発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

公立中学校に勤める私は、人の子供の教育ばかりで、自分の子供は寝顔しか見ていない毎日に、嫌気がさしていた。ただ、ただ、消費されるだけの自分の命を俯瞰しながら、いつからこん風になってしまったのだろうと問うていた。そんな折に、たまたま教師仲間から紹介されたワークショップ。息抜きがてら参加したのが、2020年2月22日(土)。忘れもしない石垣島アートホテルの最上階スカイラウンジ。ナビゲーターは現在、花伝師範でもある平野しのぶ師範だった。この日、私はイシス編集学校と出会った。
松岡正剛を知っているかと問われ、聞いたこともない名前に不安を抱いた。
編集とは何かと聞かれ、苦しさと思考の分類を感じた。
石垣島の海の見える写真の中に、ないものをあげてくれと言われ、喧騒や争いはないと感じた。
画像から、思い浮かぶことをできるだけたくさんあげてくれと言われ、自分のあげた言葉が新しい言葉を呼び込み、イメージが拡張される感覚に胸が躍った。
まだ見ぬ学校を作ろうと参加者とペアになり3冊の本を選び、あれこれ考えながら、死と再生と語りの3つを動かしたような記憶が蘇る。
今なら、そこにどんな編集の型が使われているのかわかる。当時は何かはわからないが、平野師範のテンポのよいナビに誘われるまま、思考の先を追いかけるような、物事が前に進んでいくような灯りを感じた。ワークショップ終了後、いただいたパンフレットのコースマップをじっと眺める私がいた。
絵を描かなければ生きていけないと思っていた幼い頃。極度の人見しりで、内弁慶。人と交わることもつるむことも苦手だった。人との間で生きていくことに息苦しさを感じていたが、描くことで呼吸を取り戻し、バランスを保っていた。器用な子供ではなかったが、描いている時は魂は震え、また明日も頑張ろうと思えた。それは今考えると、上手く伝えられない内にあるモヤモヤを絵という形でアウトプットしていたのだろう。私だけでなくそのようなもどかしい時期や記憶を抱える人は少なくはないのではないだろうか。人は、アウトプットせずにはいらず、他者と交わさずにはいられない。だけど、その方法がわからず思い悩むのではないだろうか。
時は流れ、大人になると、現実問題として描いているだけでは生きてはいけなかった。肉体を生かすために、明日の飯を得るために、働いた。家庭を築き、生きていく責任は自分一人のものだけでは無くなり、忙しさの中に言い訳をし、描かなくてもご飯を食べられれば生きて行ける抜け殻になった。抜け殻になった私は、内側に震え響かせるものをもう一度欲していたのだろう。気づけば最初の入り口、守基本コースへ飛び込んでいた。
あれから4年。私は変わらぬ学校現場に勤め、イシス編集学校の師範代をしながら、オンラインエディットツアーや学校説明会でナビゲートを行う。明かに入門前よりも忙しくなっている。
なぜ、こんなことをするのだろう?
4年前はこんな日が来るとは思わなかった…訳ではない。この先へ進めば、何かがかわるという胸騒ぎがあったのは確かだ。実際にかわったし、かわるとわかることも増えた。守、破、花伝所、師範代と進む内に、胸騒ぎは編集力となった。編集力を使って内外に胸騒ぎをおこしたいと思うようにもなった。そうしているうちに、各講座で行われる編集稽古は、学習ではなく継承だったことが腑に落ちる。編集稽古や多くの交わし合いの中に師弟相承のしくみと「夢の共有」があることもわかった。編集学校では、「教えるー教わる」の一方通行の関係はなく、かわるがわる互いの見方を差し出しまざりゆく過程で、世界も自分も再編集するという夢を共有していく。
2024年3月7日(木)。私は、オンライン編集学校説明会のナビケーターを務めた。オンラインに集まった参加者を前に、4年前の自分を思い出しながら4つのプロセスについて語る。
私たちが見たり聞いたり読んだりして内に入ってきた、いわゆるインプットされた情報を、私たちはレポートにしたり、感想画にしたり、ダンスや歌うという形に変換してアウトプットしている。だけど、どのように変換しているのか、インプットとアウトプットの間は、なんだかモヤモヤと正体が分からないまるでブラックボックスのようなものだ。イシス編集学校ではこのブラックボックスを大きく4つのプロセスに分けて学んでいく。
1情報の見方「わける/あつめる」
2情報の関係づけ「つなぐ/かさねる」
3情報の構造化「しくむ/みたてる」
4情報の表現「きめる/つたえる」
実は、恋愛も掃除洗濯も、企画書作りも旅行も買い物も、あらゆるものに「編集」のプロセスが動いているのだ。
幼いあの日、自分の内にあったなんだかわからないモヤモヤを絵にしていた私は、絵というアウトプットで他者とコミュニケーションを取ろうとしていた。アウトプットへ向かう途中に無意識のうちに行なっていた4つのプロセス。このプロセスがあらゆるものの中で動いているなら、照合しながら、連想しながら、冒険しながら、前へ進んでいくことができる。それをわかった時、張り裂けそうなくらい、内側が歓喜した。
1 編集は遊びから生まれる
2 編集は対話から生まれる
3 編集は不足から生まれる
1 編集は照合である
2 編集は連想である
3 編集は冒険である
『知の編集術』p.9より
いくつになっても生き生きとした胸騒ぎを取り戻したい。魂を震わせたい。その震えを共鳴させ共有できる入り口は意外と近くにある。
大濱朋子
編集的先達:パウル・クレー。ゴッホに憧れ南の沖縄へ。特別支援学校、工業高校、小中併置校など5つの異校種を渡り歩いた石垣島の美術教師。ZOOMでは、いつも車の中か黒板の前で現れる。離島の風が似合う白墨&鉛筆アーティスト。
世界は書物で、記憶を想起するための仕掛けが埋め込められている。プラトンは「想起とは頭の中に書かれた絵を見ること」と喝破した。松岡正剛校長は「脳とか意味って、もっともっとおぼつかないものなのだ。だから『つなぎとめておく』 […]
52[守]師範代として、師範代登板記『石垣の狭間から』を連載していた大濱朋子。今夏16[離]を終え、あらためて石垣島というトポスが抱える歴史や風土、住まいや生活、祭祀や芸能、日常や社会の出来事を、編集的視点で、“石垣の隙 […]
虹だ。よく見ると二重の虹だった。見ようと思えば、虹は何重にもなっているのかもしれない。そんなことを思っていると、ふいに虹の袂へ行きたくなった。そこで開かれる市庭が見たい。 そこでは、“編集の贈り物”が交わされていると […]
52[守]師範代として、師範代登板記『石垣の狭間から』を連載していた大濱朋子。今夏16[離]を終え、あらためて石垣島というトポスが抱える歴史や風土、住まいや生活、祭祀や芸能、日常や社会の出来事を、編集的視点で、“石垣の […]
離島在住の私は、そうそうリアルで同期の仲間にも教室の学衆にも会えない。だけど、この日は別格だ。参集する意味がある。一堂に会するこの場所で、滅多に会えないあの人とこれまでとこれからを誓い合うために。潮流に乗り、本楼へと向 […]
コメント
1~3件/3件
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。