radio EDIST アシスタントパーソナリティの梅澤奈央です。
イシスは、人こそ宝。
この番組「林頭吉村堅樹の志向力」は、とくに大勢のイシスメンバーの名前が登場します。
みなさんの師範や師範代も登場するかも。
人も多彩であれば、一人ひとりのもつ才能も重層的。
編集学校の指導陣は、本業をもちながら編集コーチをし、ときにはカメラを担ぎイベントの裏方にもなる。
感門之盟の手足となった「感門団」とは、ポリロール主義の象徴かもしれませんね。
本日の[承]編は、7:00〜13:50ころまでを収録。
じつはラジオエディスト、ジングルもBGMも本業は美容師深谷の自作。
音響含め、すみずみまでどうぞお聴きください。
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[ISIS for NEXT20#2][承] 林頭吉村堅樹の志向力―風吹けば吉村はためくイシス空
―――吉村堅樹は凧のようだ。全身で突っ張りながら風を受け、風のままに進んでゆく。[起]で語られた前半生に続き、イシス入門後に話が及んだ。風吹けば、イシスの空に吉村がはためく。
■[破]でやめるつもりだった
流れ流れのイシス遍歴
深谷:人生、流れ、流れてって感じなんですね。
吉村:そうなんですよ、結局編集学校も流されるままで。花伝所なんか行くつもりなかったんですよ。
―――吉村が入門したのは、2008年10月、20[守]。そこから、[守]、[破]、[花伝所]、[守]の師範代、[離]と進んだのにも関わらず、またそんなことを言っている。「はじめから、[破]でやめるか、[物語]講座へ進もうかと思っていた」という吉村が花伝所に進んだのは、とある師範代の存在があった。
吉村:[破]教室の師範代が中村紀子さん(20[守][破]発熱ポンパドゥール師範代)で、中村さんはね、深谷さんみたいにズバズバいう人だったんですよ。
深谷:ははは。
吉村:[破]の最初、知文術の稽古あたりで、「吉村さん、花伝所行きましょうね」って言うんですよ。なので、そう言われたから「せっかくなので行きます」っていう感じで……
―――言われたから、やりました。主体性のなさが心配になるが、これも偶然を迎えにいくという吉村の方法なのだろう。放伝後、22[守]でエスペラ七茶教室の師範代をつとめあげ、6[離]へ進む。校長の知に恋い焦がれて、[離]へ入院する者が多いなか、吉村は不届きな企みを抱えていた。
吉村:[離]も行こうとは思ってなかったんですけど、「中村師範代が[離]に行くらしい」と聞いたんです。めったに同じ時期にやれることはないじゃないですか。そこで、いよいよ中村師範代と雌雄を決する時が来た!みたいな感じで進んだんです(笑)
―――恩師師範代との対決がしたい。吉村の負けず嫌い精神が無邪気に顔を出す。むろん「典離」の称号を目指したが、それは苦い敗退に終わる。20周年感門之盟の際にもそれを吐露。松岡校長は「まだ気にしているのか」とそのしぶとさに息をのんでいた。
■「できません」とは言えなくて
いつのまにやら編工研入社
―――そして、退院後はひょんなことから、平城京遷都1300年記念「NARASIAプロジェクト」を手伝うことになる。
吉村:[離]の退院課題「離論」を提出したあとに、香保さん(太田香保、[離]総匠、松岡正剛事務所ディレクター)からメールが来ました。「平城京遷都、まだ手伝う気ありますか?」って。あ、僕そんなこと言ってたんだっけなと思って、「ありますよ」と返事をしたんですよ。そうしたら「通えますか」って聞かれて。香保さんに通えないですとは言えなかったんですよね……。そのまま次の日から通うことになりました。
―――[離]学衆にとって、総匠は絶対的な存在なのである。ここでも吉村は、自身で選びとったのではなく、なんとなく流されてゆく。
■期待絶頂のイシス10周年
その後迎えた311の危機
―――吉村が入社したのは、2010年、ちょうどイシス10周年の時期だった。吉村いわく、当時は2009年10月オープンの松丸本舗が大ニュースになるなど、イシスや編集工学の未来に対する期待のピーク。その後311が起こり、一気に冷水を浴びせられることになる。通常200人定員の[守]入門者が、2011年は100人未満。イシス最大の危機を、吉村は学林局メンバーとしてどう乗り切ったのか。
吉村:僕はもともと入社したとき、学林配属じゃなかったんですよ。でも当時、「編集学校と千夜千冊以外は、編工研の仕事なんてひとつも世の中に残るわけがない」と言いまくっていたら、「吉村は編集学校が好きだから、学林に移そう」ということになりました。
―――学衆数の激減を乗り切るべく、通常年2回の春・秋開講であるが、[守]は夏にも入門機会を設けることとなった。そのため2012〜13年は、[守]が年3回、[破]が年2回の変則開講となる。2014年に通常体制に戻るが、そのきっかけとなったのは意外な理由だった。
吉村:僕は、2012年の年末には「林頭」というロールになっていて、そのころには年2回開講に戻しても大丈夫かなと思っていました。もとに戻れるなと思った大きなきっかけは、「感門団」の発足ですね。
深谷:感門団ですか。
吉村:2012年の3月10日、東京・赤坂の草月ホールでやったときの感門之盟で、はじめて感門団が動いたんです。
■感門団はどしゃ降りの日に
板挟みの吉村を救ったのは
―――「そのころは、編集学校も迷走していたのかもしれません」
イシス編集学校イチの晴れ舞台、感門之盟。講座の修了を祝い、ねぎらうセレモニーとして、20周年記念感門では400名以上が涙した感動の場。
しかし、現在のかたちになるまでには紆余曲折があった。吉村が7[離]の半東として参加した感門之盟に違和感を覚えたという。感門之盟のあとのアフ感では、それまで手作り感がある食事がサーブされていたのにこのときは出来合いの簡素なものだったり、BGMがあまりの爆音で話ができないほどだったりと、しつらえももてなしもパッとしないものだった。
吉村:その感門の1ヶ月後くらいかなあ、大雨の日に村井さん(村井宏志、21[守]原色ファニー教室師範代)が来たんです。「こんな感門之盟は、編集学校らしくない」と。
「人手が足りないんだったら、僕らが手伝います」っていう話を3〜4時間しましたね。それで「感門団」という名前をつけて、手伝ってもらったのが草月ホールでの感門之盟だったんです。
深谷:村井さんもずいぶん思い切って提案なさったんですね。
吉村:村井さんの代の、21[守]師範代同期って仲がいいんですよ。最初の感門団は、ほぼ同期師範代でしたね。顔ぶれは、村井さん、中山有加里さん(21[守]風船りぼん教室師範代)、齋藤シゲさん(齋藤成憲、20[守]かくれんボレロ教室師範代)、五味さん(五味久恵、21[守]芯々グリッサンド教室師範代)、小西さん(小西明子、19[守]宴歌屋台教室師範代)とか。いまだに編集学校にいるようなメンバーばっかり。そして、大泉さん(大泉智敬、21[守]アルチ残響教室師範代)を感門団副団長にして、村井さんが団長にという編成になりました。
―――それ以前の感門之盟は、櫛田理(当時編工研、現EDITHON代表)が進行を担当。2012年の感門のときに、はじめて吉村が進行を引き継ぐことになった。感門団も初仕事なら、吉村もピカピカの1年生。ほうぼうから要求を受け、疲れ果てたという。
吉村:僕も感門の進行なんて、やったことないですよ。櫛田くんの進行表を参考にしていたら、周囲からは「吉村さんのやりたいようにやらないとダメです」みたいにプレッシャーをかけられて。
で、逆に講座リーダーの木村さん(木村久美子さん、当時[破]学匠)とか冨澤さん(冨澤陽一郎、当時[守]学匠)からは「ちゃんと講座の時間取れよ」ってぐいぐい言われ。
―――板挟みになり、ふさぎこむ吉村。そんなとき、女神が手をさしのべた。
吉村:僕としてはその軋轢を突破するコミュニケーションのすべもなく、すごく落ち込んでいたんですよ。どないせえっちゅうねんって。あるとき、階段からとぼとぼと帰ろうとしたら田中さん(田中晶子所長)が来て、慰めてくれたんですよ。「落ち込まなくていいよ、みんな応援してるんだから!」って。そのとき、ほんとこの人優しいなって、涙が出そうになりました。
深谷:エディストプロフィールにあった「徹夜明けのスタッフに味噌汁をふるまう、イシス一優しい花伝所長」ってそういうことでしたか。
吉村:そうそう! 夜明けの味噌汁とか、びっくりしましたよ(笑)
―――インタビュー撮影をしていた田中は、「記憶にない」とカラカラ笑うが、吉村は助けられたのは自分だけではないと耳打ちする。
MUJI BOOKSのプロジェクトのとき、応接室で何日も徹夜しているスタッフがいたという。周囲は自分の仕事もひどく忙しく、どうしても関われなかった。そんななか田中は、徹夜しているスタッフに朝、味噌汁を作って差し入れる。吉村は田中を「いちばん弱っているときに助けてくれる人」と称した。
―――イシスの女神たちに手を引かれ、[破]でやめるはずが、なぜだか感門之盟のディレクターに。吉村は、ただ流されているのではない。自分のおかれた環境で、なにができるか。偶然から生じる機を鷲掴みにし、それをなんとかかたちにする。風を読み、みずからが向かいたい方角へ進んでゆく。貪欲な凧、吉村はこのあとイシスで「本丸」に突入する。
>>>[転]へつづく
[ISIS for NEXT20]#2 林頭吉村堅樹の志向力
[序] (2020/1/2公開)
[起]「僧侶で神父」の真相は (2020/1/3公開)
[承]風吹けば吉村はためくイシス空 (2020/1/4公開)
[転]新規事業はドブネズミのごとく (2020/1/5公開)
[結]全編集は志に向かえ (2020/1/6公開)
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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