[週刊花目付#30] たくさんのゾウダン

2022/05/24(火)18:30
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週刊花目付#30

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■2022.5.17(火)

 

 道場の其処此処で「雑談」のための会所が立ち上がっている。

 

 編集稽古は「お題」に出入りする雑多な情報を交わし合う場であるから、そこで起こる編集談義はすなわち文字通り「雑談」である。ただし、雑談は「ザツダン」ではなく「ゾウダン」と読む。1502夜『クラブとサロン』には「雑談はザツダンではなく、何かの話題や主題に執着することをいう。執着(しゅうぢゃく)とは数寄を興じることをいう」とある。


 ならば、ザツダンとゾウダンは何がどう違うのか?

 くれない道場イナモリは、ゾウダンを「造談」「像談」「増談」と言い替えながら[想像→増殖→創造]と往還するフィードバック・ループ仮説を提唱し、わかくさ道場ではニイサカがミメロギアでイメージのシソーラスを拡張した。

母の味ザツダン・料亭の味ゾウダン
トゥクトゥクのザツダン・タクシーのゾウダン
コンビニのザツダン・伊勢丹のゾウダン
浴衣のザツダン・着物のゾウダン
朝顔のザツダン・盆栽のゾウダン

 

 わかりそうでわからないものに出会った時、学習者のエディティング・モデルがビビッドに反応する。その動向には正解も不正解もなく、ただプロセスの多様だけがある。その多様を、ザツダンは雑なまま放置して終わるが、ゾウダンは雑をゆるやかに束ね、主題を別様の可能性へと運んで行く。

 

 

■2022.5.18(水)

 

 季節のせいか、年齢のせいか、時世のせいか、どうもイライラすることが多い。
 セラピストの友人言わく、感情とはエネルギーの流れなのだから喜怒哀楽に正邪はない、モトカさんは怒るレッスンをした方が良い、とのアドバイス。ふむふむ。その理屈は理解できるけれど、怒りが孕むアフォーダンスの重力はなかなかに強大なので離脱速度が問われるのよね…。

 

 さて、いま「離脱速度」と書いたけれど、速さは必ず方向を伴なうから、方向の定まらない速さは迷走を拗らせるばかりだ。とはいえ、この時の「方向」は仮留めで構わない。仮から仮へ移ろいながら、やがて此処ではない何処へ着地できれば一安心なのである。

 

 この話は「AND/OR/NOT」の編集術に接続していると思う。別様の選択肢をどれほどたくさん用意できるかが、「わたし」についての編集を大きく左右するのだ。
 こうした、いわば「たくさんのわたし」を意図的に用意して心理的な危機を脱する手法のことを、臨床心理のギョーカイでは「コーピング」と呼ぶそうだ。ストレスは方法的に対処可能であることを示している。

 

 ちなみに、コーピングのレッスンは「自己観察」から始まるのだという。怒るレッスンとは、そういう意味だ。先ずは、怒りを巡る自分自身のエディティング・モデルを自覚しなさい、ということだ。
 何のことはない。これはまったく編集稽古そのものである。

 

 

■2022.5.20(金)

 

 早朝、所長&花目付でzoom会議。講座の初動と、ここからの設営と運営について見方づけを交わす。それを噛み砕きながら、または敢えて噛み砕かないまま、指導陣へ共有して相互編集の糸口を探る。

 

 たいていの場合「問題」は分節することで扱いやすくなるのだが、分け方によってその質量や題意が変容することには功罪がある。世の中には「分けられないもの」もあるということだ

 何を開けて、何を伏せるか。「問」は手渡し方次第で「感」「応」を誘いもするし、怯ませもする。ゾウダンの行方も、深みも、実りも、問う者の次第こそが問われているのだろう。

 

 

■2022.5.21(土)

 

 式目演習は始まったばかりではあるが、花伝師範美濃越香織放伝の先をイメージメントしたメッセージをしたため始めている。「さぁ、放伝だ。いざ師範代へ」。成果(ミノリ)のためには準備(イノリ)があって、準備(イノリ)こそが成果(ミノリ)依代となる。

 

 イシス編集学校のユニークネスは、「教え方」と「学び方」が分断していないところにあって、そのユニークネスを師範代・師範が体現している。さらに、その風姿を花伝所の入伝生が見よう見まねで体得して行く。
 指導者のイノリは学習者のミノリのなかにあり、学習者のミノリはやがて指導者のイノリとして還元され、教えと学びは主客を交代しながら往還し、連鎖して、つぎつぎにツギ(次)をツグ(継)のだ。

 

 花目付は、さらにその先の、花伝所が仕組みごと社会に接地する姿をイメージしておきたい。

 

アイキャッチ:阿久津健

 

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