花伝式部抄::第14段::「その方向」に歩いていきなさい

2024/05/28(火)08:04 img
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 近視の人に道をおしえるのは、むずかしい。なにしろ、「ここから十マイルさきの、むこうのほうに教会の塔がみえます。その方向に歩いていきなさい」などとは、いえないからである。

『反哲学的断章』(ヴィトゲンシュタイン/青土社)

 

 私にとって、ヴィトゲンシュタインは哲学者ではなく詩人でした。18歳の春に出会った上の言葉は、青春のもどかしさをあまりにも射抜き過ぎていたのです。私にはハッキリと見えているヴィジョンなのに、それを誰かと共有することが出来ないのは何故なのか?「相手の目が悪いのだ」と哲学詩人は言うけれど、私は自分の言葉の拙さを呪うばかりの蒼き日々でした。

 

 まぁつまり私は、未成熟な「自己」の軋みをヴィトゲンシュタインの言葉に投影してナルシスティックに解釈しようとした訳です。自己を相手や環境から切り離して自分ばかりを責める態度は、一見、謙虚で清廉な自己像を得られそうですが、むしろ相互編集から逃避している点で「わたし」は未成熟で未然の状態だったのだと思います。
 今あらためて振り返って「編集的自己」という考え方に立てば、「わたし」という存在は他者や環境との相互作用のうえに成っているのですから、自分に何らかの不足や拙さがあったとしても、それを自分が一身に引き受けて孤高を気取る必要はなかった筈です。
 こうした“自他をめぐる相互作用”の有り様を、ヴィトゲンシュタインは「近視の人に道をおしえる」と喩えたのでしょう。
 
 私たちは人生のなかのさまざまな場面で「その方向に歩いていきなさい」と言う側にも立つし、言われる側にも立ちます。そしてその都度、互いに「その方向」を確かめ合いながら歩を進めたり、立ち止まったり、迂回したりします。「教会の塔」を見るためには、互いの誤差を許容しあえるくらいに同等な視力と視野を持つか、然もなくば「道をおしえる」のに充分な言葉や身ぶりが求められでしょう。そのときの「方向を確かめ合う」作業こそが、コミュニケーションと呼ばれるプロセスで求められることの核心なのだと思います。

 

 そこで、花伝所の入伝生が場のなかで互いにアタマの中のイメージを共有しあう様子を観察してみることにいたしましょう。ここでは発言の内容にまでは踏み込みませんが、入伝生の「ふるまい」を定量スコアでスケッチしたものを紹介します。

 シーンは講座の最初期で、出会ったばかりの仲間同士が、手探りながらも「問」を分かち合い、コーチングし合って「応」「答」へ向かおうとしています。指導陣は基本的に介入せず、入伝生がEditCafe上で自発的に発言を連ねる場面です。

 

共読スレッドの様子

 

◆下図左のツリー状のチャートは、EditCafeでの発言スレッドの様子をそのまま模写している。横方向へのスレッド展開は先行発言への返信で「情報の進化や熟成」を示し、縦方向への連なりは親発言へ応じる回答で「情報圏の拡大」を示す。◆それぞれの方向へ進展する際のハブとなる発言者の振る舞いに着眼すると、横方向(情報の進化や熟成)と縦方向(情報圏の拡大)では異なるエディティング・キャラクターが関与していることが窺える。

 

※レーダーチャートで「馬力」「場力」とあるのは、いずれも「発言頻度(e-馬力)」のこと。意図的に道場と錬成場とで表記を変えている。(数値データの計算式は前段を参照

 

共読スレッドの様子

(↑クリックすると大きく表示されます)

 

スレッド1では、入伝生Aと入伝生Bが対話を展開させ、互いに言葉を重ね合いながら情報を深化させている。AとBは、後々の演習でも高い「発言頻度(馬力,場力)」をスコアしている。同じように、スレッド2では入伝生Eが横方向への展開に寄与しており、Eの演習スコアも「発言頻度」が高い。

 

スレッド2〜4は、入伝生が自主的にテーマを設定してスレッドを立て、問感応答返のホストを担おうとしている。入伝生BとFは縦方向への展開(情報圏の拡大)を積極的に誘うものの、ホスト役としては横方向への進展(情報の進化や熟成)には充分に関与できていないように見える。二人のふるまいをレーダーチャートのスコアを眺めながら分析すると、Bは豊かな「発言頻度」のわりに関係性の構築が限定的であり、Fは「冗長度」と「発言頻度」のアンバランスとして描出されている。

 

また、この事例では入伝生Gの視野の広さが印象的だった。自らスレッドのホスト役を担うことはなかったものの、自身の発言への返信を丹念に拾ってスレッドを横方向へ進展させている。Gの安定感あるふるまいは、「トルク(e-トルク)」の太いレーダーチャートからも読み取れるだろう。

 

 共読スレッドでのふるまいと関連づけながら着目したいスコアは「発言頻度」と「冗長度」です。いずれのスコアも、他者や場との「関わり合い」の度合い関係量定量計測した数値です。(注:「発言頻度」は「発言数÷応答速度」ですから、たんに発言数が多くても速度が遅い場合は低めにスコアされます)

 これら「関係量」をめぐるスコアは、高くても低くても、その者が他者や場と関わる際の特性や傾向を如実に表す指標となります。その数値が高ければ、周囲との関係を拡充しようとする意図や意欲(たとえば、わかりたさ/関わりたさ/確かめたさ等)を読み取ることができますし、低ければ何らかの理由で他者や環境との交流が不活性であることを示します。

 また「速度」と「トルク」からは、インタースコア編集の際に動く「感」「応」の度合いを、そのレスポンスの量として窺い知ることが出来るかも知れません。

 

 さらに、こうしたインタースコアへ向かう際の編集態度については、凸型と凹型の2つのモードが想定できるように見えます。

 すなわち凸型は「自身を積極的に場へ投企させようとする態度」で、凹型は「場を設えて周囲を招き入れる態度」です。前者は持ち前の動体視力を活かして場へ突出することで関係的な優位性の獲得を目指し、後者は視力に頼らず場から編集資源を掘り起こして共同知を築こうとする戦略といえるでしょう。

 もちろん両者の方法に優劣があるわけではありませんが、こうした編集特性の差異は数値スコアからだけでは読み取れない情報です。

 

 上で紹介した事例で言えば、入伝生A、B、Eは3人とも関係”量”が高スコアを示していますが、関係”性”に着眼すると異なる様相が表れています。Aは共読スレッドを横にも縦にも伸ばしており、凸型凹型ハイブリッドな特性が見てとれます。入伝生BとEは横方向への展開は活発ですが、縦方向への拡張は限定的で、凹型の態度は控えめに見えます。

 その点、入伝生Fは縦方向の拡張を誘うように積極的にふるまい、凹型の特性が顕著ですが、自ら設えた場のなかで充分な「もてなし」をもって応じるまでには至りませんでした。冗長度は高いものの、トルクが細いため、横方向へ対話を進展させる馬力を生み出せなかったのでしょう。

 また入伝生Gは、局所的な存在感を発揮しつつ、レーダーチャート上では式目演習を通して平均値をやや上回る「ふるまい」をスコアしています。

 

 こうした事例観察から得られる知見は、「凸型のふるまい」(自身を積極的に場へ投企して情報的自他の進化や熟成を指向するふるまい)は局所的な突破力には見るべきところがあるものの、それだけでは情報の多様性に対応できず、「凹型のふるまい」(場を設えて周囲を招き入れながら情報圏の拡張を指向するふるまい)も、それなりの頻度や継続性のある「もてなし」で応じなければ情報が散逸するばかりだということです。
 言葉には「ふるまい」と「もてなし」の両面があって、それらが二つ乍らに協働し続けなければ「十マイル先の教会の塔」を確かめ合うことは出来ませんし、「人に道をおしえる」にまで至れません。

 

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 ::第14段::「その方向」に歩いていきなさい

 ::第15段:: 道草を数えるなら

 ::第16段::[マンガのスコア]は何を超克しようとしているか

 ::第17段::「まなざし」と「まなざされ」

 ::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」

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 ::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし

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