故郷の熊本を出るとは、アジアへ行くということ。山室信一はアジアへの憧憬を語る。窓からのうりずんの風が本から本へとそよ吹き、沖縄へのおもいを揺らす。
アジアとは何か。かつて西欧によって定められ名づけられた地域、それが亜細亜である。「亜」は二番目、劣る、醜い、「細」は小さい、卑しい、つまらないといった意味をもつ。近代日本は、アジアの国々との人的な交流によって共属意識を育みながらも、欧米と対等な主権国家になるため亜細亜を脱しようと試みた。あるいはアジアの連帯を掲げながら、領土の拡張を図った。
境界を跨ぎ時代を越え、水平に垂直に、ときに環を描いて、人から人へ思想はつながり広がっていく。その連鎖を、山室は膨大な史料を読み込み丹念にたどる。衆議院法制局で国会図書館に出入りし、井上毅に関心を抱いた。その後、アジアの法政思想に取り組み、宮武外骨の明治新聞雑誌文庫がある東京大学社会科学研究所、安藤昌益を見出した狩野亨吉の狩野文庫をもつ東北大学、日本で最も多く中国の本や雑誌を所蔵する京都大学人文科学研究所へと、研究の場を移してきた。山室は言う、愚鈍な自分は、史料に導かれていくしかないと。
明治維新という大変革を経て、日本は欧米の技術や制度を取り入れ、アジアでいち早く近代国家への道を歩んだ。その方法や思想を学ぶため、中国、朝鮮、ベトナムなど東アジアから多くの留学生や亡命者が日本を訪れる。『アジアの思想史脈』で取り上げられた、孫文と宮崎滔天も出会う。滔天は生涯を賭けて、孫文の革命運動を支援し続けた。民国革命の双璧、黄興と孫文を結び付けたのも滔天であり、中国ではじめて孫文を紹介した文章は、滔天の『三十三年の夢』からの抜粋翻訳である。孫文は滔天を「今の侠客」と評したが、山室はこれを受け、義を慕い他者を助け、みずからを抛って志を貫き通す、侠という「志操」がなぜ日本から消えていったのか、現在の日本を憂うかのように、歴史的な意味を問いかける。
21世紀、アジア諸国との関係を構築し深めていくうえで、国家論ではなく空間論と共同体論の関連で捉えなおした新たな歴史像が必要であると、山室は『アジアびとの風姿』で宮崎滔天を生んだ熊本に目を向ける。もとより熊本藩の時習館は漢学教育に優れ、人才育成にも熱心だった。その伝統は明治以降も受け継がれ、漢学が中国学、朝鮮学、アジア研究へと発展していく礎となった。数多の人材を輩出し、共和思想を説いた横井小楠、『近世日本国民史』を著した徳富蘇峰も熊本出身である。
とはいえ熊本藩は幕末、徳川政府側についたため、維新後の藩閥政府においては、たとえ才能があっても実務官僚の道しかなかった。そのひとり、大日本帝国憲法の草案をつくり教育勅語を編集した井上毅は、文明開化と王政復古の相反的両立をめざす国民国家形成に尽力した。井上は国民の内面を権力が支配してはならないと信念を抱き、主体的な選択を重んじたが、結局、国体に傾斜していく。選択的思考は打ち捨てられ、主体的思考は自民族中心主義に足元をすくわれる。だが山室曰く、井上をただ否定するのではなく、その生涯と史実から学ぶことこそが今を生きる者への誡めとなるに相違ない。
富国強兵と殖産興業で近代化を押し進めた明治政府は、東洋平和を唱え日清・日露戦争を起こし大陸へ進出、植民地獲得を画策した。日本の侵略から自国を守るために伊藤博文を暗殺した安重根。日本ではテロリストだが、韓半島では民族的英雄である。安は如何なる世界を願って命を賭したのか。獄中で書いた「東洋平和論」で、安は「仁弱」なる個人存在に行き着く。累々たる屍の上の軍事力による平和ではなく、他者を慈しむ「仁弱」による自主独立の平和を希求した。山室は、安の文明批判と平和思想は自由民権運動や天武人権論などと相通じ、これらの思想水脈が憲法9条として結実したとみなす。歴史からこぼれ落ち葬られ、忘れ去られた人々へのまなざしがあるからこそ、たどることができた水脈であろう。
『憲法9条の思想水脈』には、さらに幾筋もの流れが刻まれている。横井小楠は日本が世界の世話やきになり、戦争廃止を率先して進めていくことを願った。国際協調による平和論の先蹤に他ならないと、山室は看破する。内村鑑三は日清戦争における言説を恥じ、戦争の絶対廃止を訴えた。トルストイの非戦思想が、北村透谷はじめ多くの日本人にもたらした影響も看過できない。憲法改正国民投票法が公布されて15年、本書が提示する平和と非戦の思想水脈は、決して枯渇することはない。
歴史を学ぶということは、過去に生きてきた人々の決断や葛藤、選択の基底にあるものを見出し、問いかけ、咀嚼し、自分の目の達する深さや思考の幅を広げていくことである。山室の言葉が響く。あらためてアジアと沖縄の歴史を見つめなおし、人々の姿を追い続けたい。
●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐型
渡會眞澄
編集的先達:松本健一。ロックとライブを愛し、バイクに跨ったノマディストが行き着いた沖縄。そこからギターを三線に持ち替え、カーネギーで演奏するほどの稽古三昧の日々。知と方法を携え、国の行く末を憂う熱き師範。番匠、連雀もつとめた。
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