坂本龍一さんが亡くなった。突然の訃報とともに、明治神宮外苑の再開発にともなって約1000本の樹木が伐採される計画に異議を唱えた坂本さんの遺志に注目が集まっている。SDGsの大号令をかけながら再開発を承認した東京都に対し、坂本さんは計画の見直しを求める手紙を送った。SDGsという言葉などない300年前、小さな村でひたすら生命に向き合いとてつもなく独創的な思想体系を創り上げ、湯川秀樹をして「天才だ」と言わしめた人物がいる。三浦梅園(1723-1789)だ。昨秋10月に開莚した輪読座「三浦梅園『玄語』を読む」は、桜の開花を悦ぶ声が列島を駆け巡る3月末、ついに最終輪を迎えた。博覧強記の輪読師バジラ高橋と座衆が最後に読み合わせたのは、四冊八部からなる『玄語』の【小冊 物部】である。
『玄語』が生まれる数十年前、アイザック・ニュートンが力学の基本法則を定式化した『プリンキピア』(1687)を著し、これを巡ってヨーロッパでは大論争が起こっていた。物質についてはアリストテレスの物質論への疑問が生じ、アリストテレス以前に登場していた理論が次々に復権され、それらを応用して近代原子論が構築されている最中だった。一方、中国大陸では「気」学が中心。気が相互作用を起こして物が生じると考えられ、物自体の考察はほとんどなされていなかった。
そんななか『玄語』に【小冊 物部】があるのは革新的だ。ヨーロッパ伝統でも中華伝統でもない独創的な「物」の思索。際立った特徴は、梅園が「物質は生命を生じさせる」と考えていた点にある。細胞を生じ、多細胞の植物を生じ、神経系・感覚器を有する動物を生じ、世界を解き明かそうとする人間を生じさせるのが「物」である。物質を生命と切り離さない――これこそが近代科学の論ずる物とはまったく異なる観点であった。そういう目で読んでほしいというバジラの見方を得て、輪読がはじまった。
【小冊 物部】は四つのパートで構成される。天地を構成する「大物」、天地に内包された「小物」、大物と小物が混じった「混物」、大物や小物が発する「粲物」である。予習は禁止、読みの間違いも淀みも一切とがめないのが輪読座だ。その場ではじめてテキストに出会い、声を出し、声を聞き合うことで読みが進む感覚が心地よい。
バジラがひとつ問いを投げかけた。
「小物にどうしてこれほど動物や植物の話が出ているのだろうか」
たしかにたくさんの動植物が挙げられている。手元のテキストに目をやりながら、バジラは遠く少年時代を振り返る。いまの季節、野原ではチョウを追いかけ、水辺にいけばずらりとカエルの目玉が並び、秋になれば空一面が真っ赤になるほどアキアカネが飛んでいた。だが11歳のころに農薬散布がはじまり、チョウもカエルもアキアカネもずいぶんと姿を消した。いまはほんとうに生物がいなくなってしまった、と。
豊後国の富永村(現国東市)に生まれ、生涯のほとんどを郷里で過ごした梅園の身の回りは生物で充ち溢れていたのであろう。あまねく生物に覆われている世界に人間がいた。そのような場で形成された物質論であるがゆえ、多種多様な生物が登場するのだ。
さらに梅園は、土や石や雨といった一見無生物に思えるものも生物に加えていた。土から植物が芽吹き、石は長い年月をかけて土となり、雨あってこそ動植物が育つ。土も石も雨も生命を生む物質であるという「観察」からきた生物の分類なのである。
「小物」におさめられた玄語図「動植分合総図」。土や石が生物に加えられているのが分かる。
「それ人は、万物中の一物、各気中の一気なり。」
梅園は、人間を動植物と同じ天(自然)のなかの一物と捉えていたが、同時に人間の内側もまた自然だと考えた。人間は目に見えるものにばかり気を取られ、明ばかり見て暗を見ない、人間の内側の見えないものを見ようとしないが、明暗ともに目を向けることが必要だと説いた。見えるものと見えないものが混ざりあって人間が成り立っていることを示したのが混気体図である。ここに示されたどれが欠けても人間は存続し得ない。
「混気体図」。「混気」「混体」は人間に偏在している「気」「体」のことであり、「気」は目に見えない(形がない)もの、「体」は目に見える(形がない)もの。この玄語図では中央の「人」が「神」「躯」に二分岐されているが、「神」「躯」は「混気」「混体」の異称である。
また、人間は自然からなにかを受け取り、逆に自然へなにかを放出している。さらに見方を広げると、人間の身体は宇宙のはたらきのどこかへとつながっており逆も然り。天人交接図にはミクロコスモスとマクロコスモスの連関が示されている。そうした相互関係を考えなければ、人間は独善的な見方に陥ってしまう、人間は万物の霊長というのはもってのほかだとバジラは語気を強め、近代ヨーロッパの哲学論とは異なりある意味で未来的な発想をしたと梅園の人間観を評した。
古来中国では、天上での異変が地上の異変につながるという天人相関という考えがあったが、それとは似て非なる天人交接図を梅園は提出した。人間の身体から宇宙におよぶ交接状態を示している。たとえば人間の「耳」の外側に「聴」が属し、それがさらに宇宙的に生じている音である「声」につながっている。
「粲物」は大物や小物が発しているものであり「関係づける」機能を有しているものとも言える。梅園は「粲物」の筆頭に大便小便を挙げているが、「肥やし」と呼び生命にとって大事な資源として活用されていたことを考えれば納得である。だが300年後のいま、大量の栄養分は水洗トイレに流され、莫大なコストをかけて汚染水や汚染土として捨て、海の向こうから化学肥料の原料を輸入している。そして粲物の最後に挙げられているのが「言語」だ。人間はよろずの物や事をすべて言語にして関係づける。大便小便同様、生命の「肥やし」と言っても言い過ぎではないだろう。大便から言語までの粲物のはたらきを、梅園は「物質の循環モデル」だとみなしていた。ものごとを関係づけ、循環性を保持していた粲物が、汚物という言葉で排除されている現代社会。わたしたちは水洗トイレに流すように言語も捨ててはいないだろうか。
こうした梅園の物質観、生命観を振り返り、生命に満ち満ちている場こそがゆたかであると考えることが、21世紀に生きるわたしたちに必要なのではないか。
「SDGsが叫ばれる時代だが、日本には三浦梅園がいるんだと言ってほしい!」
バジラの語りに、この日一番の熱がこもった。
梅園にも少年時代を振り返った言葉が残っている。
人に「石を手に持ちて、手を放せば、地に落つるはいかなる故ぞ」と問えば、「それは重きによりて下に落つる也、知れたる事也」という。人々はその理由を知った上で、当たり前のことだと言っているのではない。目は何故に聴かないのか、耳は何故に見ないのか、「それを世の人いかがすますとなれば、「筈」というものをこしらえて、これにかけてしまう也」。目は見えるはず、耳は聞こえるはず、重いものは落ちるはず。しかし梅園は「筈」のフックを信じない。そこにかけられたものを次々と外してこう言った。
「その疑いあやしむべきは、変にあらずして常の事也」
疑問を抱くべきは、天変地異などの有事ではなく、平時のありふれた当たり前なのである。
梅園の『玄語』は難解だと言われる。豊後の山奥で独り思索に耽り、これほどの思想体系を組み上げたことには驚くばかりだが、その出発点はひとりの少年の尽きることのない好奇心であった。『玄語』にはわたしたちが忘れてしまった世界の見方がある。まるで筈のフックを飛び出した「不思議」や「何故」のチョウを夢中で追いかける格好の遊び場のようである。
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▼今後の開催予定
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2023年4月30日(日)スタート!
※毎月最終日曜日に開催
※全日程:13:00〜18:00
2023年4月30日(日)
2023年5月28日(日)
2023年6月25日(日)
2023年7月30日(日)
2023年8月27日(日)
2023年9月24日(日)
▼受講資格
どなたでもお申込いただけます
★イシス編集学校講座未受講の方もご参加可能です
▼お申込みはこちらから
福井千裕
編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。
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