじめになるのだが、とはいえたんなる「いじめられやすさ」を意味するのでもない。むしろ、ヴァルネラブルなことによって何かが過剰に相互反応する劇的な可能性のことを言っている。「きずつきやすさ」がヴァルネラビリティの本質であって、そこ「きずつきやすさ」がつねに新たな意図をもちうる場合も多いのだ。

◆松岡正剛『フラジャイル 弱さからの出発』38p※文庫

 ヴァルネラブルである、ということの本質は、座長の『フラジャイル』ほか、1125夜『ボランティア』、その『ボランティア』の著者である金子郁容さんの本にあたるのが良いだろう。『ボランティア』では、弱さや攻撃されやすさ、傷つきやすさ、特に自発的に起こしてゆくヴァルネラビリティが、相互編集を起こすための鍵であるということが書かれている。そして、それはボランティアという活動に限ったことではなく、情報社会における新しい価値観であるのだと。本書はインターネット黎明期の1992年に発行されたものだが、未だその論は古びない。

 情報というものはすでにどこかに「あるもの」と考えるのが、静的情報の考え方である。それに対して、情報とは相互作用のプロセスの中から「生まれてくるもの」とするのが、動的情報の考え方である。
(…)
 情報は、蓄えられているだけでは、力を発揮しない。やりとりを交わす過程の中ではじめて、情報に意味がつけられ、価値が発見され、新しい解釈−−ものの新たなる理解や、新しいやり方——が生まれてくる。その、やりとりの中で生まれてくるものが、動的情報である。世の中の既成の枠組みを動かし、新しい関係を切り開き、新しい秩序を作ってゆくのは、動的情報である。
(…)
 バルネラブルであるということは、弱さ、攻撃されやすさ、傷つきやすさであるとともに、相手から力をもらうための「窓」を開けるための秘密の鍵でもあるのだ。バルネラビリティは、弱さの強さであり、それゆえの不思議な魅力があるのだ。

◆金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』122p-

 ネットワーカーがどこにいるかといえば、それはつねに「あいだ」にいるものだ。また「近さ」にいるものである。
 このようなネットワーカーの本質にはフラジリティがひそんでいる。なぜなら、ネットワーカーの活動は情報を交換する場面をつくりだすことによって知られていくのであるが、もともと情報というものは「弱さ」や「欠如」のほうへむかって流れるものであるからだ。これを「情報のヴァルネラビリティ」というふうにみたらよいかとおもう。私がこの十年ほど熱中して研究している編集工学というものは情報編集の方法をめぐるものであるが、そのばあいも、たとえばAの情報にひそむヴァルネラビリティをとりだしながらBの情報につなげるということを試みる。この「つなぎ」は情報の強さによってではなく、弱さによって成立する。

◆松岡正剛『フラジャイル 弱さからの出発』406p※文庫

 ヴァルネラビリティは、埒をあけて「あいだ」をつなぐためのキーワードのひとつである。

 よく似た言葉であるフラジリティは「傷つきやすいものに発動する本来性」「文脈における述語性」「その本質的な脆弱性ゆえに、たとえ外部から破損や毀損をうけることがあっても、なかなか壊滅しきらない内的充実」といったところに、意味の重きがおかれる。何かと何かの関係そのものにフラジリティを見ることもできる。一方、ヴァルネラビリティは、ある主体が持ち、さらに外部から観察しうる弱さ・傷つきやすさ・柔らかさであって、他者とのアクティブな相互作用を引き起こすトリガーである。フラジリティと重なる部分を持ちつつも、そこから起こる動向、その過激な決壊性磁力に焦点をあてて語られる。人や組織や出来事が持っている弱さの可能性を、隠して閉ざすのではなく、つながりの端緒として「取り合わせ」の編集に向かっていくという方法。それは「日本という方法」でもあり、より大きく「生命に学ぶ」べき事柄でもある。

 「生命と文明のAIDA」というサブタイトルを持つ[AIDA]SeasonⅠ、飛びきりのゲストを招いての第2講は、明日、11月14日に開催される。

松岡座長:
「小さきもの」のままで、ある種のゲームが成立し得るということ。それを悪手と見るか面白みと見るか別のモデルと見るかはさておき、いずれにしても、小さきものの中で起こっていることを解読した上で、海外に向けて訴えていく必要があります。

  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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