発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

3月末としては異例の28.1度を観測したらしい年度末最終日。本楼ではいつもとは少しだけ違う空気を纏って輪読座「富士谷御杖を読む」最終輪の座が開いていた。
輪読座といえば輪読師バジラ高橋と吉村林頭の2ショットがおなじみのところ、林頭から任されたDHを引き受けたのは編工研2年目の輪読小僧・山内だ。輪読座の司会進行であり、モデレータ、輪読座の顔となる立ち位置である。通常輪読座の黒膜を担当する山内の場所に入ったのは、JUSTライター、さらには倶楽部撮家としても編集学校のイベントで見ない日はない福井千裕氏。相互に身軽にロールを着替えての第6輪となった。
■富士谷御杖の「真言」の見方
5時間超に及ぶ前回の図象解説や輪読内容を元に独自の図象化をするのが輪読座恒例の宿題。1人目の宿題発表はT座衆だ。
「言葉通りに意味をとっただけで真意をとらえることができるのか、ということが御杖の言いたかったことではないか。”真言”は色々な見方ができる。完全に白黒つけられるわけではなく、補正できない、どちらかに偏るでもないもの。善悪も、ある立場からは善でも一方からは悪。固定できない動的なものであるということが頭にあったのではないか。」
御杖と量子力学に対角線があらわれた。T座衆の宿題資料にも「倒語/諷論表現は量子力学的表現?」のコメントも記載されていたあたりから座衆の御杖ヨミの深まりを感じた。
■ただよう「中」と3つめのモデルの立て方
2人目の共有はA座衆に託された。
「善と欲の2つの対比で考えた。善は安定しようとしているもの。欲は”ないもの”なのだが生まれ落ちたらどうにか人とつながりたいとか関わりたいとか。両方あわせもつ”中”という状態が生きているということで、それを御杖さんはモデルとして取り出す事でみんなが語れるようにしたいと思ったのではないか。また、3つめのモデルを必ずいれていると感じた。」
”ないもの”や二点分岐に三位一体と、編集要素を存分にとりいれた図象。「二項対立」という言葉からは三浦梅園の反観合一も想起させる。
宿題の共有を終えると、場はいつものように図象解説へと進んだ。第6輪の図象解説のテーマは「日本語文法の行方」である。
半年ごとにテーマが変わる輪読座。2024年の4月~9月期は『太平記』に向かい、奇妙な読み方をするらしい。コロナ禍以降はオンライン参加のみでの開催を続けてきた輪読座だが、4月からはリアル本楼参加も再開しようかという動きもあるとかないとか。
一人で立ち向かうには心折れそうな巨編をバジラ高橋の解説も含めて嗜んでみたい方は、毎月最終日曜日の予定を確保の上で続報を待たれたい。(輪読座は後日納品されるアーカイブ動画視聴での学びも可能である)
宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
◎『古今』と「ボカロ」の相似性◎【輪読座「『古今和歌集』『新古今和歌集』を読む」第二輪】
『古今和歌集』『新古今和歌集』の解説に、Adoやボーカロイドは一見結び付かない。しかし輪読師バジラ高橋がナビゲートする「輪読座」では、和歌の理解というよりは、仮名文字の成り立ちや音韻の変化にまで踏み込み、現代の音楽表現と […]
★空海が準備し古今が仕立てた日本語の奥★【輪読座「『古今和歌集』『新古今和歌集』を読む」第一輪】
『古今和歌集』『新古今和歌集』は誰が編纂したのだったろうか。パッと思い出せない。紀貫之や藤原定家という名前が浮かんだとして、そこにどんな和歌があるのかはピンとこない。そういう方々にこそドアノックしてほしいのが、この4月か […]
6世紀、動乱の南北朝から倭国を観る【輪読座「『古事記』『日本書紀』両読み」第六輪】
桜咲きこぼれる3月30日。本楼では輪読座記紀両読み、最終回となる第6輪が開催された。 半年前の第1輪では西暦200年代だった図象解説も第6輪では500年代に至る。記紀に加えて『三国史記』も合わせ読みしている背景もあり本シ […]
『古事記』で読む“古代史最大の夫婦喧嘩”【輪読座「『古事記』『日本書紀』両読み」第三輪】
大阪・堺市には、大小さまざまな古墳が点々としている。駅を降り、目的の古墳に向かっていくと次第にこんもりとした巨大な森のようなものを傍らに感じる時間が続く。仁徳天皇の陵墓である大仙古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、中国 […]
モスラと『古事記』のインタースコア【輪読座「『古事記』『日本書紀』両読み」第四輪】
松岡正剛校長の誕生日から一夜明けた1月26日。前日の42[花]敢談儀の残り香を味わいながらの開催となったのは輪読座『古事記』『日本書紀』両読み第四輪である。 輪読座の冒頭は恒例、前回の座を受けた宿題図象化の […]
コメント
1~3件/3件
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。