「健康格差」という言葉がある。所得や学歴、住む場所といった社会経済的な要因によって、健康状態が左右されてしまうという事実はWHOも認めるところである。では、人々が健康に過ごせるような社会をつくるためには、何を変えていけばよいのだろうか。「イシスの推しメン」13人目は、石川県で総合診療医として働く若きドクターに話を聞いた。
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聞き手:エディスト編集部
プロフィール
華岡晃生生まれも育ちも石川県の総合診療医。東洋医学も勉強中。2018年春、基本コース41期[守]に入門。以降、[破][花伝所]と歩みを進め、44[守]でドクター・カーソル教室師範代として登板。2020年世界読書奥義伝14季[離]へ。特別賞に輝き、満を持して47[破]脈診カーソル教室師範代を担う。トレードマークの丸メガネは、松岡正剛へのオマージュ。趣味はカメラ片手に神社歩き。MEdit Labにて「ミカタの東洋医学」連載中。
■身体に触れずに、病気が分かる?!
若きドクターが「総合診療医」を目指したワケ
――華岡さんはお医者さんなんですよね。「総合診療医」というのは聞き慣れないのですが、どういう意味でしょうか。
日本ではまだマイナーですよね。総合診療医とは、どの診療科に行ったらよいのかわからないような患者さんを見る医者のことを指します。いまは専門医が増えて、患者さんとしてはどこの診療科にかかったらいいのかわからないじゃないですか。「ちゃんと私を見てくれる人はどこにいるの?」という声に答えるのが総合診療医です。
――なるほど、患者としてはとてもありがたい存在ですね。日本ではまだ少ないとのことですが、華岡さんはどうしてそれを目指したんですか。
2010年、高校3年生のとき「GM〜踊れ!ドクター」というドラマを見たんです。そのなかでは東山紀之演じるスーパードクターが、疾患のわからない患者さんをかっこよく診断していくのが面白くて、憧れました。そのドラマのキャッチコピーは「身体に触れずに、あなたの病気を解明します」というもの。心臓がこうなっているからきっとこんな疾患で、とか、湿疹がこうだからこの理由は、なんて考えていくのは謎解きっぽくて惹かれましたね。
――そのドラマ、僕川野も覚えています。痛快でしたよね。
でも、臨床ではそんなかっこいいものではありませんでした(笑)。あたりまえなんですが、医者が一発でスパッと診断することが大事なわけではなく、現場では患者さんをよくしていくことがすべて。僕は医学部6年生のとき、台湾とハワイに1ヶ月ずつ研修したんです。そのときに見た台湾の総合診療科の先生は、1日に140人の患者さんを見ていました。
――日本だと多くて30〜40人くらいでしょうか。桁違いの数ですね。
当然、丁寧に診察できるわけもなく。患者さんが「胸が痛いです」と言ったら、「はい循環器科ね」みたいなやりとりが多くて、これでいいのかなと考え込んでしまいました。一方、ハワイの病院に研修にいったときは、医者3人のチームで5人の患者さんを見ていて、規模もぜんぜん違うことに驚きました。
――そんなに医療体制が違うんですか。
さらにいえば病院側の体制だけでなくて、患者さんも違うんですよね。たとえばハワイだと国民健康保険のような制度はないので、お金がなくてなかなか受診できない患者さんが多い。だから病院に来たときはかなり重症化しているケースによく出くわしました。
――医療の事情は、社会制度にも大きく影響されるんですね。
とくにハワイでホームレスの人たちなどに出会って、社会的弱者の方が抱える不健康は、医療だけではどうにもならないと思ったんです。社会学とかそういう方面も学ばねばと思っているときに、ちょうど松岡正剛校長の本を知ったんです。
■医療にも
氏神の復権が欠かせない
――どうやって松岡校長の本に出会ったんです?
留学の事前研修のときに、「日本を勉強するなら、松岡正剛の『日本力』を読め」と言われたんです。そうしたら、いたく感動したところがあって(と言いながら本をめくる)
――『日本力』(PARCO出版)は、写真家・エヴァレット・ブラウンさんとの対談をまとめたものですね。
そうそう、あ、ここです。「氏神を取戻すということは、村が蘇ることですよね。村が蘇るということは、その村を形成している川、山、泉、池、田んぼ、林が見えてくるということです。それが取り戻せると、今度は世界というものが見え始めて、コミュニティとの境界領域がつくられますよね」(p.279)。
僕はもともと、神社がきれいな地域は土地のパワーが保たれているという持論があって、そのうえでこの本を読んだので、まさにそうだと思ったんです。「氏神を取り戻す」ということが、地域医療を志す自分には響いたんです。
――華岡さんは昔から神社がお好きなんですか。
いや、浪人時代からですね。石川県民はなぜか京都で浪人をすることが多く、1年間京都の百万遍あたりに住んでいたんです。そのころから吉田山に登って、真如堂に行って、という散歩をしていて神社にハマりました。
――神頼みから始まったんですね(笑)。
留学前の研修で『日本力』を読んだあと、また松岡校長の本を勧められることがあったんですよ。学生のころ、よく通っていた書店の店主さんが『謎床』(晶文社)を勧めてくださったんですよね。店主さんも松岡校長ファンで、「これ松岡さんの本ですよね」と盛り上がりました。そのあと『多読術』とか『知の編集術』とかも取り寄せてもらって読みました。
――イシス編集学校は校長の本をきっかけに知ったとか?
そうです。『謎床』にイシス編集学校のパンフレットが挟まっていて、なんだこれ?と思ったんですよね。店主さんにも後日、「あの学校入ったの?」とか尋ねられて。調べてみると、その日が申し込み締切で、これはもう申し込みするしかないと思ってすぐ入門しました。
――なるほど。入門したのは、研修医になってすぐのタイミングですよね。忙しいときにどうして学ぼうと?
留学経験を経て、社会医学に関心を持ったんです。イギリスの医師・マイケル・マーモット先生や、ハーバード大学のイチロー・カワチ先生の著作を読んでみるといろんなことがわかりました。たとえばアメリカでは「生命予後を決めるのは郵便番号だ」という研究結果が明らかになるなど、養育歴や幼児教育など環境要因によって寿命などが変わってしまうということにショックを受けました。
同時にこんな事例も印象的でした。日本の移民を追跡してみると、ハワイに住んでいる人とカリフォルニアに住んでいる人とでは食生活はほとんど同じなのに、なぜかハワイに住んでいる人のほうが心臓血管疾患が少ないようなのです。その理由は、もしかしたらハワイは祭りを維持するなど文化的な力が残っているからだ、という仮説ですね。
地域による健康格差の問題を見聞きするにつれて、日本の健康を取り戻すためには、地域の力を復活させることが重要なのではないかと思い始めたんです。それが「氏神を取り戻す」という松岡校長の言葉と重なって、イシスで学ぼうと決めました。
■動かしたのは、師範代の熱
「未病を治す」ために、持続的編集を
――だいぶ壮大な期待をかけて入門なさったようですが、入門して実際のところどうでした?
イシスに行けば、答えが見つかるのではないかなと思ったんですが、そんな甘いものではなかったですね(笑)。考え続けなければならないんだなということがわかりました。
――イシスでは答えよりも、問い続けることが大事だと学びますもんね。お稽古それ自体は楽しんでおられました?
うーん、僕は[守][破]ではぜんぜん目立たない学衆でした。[守]のアワードである番ボーでも箸にも棒にもかからず。しかも、当時は大阪の病院で研修していて、東京で開かれた汁講に参加できなかったんです。でも推しメンインタビューにも登場した江野澤由美師範代(カレイド・スカート教室)が僕ひとりのために、大阪出張のタイミングで汁講を開いてくれたりして、そういう熱量にはほんとうに感動していました。
――師範代の熱意にふれると、なにかが焚き付けられますよね。
はい。指南に関しても、「なんで師範代は、いろんなことをこんなによく知っているんだろう?」ってすごく不思議になるほどでした。応用コース[破]へ進むのは迷ったんですが、江野澤師範代が「行くしかないでしょ」っておっしゃったので、その一言で決めました(笑)。
――応用コース[破]では、けっこう苦戦したとうかがいましたが、なぜ[破]でとどまらずに[花伝所]へ進まれたんでしょう。
[破]は悔しい思いしか、ありませんね……(笑)。知文アリスとテレス賞は選外だし、物語も思うように書ききれなかったし。でも、やはり[守][破]の指南を通して、「師範代ってすごい」「この人たち何者?」という好奇心が募って花伝所へ進むことにしました。
――学衆時代はけっこうくすぶっておられたようですが、その華岡さんがいまや師範として活躍するに至った起爆剤となったのは?
それはもう、師範代経験と[離]のふたつですね。これまでは自分の生活に+αするかたちでイシスでの編集稽古がありましたが、師範代を担当することによって、生活のなかに編集を落とし込むという覚悟ができました。それでなんとかやりきったという自信がついたので、[離]にも挑戦できました。
――おぉ、生活のなかに「編集」がある、と。とすると医療のお仕事にも還元できそうですね。
僕は「未病を治す」ということをずっと考えているんです。病になる前の人をどう治していくか。人々の健康を作るためには、医学だけでは足りないと思うんです。僕はやはり地域の力を取り戻していくような地域医療にもっと力を入れていきたい。松岡校長からは「持続的編集」という言葉をいただきましたし、文化や物語などそういう力もひっくるめて医療に動員するために、イシスでずっと学んでいき続けたいと思います。
アイキャッチ:山内貴暉
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梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。
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