3Dアートで二重になった翅を描き出しているオオトモエは、どんな他者に、何を伝えようとしているのだろう。ロジカルに考えてもちっともわからないので、イシスなみなさま、柔らか発想で謎を解きほぐしてください。
離島在住の私は、そうそうリアルで同期の仲間にも教室の学衆にも会えない。だけど、この日は別格だ。参集する意味がある。一堂に会するこの場所で、滅多に会えないあの人とこれまでとこれからを誓い合うために。潮流に乗り、本楼へと向かった。
10月30日の開講からエディットカフェで何度も何度も交わし合いをしていたので、はじめましてよりもお久しぶり。本当に不思議な感覚だ。白墨ZPD教室の波多野耕平さんと初めてリアルで顔を合わせたのは、感門之盟1日目の本番が始まる数分前だった。
4年前に入門した私は、離島在住ということだけでなく、コロナ禍の影響で教室の学衆と直接合うことなどほとんどなかった。第83回感門之盟では、多くの学衆が本楼に入ることができた。本棚劇場に立ち、波多野さんの前で目を見て挨拶をさせてもらえることに、膝を突き合わせ卒門証を渡せることに、この上のない幸せを感じた。流れ行き去る時の中で、流れ消えゆかない「夢の共有」を誓う。
感門之盟2日目。午前中に新国立美術館で開催されている『マティス 自由なフォルム』を観にいった。第83回感門之盟のタブロイドで、若林牧子遊筆がエディットタイドを肖る先達としてマティスの名をあげていたことが、カーソル発動のトリガーだ。若林遊筆は、私の45[守]学衆時のストールたくさん教室師範代。編集学校には受け継がれていくものがあるのだ。とはいえ、午後には石垣行きの飛行機へ搭乗しないといけない。移動のことを考えると滞在時間は1時間たらず。どうせいくなら同時開催している展示も見たい。欲張りな私は、じっくり見ることをやめて「粗より」で過ごすことに決めた。
開館とほぼ同時刻なのに日曜日ということもあり、展示会場の中にはまあまあ人もいて、場所によっては並んで観なければいけないような列ができるほどだった。もとより列に並ぶ気はさらさらないし、なぜか東京にきて乾燥のせいか花粉のせいか、視力がガタ落ちして、文字が見えなくなっていた。不足を抱える身体で、照明の落とされた美術館の壁にかかっている文字を読むことはできない。まずは情報を体で浴びながら、センサーが作動する作品の声を探すこととする。
最初にセンサーが反応したものは、マティスが大きな壁に向かって竹の棒に木炭をつけた画材でバーンズ財団の〈ダンス〉を書いている写真だった。身体性を身体性が繋いでいる。手に直接木炭を持って描くこととは違い、竹棒の長さで伸びた腕の半径が運動(ダンス)を伸びやかにダイナミックにしていく感覚が伝わってくる。「クレオールの踊り子」もいい。こんなに大きな作品(205 × 120 cm)だったとは思わなかった。マティスを見るたびに感じる「間」がある。マティスにとって描くとは、ダンスであり身体表現言語でもあるのだろう。そこに祈りが込められ、ダンスで私たちの時空を繋げてくれる。
そんなマティスは、晩年、腸閉塞の手術を受け、かなり身体が不自由になり、不足を抱えた身体は、筆ではなく新たな道具を手に入れた。加えて、色彩の魔術師と呼ばれたマティスは、色だけでなく同時に線へも恋焦がれていたが、思うように動かない身体が焦がれていた想いをも成就させる。ハサミという道具を使って、切り紙絵にすることで、切る、断つという物語を孕む新たな線という身体表現言語を手に入れたのだ。「編集は不足から始まる」のである。そしてこれは、マーシャル・マクルーハンの「まずは我々が道具を作り、やがて道具が我々を作り始める」のように、ハサミがマティスを作り始めたのだ。ハサミが生み出すマティスという線は、運動(ダンス)の軌跡としての線であるに違いない。
足早に展示会場を歩きマティスを浴びながらも、私の思いはカバンの中に潜ませていた、前日の感門之盟1日目にいただいた先達文庫に向かっていた。それは、『線の冒険 デザインの事件簿』(松田行正/ちくま文庫)である。これをもらった時に、48[守]で師範代をした「点閃クレー教室」がすぐに思い出され、途切れさせることなく重奏的に、行きつ戻りつを繰り返す生命の流れを感じずにはいられなかったからだ。
本書を開くと「はじめに」このように書かれている。
本書で言う「線」とは、幅が狭い「面」ではなく、ヴァリシー・カンディンスキーが指摘したように、点が動くことによってできた、運動の軌跡のことを指す。点が動けば、元の点のあった場所は消滅する。点の足取りを記すことができるのは線だけだ。そしてその線の軌跡は、多くのドラマをもたらすだろう。
クレーは、運動の軌跡としての線ばかりでなく、ドラマ性にも早くから着目していた。「線を散歩に連れていく」「線に夢見させる」と豪語するほどに。
『線の冒険 デザインの事件簿』(松田行正/ちくま文庫)p.005
クレーも晩年、手が思うように動かなくなり、線への郷愁を募らせている。松田氏はクレーが散歩に連れ出すといった線を、ベンヤミンがいうパサージュを歩く遊歩道者(フラヌール)のようでもあると表現した。あてどなくふらつき、行きつ戻りつするフラヌールとしての線。ノンリニアであり、アンストラクチャー。線はターゲットへと向かうプロフィールとなり、夢見るプロフィールとなる。
ああ…、線は、編集の国を歩く「わたし」でもあるのだ。
38のお題で学衆との番稽古を終えた時、そこにどんな像が浮かび上がるのだろうと心震えた花伝所での演習の日々も思い出される。もっと遡れば学衆時の回答と指南も、いくつもの点を結び教室にドラマをもたらしてくれていた。
師範代になったからこそ描けた、たくさんの線たちは、教室の学衆9名(白墨ZPD教室)と見えるようにしていった線だ。ただ一つではなく、いくつもの1人分ではない界域を重ねながら、この先も続く点のゆらめきを残している。
明日、3月24日(日)に52[守]はクローズする。
点の足取りが蘇り、終わり始まりの混在する今日に、この先も線の冒険を続けることを誓おう。
にんじんしりしり――石垣の狭間から◆52[守]師範代登板記#04
線の冒険――石垣の狭間から◆52[守]師範代登板記#07
大濱朋子
編集的先達:パウル・クレー。ゴッホに憧れ南の沖縄へ。特別支援学校、工業高校、小中併置校など5つの異校種を渡り歩いた石垣島の美術教師。ZOOMでは、いつも車の中か黒板の前で現れる。離島の風が似合う白墨&鉛筆アーティスト。
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